――第13回開催記録――

  フォーラム 「〈私のアルバイトは「インターンシップ」-心を動かされた貴重書との出会い-〉」
 
 日 時:平成23(2011)年10月31日(月) 午後2:00~午後4:30
 
 場 所:本学図書館 第2閲覧室
 
 内 容: 現在、図書館でアルバイトをしている4名の学生さんに図書館での仕事、 その中でも図書館が所蔵している貴重書に関わった経験などについて発表していただきました。 
 
 発表者と発表内容の要約、感想:
  発  表1:「日本人の見た西洋・西洋人の見た日本」
 阿部 桂子さん(英米語学科4年次生)
  私は図書館報193号の「案内絵ハガキから見た貴重書展のイメージ(9)」において、平成8年に 開催された貴重書展「文化交流史展-日本人の見た西洋・西洋人の見た日本-」について原稿を執筆しました。この貴重書 展の中から、私が特に興味を持った大槻玄沢の『蘭学階梯』、ジェイムズ・カーティス・ヘボンの『和英語林集成』につい て取り上げましたが、ここで改めてこの2冊の書物についてご紹介します。
 初めに『蘭学階梯』です。著者の大槻玄沢は江戸時代後期の蘭学者であり、大槻は『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白 と前野良沢の弟子にあたります。彼の代表作であり、文字通り「蘭学へ登る階段椅子」と名付けられたこの『蘭学階梯』は、 2巻に渡って日蘭通商と蘭学の歴史や、オランダ文法の初歩について書かれています。この『蘭学階梯』は日本で初めて発行 された蘭学入門書であり、江戸時代を通じて蘭学を学ぶ人々の間に普及し、多大な影響を与えたと言われています。
 続いて、ジェイムズ・カーティス・ヘボンの『和英語林集成』です。著者のヘボンは、米国長老派教会系医療伝道宣教師 として安政6(1859)年に来日しました。しかし、彼が来日した当時の日本は攘夷運動が盛んで、キリスト教の公然とした 布教も禁止されており、外国人殺傷事件が頻発していたそうです。そんな自身の身も危ぶまれる中、ヘボンは宿所「成仏寺」 で日本語の研究と病人の看護にあたります。そして慶応3(1867)年、岸田吟香の協力のもと『和英語林集成』を発行し、日 本初の和英辞典を誕生させたのです。その内容は当時の日本語を中心に編纂されており、19世紀後半の貴重な日本語資料と しての価値も持ち合わせています。さらに日本語の発音表記として、初めて「ヘボン式ローマ字」が使用されました。今や 有名な「ヘボン式ローマ字」はこの辞書から生まれたのです。
 私自身、外国語を一から学ぶ時、辞書や入門書の存在がどれほど重要であるか痛感しています。なにか「指標」となるも のがなければ、今まで触れたことのない言語を学び習得することは非常に困難となるからです。大槻とヘボン、彼らは両者 ともに未開の外国語研究を行い、後世に伝えました。その苦労と努力を思うと、現在の私達は本当に恵まれた環境にある と思います。彼らの未知の物事と向き合い、深く探求する姿勢に感銘を受けました。
 今回の図書館報の原稿を執筆する過程で、今まで知らなかった先人たちの軌跡に触れ、大変意義のある知識を得られた思 います。また、本の内容はもとより著者の出生やその時代背景にも触れて、読む方に興味を持って頂けるように工夫しまし た。このことより、ひとつの物事に多方面からアプローチし、その中で本当に必要な情報を選択できる力がついたと思いま す。
 
  発  表2:「マルコ=ポーロ ~二つの世界をつないだ探検家~」
 井上 健太郎さん(英米語学科4年次生)
  私は、図書館報194号「案内絵ハガキから見た貴重書展示会のイメージ(10)」に平成4年に開催された 「コロンブスと大航海時代 ~二つの世界の遭遇~」について原稿を執筆しました。今回は、この貴重書展に出展されたマル コ=ポーロの『東方見聞録』についてお話しします。
 1254年マルコ=ポーロは、ヴェネツィアの商人の家に生まれました。生家は、代々続く商家で彼の父ニコロは、中東貿易 に従事する商人として財と地位を確立していました。
 マルコが15歳になる年、ニコロは、15年間の航海から帰ってきます。それから2年間マルコは、父や叔父と生活を共にして、 ヴェネツィアの商人ポーロ家の跡継ぎとして育成されました。1271年にマルコは父や叔父に連れられてヴェネツィアの港を 出港して、長い旅路の末、フビライ=ハーンの治める上都に着いたのがヴェネツィアを発って4年後のことでした。『東方見聞録 』によると、フビライの住む宮殿は、「すべて大理石で造られ、数ある広間や部屋には金箔がはり巡らされている」と記されて います。フビライに気に入られたマルコは、中国で約16年間暮らすことになります。その間さまざまな地域を訪れ、初めて触れるもの や文化に驚いたことでしょう。マルコは、日本に足を踏み入れたことはありません。彼はおそらく中国の東海岸に住んでいる人か らたびたびジパングのことを聞いていたのではないかと思われます。『東方見聞録』には、ジパングのことを「この国の住民は、 皮膚の色が白く礼節の正しい優雅な仏教徒であって、独立国をなし、国人は、誰でも莫大な金を所有している」と書かれています。 マルコが東方の旅行から帰ってきてまもなくのこと、航海術に長けた彼はベネチア船隊指揮官となり、ジェノヴァ船隊との海戦に 参加しました。しかし、不運にも破れて、捕虜となりジェノヴァの牢獄に送られました。そのとき牢獄で出会ったのがピサ出身の 小説家ルスティケロです。彼がマルコから聞いたフビライの豪華な宮殿や莫大な富、黄金の国ジパングなどを書き留めたのが『東 方見聞録』です。マルコにとって、海外の暮らしは、新しい発見の連続だったのではないでしょうか?読者にとっても、彼の見聞 談は今までにない新鮮な経験となったに違いありません。私自身も、展示会で教科書に載っているような貴重な本を見るたび自分 の世界が広がるのを感じました。私ももうすぐ社会人になります。責任のある仕事を経験し、人との出会いを大切にして、マルコ のように大きく成長していきたいです。
 
  発  表3:「さかさまの国 日本」
 國本 茂恵さん(英米語学科4年次生)
  図書館報193号の「私の好きな昔話(9)」で紹介したちりめん本は、明治時代に在日欧米人が日本の古くか ら伝わる昔話を翻訳し、その粗筋に沿って日本人絵師が挿絵を描き、手彫りの木版で上質の和紙に手作業で印刷し、それを特殊 加工して縮緬状に仕上げて出版したもので、伝説やお伽噺のほかに日本の文化について書かれたものもあります。その中で私が 特に興味を持った『さかさまの国 日本』は、エミリー・パットンが日本の文化が西洋文化と異なっている点を「さかさま」と して紹介したものです。表紙に描かれた子供の逆立ちなどの軽妙な技は、欧米人から見た異文化をさかさまとして強調した本書の 内容に沿ったものです。序文に「日本に来た外国人が、自分達の国との違いについて感じたことを採り上げる」と述べて、目次 にその項目をあげています。日本人が刺身を食べているのに対し、欧米人はそれを見て驚くなどのようなカルチャーショックにつ いて書かれていますので、異文化の違いの面白さを楽しめます。欧米であれば、レディーズ・ファーストが一般的ですが、昔の日 本では女性が一歩下がって男性についていきます。しかし現代では、欧米化している女性が多いように思えます。欧米人が昔の日 本を見て驚いたように、もし昔の日本人が現代の日本を見たら驚くでしょう。図書館報に原稿を執筆する中で、「さかさま」とい う世界観をいかにわかりやすく伝えるかについて考えました。欧米から見た日本が「さかさま」のように、現代でも見方を変えれば 身近なところにも「さかさま」は転がっているかもしれません。同じ日本でさえも異文化は存在します。異文化だからといって拒 絶するのではなく、お互いを認め合いながら共存することが大切だと思いました。今まで知らなかったものと出会い、実際に目で 見て感動し、その感動を周りに広げていけたらと思いますし、これからも縮緬本のような日本の良い文化や風習を残していきたい です。
 
  発  表4:「アンネ・フランクの日記から学んだこと」
 中道 彩さん(英米語学科4年次生) 
  オープンキャンパスで私は、高校生の皆さんに図書館の中を案内して、「高校生が知っている世界の有名 な書物展」で高校の授業で習う世界の有名な本を見てもらいました。「絵踏の図」が載っているシーボルトの『日本』を見て、「 これ、見たことある!」と声をあげる高校生が多かったです。その中で私は、アンネ・フランクの『隠れ家』という貴重書にとて も興味を持ちました。この作品は、皆さんが『アンネの日記』というタイトルで親しんでいるものです。著者のアンネ・フランク は、第二次世界大戦中ユダヤ系ドイツ人でナチス党がユダヤ系の人々を迫害しはじめたので、オランダに逃れましたが、オランダ もナチス党に占領されてしまい、アンネとその家族は、2年間隠れ家生活を余儀なくされました。しかしながらアンネは、終戦直 前に見つかってしまい、収容所に送られ、病死しました。隠れ家での生活を書き留めた日記を終戦後、アンネの父親が少し手を 加えて出版したのがこの『隠れ家』です。1947年にオランダで出版されました。外大の図書館が所蔵しているのは、その初版本で す。アンネは隠れ家での日常生活を架空の親友キティーに宛てた手紙という設定でほとんど毎日書き綴っていました。
 次にアンネの「女性」という存在への考えについてお話しします。アンネは読書が好きで、隠れ家生活の中でたくさんの本を 読んでいましたが、その中で自立する女性の本を読み、女性の立場向上について考えを深めていました。アンネが生きた時代では、 色々な国で女性が男性と対等な権利を手に入れ始めていましたが、まだまだそれは不十分で、出産という痛ましく、苦しいことを する者であるからもっと尊敬されるべきだと考えていました。また、彼女は迫る恐怖に希望を失いそうになりながらも、それでも 平穏な世界が戻ってくることを信じてやみませんでした。アンネがある日聴いたラジオでとある政治家が、終戦後ドイツ占領下で 苦しんだ人々の手紙や手記を集めて公開するという話が流れました。アンネは自分も本を出したいと思い、この日記をその資料に 使うことを考えていました。その遺志を継ぎ、終戦後彼女の父親がアンネの日記を出版しました。今も戦争は、世界のあらゆると ころで起こっています。私たちもいつ戦争に巻き込まれるかわかりません。しかしどんな時でも自分の理想の暮らしへの想いと平 和への希望を捨ててはいけないということを、アンネの悲痛な想いを綴ったこの作品を読んで改めてそう思いました。私は、これ から社会に出てもっとたくさんの困難に出会うと思います。15歳の女の子がこんなにも強い心を持っていたのですから、何事にも へこたれず、ハードルが高くても決して諦めない強さを持とうと思いました。