AMATI, Scipione
Historia del regno di Voxv del Giapone,
dell’ antichita, nobilta, e valore del svo re Idate Masamvne…

Roma, 1615

アマティ 『伊達政宗遣欧使節記』

  江戸時代初期の徳川幕府は、対外政策や宗教政策において比較的寛大な姿勢を維持していた時代であった。そのため外国との交流に目を向ける大名も少なくはなく、仙台藩主の伊達政宗は1613(慶長18)年9 月にメキシコ、スペイン、ローマへ向けて家臣の支倉常長(はざくらつねなが)を遣欧使節として派遣した。世に言う「慶長遣欧使節」である。一行は石巻の月の浦を出航し、メキシコ、キューバ島を経て1614 年にスペインに上陸した。翌1615 年に常長はこの地で受洗し、国王フェリペ3 世(Felipe III, 1578-1621)に拝謁して政宗の書状を渡し、宣教師の派遣やメキシコとの貿易を求めた。さらに一行はその年の秋にローマに入り、教皇パウルス5 世(Paulus V, 1552-1621, 在位1605-1621)に謁見し、政宗の書状を手渡した。同地で歓待は受けたものの、伊達氏が一地方の領主に過ぎないことから政宗宛ての返書は得られず、メキシコからフィリピンを経て1620(元和6)年に仙台へ戻った。
 本書はローマ生まれの歴史学者シピオーネ・アマティ(Scipione Amati, 生没年不詳)がマドリードから遣欧使節一行に通訳兼交渉係として6 ヶ月間付き添い、その間の記録を纏めたものの初版本である。この中には伊達氏の領国の情勢をはじめ、使節派遣に至る経緯や同地でのキリスト教布教の様子なども含まれている。
 なお、常長が仙台を出発した3 ヶ月後の1613(慶長18)年12 月には、幕府からキリスト教を禁じ宣教師を追放する令が出され、仙台藩でも常長の帰国直前にキリシタン禁令が出された。このため、帰国した常長は帰国報告が終わると軟禁生活が続き、2 年後の1622(元和8)年に失意のうちに死去した。仙台藩は遣欧使節の顛末を幕府に報告したのち、この件を完全に秘めていたため、江戸時代を通じて明るみに出ることはなかった。時が移り、1873(明治6)年に岩倉使節団がヴェネツィアに赴いた際に常長の書状を発見し、彼の業績が評価されるようになったのである。

展示目録 『日本をヨーロッパに紹介した戦国期の宣教師たち』 より

   資料ID: 098461(書誌情報へ接続)


        
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