京都外国語大学 国際貢献学部 Be a Changemaker

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INTERVIEWChangemakerたちのストーリー

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想いだけじゃ何もできない。
途上国で、見つけた答え。

株式会社マザーハウス代表
兼チーフデザイナー
山口絵理子

現場を知らずに、
途上国の援助ができるの?

途上国の開発援助の仕事がしたい。学生の頃に思い描いていた、漠然とした自分の未来。はっきりとした答えを出すために、ワシントンの国際機関でのインターンに参加したのは、大学4年生の夏でした。でも、米国で待っていたのは違和感。職員の多くが、途上国の実情をよく知らず、行ったこともないと話すのです。「なぜ?私は現場を知りたい!」。私は、アジア最貧国と言われるバングラデシュに向かいました。

この国で私にできることなんて、
あるだろうか?

現地の大学院で学び、現地で生活し続けるなかで、私はバングラデシュ社会が抱える問題を肌で感じました。激しくぶつかりあうデモ隊や、スラム街の惨状。それらの根本に、政治の腐敗があります。賄賂が横行し、国際的な援助も、それを本当に必要とする人々の手に届かない例を多く目にしました。「私一人の力では、どうにもならない」。この地で自分の未来について考えようとしていた私でしたが、日に日に弱気になっていきました。「もう、帰ろう」。本気でそう思い始めた頃、ダッカの街でふと見かけたのが、ジュート製のバッグでした。ジュートという素材は、バングラデシュの特産品。そのバッグはボロボロでしたが、風合いは魅力的でした。「この素材で、日本でも売れる、かわいいバッグが作れるのでは?」。素直にそう感じたことが、希望への第一歩となったのです。

上から目線の援助じゃない
途上国への協力のあり方

現地の素材を使い、現地の工場で、先進国に向けた高品質なバッグを作る。そう決めてからは、やれることは何でもやりました。デザインや製法を一から学び、自ら試作を重ね、現地の工場を説得して生産にこぎつけ、販路を開拓し、お客様リサーチをして…。ひたすら“品質の良いバッグ”を作ることに夢中になり続けました。するといつの間にか、同じように夢中になっているバングラデシュの人たちが、周りに大勢いたのです。それが、株式会社マザーハウスの成り立ち。製品の売上が伸びれば、製造をした途上国の経済が潤う。援助や寄付といった施しでなく、途上国と先進国との対等な関係での経済活動。学生時代から模索していた途上国への協力のあり方を、今、ビジネスとして一歩一歩進めています。

それは、多くの体験から始まり
未来を変える

想いだけでは何もできないと痛感し、あきらめかけた時。ジュートという、そこに存在する確かな物を手にして、すべてが変わりました。頭で考え、思い悩んでいた時に見えなかった物が、街の中に、自分のすぐそばに、あったのです。「この素材を光らせるモノづくりこそが、私の一生の仕事だ」。その後も失敗や苦難はありますが、進む方向に迷いはありません。途上国での体験から始まった、私の未来。みなさんにも、多くの体験をしてほしいと願います。行ったことのない国、見たことのない世界。自分の未来を変える何かがきっと待っています。

写真:山口氏
Profile
1981年埼玉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。ワシントンの国際機関でのインターンを経て、2004年にバングラデシュへ渡航し、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に入学。同大学院修了後、「バングラデシュ産のジュートを使った高品質バッグを現地で生産し、世界で販売する」というビジネスでの起業を決意し、2006年3月、株式会社マザーハウスを設立。現在、バングラデシュ、ネパール、インドネシア、スリランカでバッグやストール、ジュエリーのデザイン・生産を行い、東京・関西・名古屋・福岡・香港など29の直営店舗で販売を展開している。
  • 写真

    © Takahiro Igarashi(520)

    バングラデシュの自社工場「マトリゴール(ベンガル語で“マザーハウス”の意)」では、180名以上のスタッフが、先進国の市場に向けた高品質なバッグ作りに取り組んでいます。

  • 写真

    © Takahiro Igarashi(520)

    各国の生産現場に足を運び、デザイナーとして現地スタッフと協働でプロダクトを進める山口さん。「素材についての知識などは彼らのほうが詳しく、今も教わることが多いですね」。

  • 写真

    © Takahiro Igarashi(520)

    リキシャ(人力車)やバスが行き交う、バングラデシュの首都・ダッカは、世界一人口密度が高い都市。マトリゴールは、このダッカから車で2時間ほどの郊外にあります。

  • 写真写真

    2009年にはネパールでストールの生産、2015〜16年にはインドネシアとスリランカでジュエリーの生産をスタート。「今後は、ファッションの本場フランスやイタリアでも認められるよう、さらに質を高めたい。」途上国から世界へ。山口さんの挑戦は続きます。