図書館の歩み


 京都外国語大学付属図書館及び京都外国語短期大学図書館は、本学園の50年の歴史と共に歩んできた。
 本学が昭和22(1947)年5月に京都外国語学校として創立された当時の図書館は、開学の地である左京区田中門前町にあり、機能は旧制外事専門学校に準拠しているものの、まだ「図書室」としての域をでないものであった。
 同年、9月から校舎が中京区西ノ京内畑町へ移ると共に、図書主任として運営にあたった岸本一郎教授らの指導のもとに専門学校生の教育を支援するための資料収集が行われ、次第に図書館としての機能を整えるようになった。
 しかし、食料や生活物資の調達さえ侭ならないこの時代にあって、学術資料、特に外国図書の収集は極めて難しいことであった。収集方法は購入に頼るだけでなく、広範な人々からの寄贈も積極的に受けながら序々に蔵書数を増やしていった。
 こうした戦後の荒廃期から復興期にかけての学術資料収集の困難さは、本学園だけではなく全国的にみられる傾向であった。この状況を緩和させるため、当時の京都軍政部民間情報教育部は昭和24(1949)年1月に回覧文書を交付し、同軍政部管轄下の図書の貸出許可を与え、本学園も他の高等教育機関と共にこの図書を利用し、主に英語図書の不足を補った。また、これらの図書はその後、教育機関に供与され本学園も同じ措置を受けた。
 このように、戦後間もないこの時期に様々な困難を乗り越え、また多くの方々のご協力を得ながら集められたこれらの図書のほとんどは、現在でも「京都外国語学園蔵書」と刻まれた所蔵印が押印され、大切に書庫に収められている。                                 BACK

 水島館長時代
 昭和25(1950)年3月には京都外国語短期大学が認可され、短期大学図書館としての教育、研究を支援するための機能が求められるようになる。キャンパスも現在の右京区西院笠目町に移転し、同年10月20日から図書館施設は当時の木造2階建校舎2棟の内の一角に位置することになった。この時期から、水島寛治教授が約10年間にわたり館長を務めた。
 2年後の昭和27(1952)年からは夜間部として短期大学が増設認可されると共に、英語教職課程の開講が認められるなど、学内環境の向上によって図書館も質的変化を遂げ、昭和29(1954)年の蔵書数は12,500冊に達している。
 昭和31(1956)年には英語商業科と専攻科が設置され、それまでの英語科と共に、新しく開設された両学科のための研究教育用の基本的な図書の充実が計られた。
 また、昭和33(1958)年には学内で『研究論叢』の第1号が刊行され、以後こうした研究活動の推進に伴って積極的に図書館の資料が活用されるようになった。さらに、この年には四年制大学の設置を目指した図書の収集が強力に計られていった。                        BACK

 岡本館長時代
 翌、昭和34(1959)年には待望の京都外国語大学が外国語学部英米語学科として開学され、図書館は大学図書館と短期大学図書館の共用図書館として、現在の4号館の1階に移された。三つの閲覧室の中で、特に第3閲覧室は別名「辞書室」と呼ばれ、語学辞書や事典が集中的に配架され外国語大学図書館としての特徴が示された。また、図書館の付属施設として視聴覚室も備えていた。
 昭和36(1961)年4月になると水島寛治館長が研究室長に転出することに伴い、岡本安章教授が図書館長に就任した。この頃には日本私立大学図書館協会にも加盟し、同年5月には当時の春季関西部会を本学を会場にして開催するなど次第に活発な図書館活動が展開された。ちなみに、この頃の蔵書数は58,000冊と記録されている。
 昭和37(1962)年にはイスパニア語学科増設のための図書の収集が行われ、同年12月には同学科が文部省によって受理され、翌年4月より正式に開設された。そして、その後は継続的にスペイン語図書が購入されることとなった。昭和39(1964)年になると学内でフランス語学科の設置が検討されるようになり、図書館も準備態勢を整え翌40(1965)年9月には同学科申請がおこなわれ、12月には正式に認可された。
 また、同年6月頃より図書館のある4号館の増築が行われ、夏期休暇中に図書館は新たに同館の4階に移転し、学生や教職員は新鮮な雰囲気の中で閲覧室の利用ができるようになった。
 昭和41(1966)年4月にはフランス語学科が開設される中で、つづいてドイツ語学科とブラジルポルトガル語学科の同時申請に向けての準備がなされ、両学科開設に向けての図書整備が行われている。創立20周年を迎える翌、昭和42(1967)年4月からは、前述の2学科が開かれ、四号館の4階に移転したばかりの図書館の閲覧室や書庫も手狭に感じられるようになっていく。
 この年の春から、図書館のある四号館の東隣に新本館である八号館と新図書館を中心とした七号館の建設工事が始まり、学生や図書館関係者にとって新図書館の竣工を心待ちにする日々が始まった。                                                 BACK

 森田館長時代
 昭和43(1968)年4月には待望の新図書館が完成し、応援団の学生諸君約15名の自主的な手伝いもあって、当時の蔵書約7万冊と学術雑誌の運搬が、わずか8日間で滞りなく終了した。この移転について同年5月25日発行の『京都外大ニュース』第76号には、「旧図書館から新図書館へ図書を移動した際美しい奉仕の精神を発揮した応援団に対し、大学は交通費等実費を支払い、その労をねぎらったが、応援団は本学学生当然のことと、大学の厚意に対し改めて平凡社の世界大百科事典全26巻を学生諸君のためにと大学図書館に寄贈した」と記されている。
 このようにして図書が運び込まれた新図書館の館内設備は、1階にサーキュレーション・エリアと雑誌・新聞閲覧室、館長室、事務室などがあり、2階には閲覧室が広く作られた。書庫も地下1階、地上2階3層からなり、12万冊の収容が可能となった。
 この年から岡本安章館長にかわり現在の理事長・総長である森田嘉一総長補佐が兼務で図書館長に就任した。森田図書館長は昭和36(1961)年の岡本前館長就任時から図書館次長職を務め、新図書館の建設にあたっても指導的な役割を果している。こうしたことから図書館運営にも極めて明るく、次々と新しい企画を打出した。その初めてのイベントが6月に開かれた展示会であった。
 この展示会は図書館の新築移転を記念して「貴重書特別公開」と銘打ったもので、それまでに収集していた稀覯書の中から150点を出展し、学内はもとより学外からも多くの人たちが見学に訪れた。この展示会が現在でも開催され斯界や一般市民の方々から好評を博している稀覯書展の第1回目である。
 また、本学図書館としての蔵書構成の特色を打出すために稀覯書の収集が強力に行われ始めたのもこの頃からである。「我が国の対外交渉史料」、「ニッポナリア(西洋言語による日本研究資料)」、「西欧古辞書・古事典」、「西欧古刊地図」、「世界の古聖書」、「ウィリアム・シェイクスピア」、「サミュエル・ジョンソン」、「チャールズ・ディケンズ」、「ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」、「フリードリヒ・フォン・シラー」などのスペシャル・コレクションは森田館長時代に形作られたものである。さらに、この時期には各言語別の蔵書目録はじめ『洋書百選』(昭和47年刊)や『NIPPONALIA』(昭和47年刊)、『チャールズ・ディケンズ』(昭和50年刊)、『図録 西洋との出会い』(昭和52年刊)、などスペシャル・コレクションや文献目録の編纂・刊行、さらには数多く開催された展示会の目録刊行もさかんに行われた。特に『対外交渉史文献目録 近世編』(昭和52年刊)は、「斯界に貢献するところ極めて大なるものがある」として昭和53年度の私立大学図書館協会の協会賞を受賞している。このように本学図書館は出版物でも知られる図書館となり、現在の図書館活動の基盤ができ上がったのである。
 昭和40年代前半は、全国的に大学紛争の嵐が吹き荒れた時代であった。本学も昭和44(1969)年に紛争のピークを迎え、7月から9月にかけては一部学生によってキャンパスが封鎖される事態となった。図書館も占拠され、館内の事務は主に中京区西ノ京樋ノ口町にある本学の第三分館で行われた。偶々この年は、本学図書館が私立大学図書館協会の『加盟図書館館員名簿』作成校を担当しており、館員達は極めて厳しい環境の中で10月にはこの冊子を無事に完成させ、全国の加盟校に配布した。
 昭和45(1970)年には学内で大学院設置の動きが本格化し、図書館に於いてもをこれに対応した図書収集が行われた。そして翌、昭和46(1971)年には英米語学専攻、ドイツ語学専攻、フランス語学専攻、ブラジルポルトガル語学専攻の大学院が開設され、また昭和47(1972)年にはイスパニア語学専攻が増設承認された。さらに、昭和48(1973)年には中国語学科開設のための図書が整備され、翌49(1974)年度より同学科が開設された。この一連の大学院増設や学科増設により研究・教育用図書が質、量的にも大きく充実していく時期であり、同年度末には蔵書数も168,500冊に達している。
 こうした学科や大学院の開設で本学の規模が拡張し学生数が増えたことによって、昭和43(1968)年に竣工した図書館では次第に手狭さを感じるようになっていく。このため、図書館棟である7号館の北側部分の増築工事が行われ、昭和47(1972)年にはこの新しくなった7号館に書庫をはじめとして、二つの閲覧室や事務室などが増設され、ほぼ現在の形態の図書館が完成した。
 さて、図書館報である『GAIDAI BIBLIOTHECA』は、やはり森田館長時代の昭和45(1970)年に創刊されたものである。第1号(創刊号)の発刊のことばに「およそ図書館に関することは、何によらずこれをとりあげ、利用者の便に資することにした」と述べられており、当時も今も教員や学生をはじめ多くの人たちから幅広い分野についての原稿やご支援が寄せられている。
 このように充実、発展をとげていく中で、内外から多くの人々が図書館を見学に訪れるようになった。特に昭和53(1978)年9月には皇太子妃美智子殿下がご来学になり、図書館の稀覯書展示会を見学された。また、この年の11月にはメキシコよりロペス・ポルティーヨ大統領が本学を訪れ、記念稀覯書展示会を見学した。
 昭和55(1980)年4月には、国際交流会館が竣工し図書館の分館である「アジア関係図書館」が、この建物の2階に開館した。同分館は地下1層、地上3層の書庫を備えており、本学の図書館の図書収容能力が大幅に向上したのである。これにより、本館から文字通りアジア関係資料の移転が可能となった。そして、この年に作られた留学生別科を中心とした学生が新しく開設されたこの図書館を利用しはじめた。                                         BACK

 鈴木館長時代
 この昭和55(1980)年の6月には、ハワイ大学から本学に赴任していた鈴木幸久教授が、理事長・総長の任務に専念しようとする森田嘉一館長に代わって図書館長に就任し、3期約12年間にわたった森田館長時代は幕を閉じたのである。
 鈴木館長は図書館学の専門家であり、図書館員の資質の向上を計ると共に図書館のきめ細かな部分の充実を計った。特に館内組織については、庶務課、収書・整理課、閲覧課を中心とした現在の2課1分館体制の基本となる3課1分館体制が確立され、図書館機能の効率化が計られるようになった。
 また、蔵書構成面では新たに収書係を館内組織として新設し、本学の専門分野の中で新刊書を中心とした教育・研究用図書のさらなる収集量の向上を求め、同時に他大学図書館との相互協力との関連性も重視した収書方針を明確に打ち立てた。
 利用者サービスについては、司書の資質の向上を促し、図書館利用や書誌についてのオリエンテーションが館内で頻繁に行えるようになった。
 一方では業務の機械化を重視し、入館システムや書誌作成システム、さらには検索システムなどからなるキハラの館内トータルシステムも導入し、それまで作ってきたカード目録がコンピュータ目録に変りはじめた。特に、この書誌データは平成7(1995)年の館内コンピュータシステム New Lib への切り替えに伴って、その殆どが無駄なく新しいデータベースへ移行された。
 こうした機械化に関連して館内設備の改善も強力に推し進められ、サーキュレーション・エリアの充実や新着図書コーナーの設置、さらには閲覧室の書架やフロアーの改善工事なども行われた。
 冊子体目録編纂作業も森田館長時代から継続して進められ、『ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ』(昭和56年刊)、『古辞書・事典類目録』(昭和56年刊)などが刊行された。また、展示会も引続いて活発に行われ、毎回展示目録が刊行されている。
 この鈴木館長時代に新しく始められたのは講演会で、図書館関係の著名人を招いて講演会が開かれ『十九世紀における日蘭関係の一考察(京都外国語大学講演集1)』(昭和56年刊)、『蔵書構成の問題点(京都外国語大学講演集2)』(昭和56年刊)、『図書の保存について(京都外国語大学講演集3)』(昭和59年刊)などが記録として刊行された。

 近藤館長時代
 昭和59(1984)年4月に鈴木館長が学長に就任するにあたり、近藤子洲学長補佐が図書館長に就任した。この時代は、本学が中国の上海外国語学院(現 上海外国語大学)や北京第二外国語学院と国際交流協定を締結するなど、同国の高等教育機関との関係が深まっていく時期でもあった。こうした中で、近藤館長が中国語学科の教授であったことから本学図書館でも、これらの中国の図書館との関係が強化されるようになった。
 特に昭和60(1985)年には、近藤館長らの努力と森田理事長(元図書館長)の英断で本学と上海外国語学院の間で、我が国では珍しい図書館単位の交流協定が結ばれ、以後図書の交換や館員の研修などが10年間にわたり活発に行われた。特に、この協定に基づく人的交流は盛んなもので、本学図書館からは延べ13人が上海を訪れ、その成果を館報『GAIDAI BIBLIOTHECA』に発表し、館員の資質を高めることに貢献したのである。
 この時期の対外協力事業としては、昭和59(1984)年に日本私立大学協会が主催する「司書主務者研修会」が本学を会場として開催された。この研修会は一大学が会場となることは珍しいもので、本学図書館の館員達も積極的に開催と実行に協力した。
 また、京都外国語大学主催で図書館が実施する「21世紀への大学図書館国際シンポジウム」の第1回が昭和61(1986)年に開催された。このシンポジウムは、本学の前図書館長鈴木幸久学長(当時)を始め国内外から著名な図書館学研究者を講師として招聘し、我が国の図書館界の人たちに参加を呼びかけたもので、以後平成8(1996)年まで3期通算9回にわたって開催され、延べ千人を越える参加者があった。
 この時期にも、展示会の開催や出版物の刊行が行われたが、特に昭和61(1986)年12月にはメキシコのデ・ラ・マドリ大統領が来日したことを記念した展示会が、本学の主催で東京の駐日メキシコ大使館で開催され、大統領自らが同国の名誉領事である森田理事長と共に開催のテープに鋏をいれた。また、翌年には東京銀座のミキモト・ギャラリーにおける本学主催の展示会「西洋と日本−−書物に残る交流の軌跡展」が開かれ、さらにこの年、京都府向日市からの要請を受け同市立図書館で「美しい本」展を開催するなど、学外で本学図書館の展示会が行われはじめた時期でもあった。                                                    BACK

 中村館長時代
 昭和63(1988)年4月には、定年退職を迎えた近藤館長に代わり中村正明前総合研究所長が図書館長に就任した。中村館長は、かつて図書館長補佐や大学事務局長を歴任していたことから図書館行政にも明るく、館内の事務部門など運営の詳細な部分の再整備を行った。
 この頃、新キャンパスが完成したことに関連して、図書館の施設面についても大改善事業に着手された。特に、それまで図書館地下南側にあったカフェテリアが新キャンパスに移ったことから、このエリアが図書館に組み入れられて新たに書庫としての機能を導入し、分館であるアジア関係図書館と併せて約50万冊の収容が可能となった。
 また、玄関ロビー、サーキュレーション・エリアをはじめ、閲覧室や事務室の照明改良工事や防犯設備工事など利用者に向けての施設向上だけでなく管理面においての機能向上が計られた。
 平成の時代に入ると図書館では、展示会の複数開催をはじめ、上海外国語学院との国際交流協定の推進、21世紀への国際シンポジウムの開催、出版物の刊行など年間を通した行事や業務が増加するようになる。
 特に展示会は、平成2(1990)年に本学で開かれた日本仏学史学会全国大会の記念行事として同学会会長からの開催依頼を受け、「日欧交流関係図書展」が開かれた。
 また、平成3(1991)年には京都府田辺町(現 京田辺市)教育委員会からの要請を受け、新しく完成した同町立図書館の開館行事の一環として「書物にみる西洋と日本の交流の軌跡」展を開催した。
 さらにこの年、学内では本学を会場にして行われた地中海学会を記念した「京都外国語大学付属図書館貴重書展−−ヨーロッパ・地中海地域を中心にして」が開かれ、三笠宮殿下のご見学を賜った。このように、本学の貴重書コレクションは学内のみならず、学外の各種学会からも高い評価を受け、大いに活用されるようになった。
 こうした中で、学内では日本語学科の増設の機運が高まり、図書館でもこの学科開設のための図書整備が行われた。平成3(1991)年12月には同学科が認可され、翌年4月の開設が決定した。これに伴って、図書館の蔵書構成も幅広いものとなり、蔵書数も359,455冊、学術雑誌3,535種を数えることになった。                                           BACK

 萬田館長時代
 平成4(1992)年4月には、中村館長の任期満了に伴い萬田悦生元教務部長が館長に就任し、一期4年を経て2期目に入り現在に至っている。
 同館長の就任時には館内の機械システムの老朽化が著しく、平成6(1994)年に館内機械推進委員会の答申を受けてシステム切り替えのための予算が申請され、翌年7(1995)年にはこの予算が認可された。こうして同年9月には、現在の New Lib が導入されると同時に、文部省の大学共同利用機関である学術情報センターとも接続し、館内の整理業務と閲覧業務が大幅に改善された。
 一方、施設面では玄関やサーキュレーション・エリアの改善工事が行われ、平成8(1996)年には入館システムの自動化や半円形閲覧カウンターの導入などが行われた。
 また、同年にはこの機械化の長所を活かして館内組織の改組が行われ、それまでの3課1分館体制は情報サービス課と管理運営課、そして分館の2課1分館体制に統合された。これに伴って、収書制度の見直しが計られ、新たに収書機構の確立が計られた。
 さらに、萬田館長は就任時より図書館員の資質のさらなる向上を目指し、館員の勉強会を定例化した。また、図書館報『GAIDAI BIBLIOTHECA』の充実と館員の研究発表を促進させ、私立大学図書館協会の司書主務者研修会や私立大学図書館協会京都地区研究会などでの発表で館員が力を発揮するようになった。
 対外協力としては平成4(1992)年に本学の森田記念ホールで日本図書館協会大学図書館部会と国公私立図書館協力委員会が主催する「日米ワンデイセミナー」と「第13回大学図書館研究集会」が開催され、我が国をはじめアメリカの図書館関係者が数多く来学した。また、平成9(1997)年の9月には私立大学図書館協会の通算第58回総会・研究大会・見学会が森田記念ホールを会場として行われ、全国から約450名にのぼる参加者が本学を訪れた。
 上海外国語学院との国際交流協定は平成6(1994)年をもって終了したものの、本学図書館の伝統である稀覯書展示会の開催、21世紀への大学図書館国際シンポジウムの開催、出版物の刊行などの本学図書館の特徴的な諸活動は引続いて積極的に行われている。
 このように、本学図書館は多岐にわたる図書館活動を展開する中で、平成9(1997)年3月31日現在で427,882冊の図書と3,875種の学術雑誌を所蔵するに至り、同年5月18日には本学園創立50年の喜ばしい節目の日を迎えたのである。                              BACK

 将来に向けて
 半世紀にわたる本学図書館の歴史を顧みるとき、歴代館長をはじめ、先輩館員諸氏のご努力の大きさを改めて思わずにはいられない。
 50年の間に蓄積された蔵書の数は、全国の単科大学図書館の中で極めて高い数値を示している。また、資料収集方針は本学の教育研究理念である語学を通じた地域研究の支援に向けられ、そのための適正な蔵書構成に絶えず配慮がなされている。
 一方、資料を運用する機械化の進展も館内や学内だけはでなく、全国的なネットワークである学術情報システムに参画したことによって、書誌データの作成や他大学との相互協力が円滑に進められるようになった。
 今後の本学図書館が進むべき道は、こうした50年の歴史が育んできた伝統や特徴を堅持しながら、活発な図書館活動を展開することでる。
 特に、資料の収集、保存、提供については、今日の大学図書館界が抱える共通の課題に本学図書館も応えて行かなくてはならない。とりわけ、コンピュータ機能やニューメディアの利点を取入れた資料の電子化の充実に務めて行く必要がある。
 また、本学の建学の精神と伝統を生かした諸事業を強化・発展させることは、本学図書館の重要な課題である。図書館報の一層の充実をはじめ、蔵書構成を披露する展示会の継続的な開催、図書館利用者に対するガイダンスの充実、さらにはコンピュータ機能を駆使した情報の提供と発信などは、それぞれに創意工夫をこらしながら今後も力強く推進して行かなければならない。
 これらの目的を達成していくためには、司書や館員の資質の向上を計り、時代や環境に適応した組織変革と諸制度の改善を柔軟に進めながら、図書館の機能を高めるための努力を常に続けて行かなければならないのである。




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