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2017年に学園創立70周年|積み重ねてきた歴史を礎に世界を見つめ続けます。

京都外国語大学の軌跡 4つの物語

創立者森田一郎・倭文子は、終戦後の日本の荒廃した国土を目の前にして、その痛みと苦しみの中で、「日本の再建には教育の再建、外国語教育の復活が何よりも必要」と考えた。軍事力では外国とのトラブルは解決できず、敗戦という結末に至った。平和のためには、まず、相互に意思を伝え合うコミュニケーションが鍵を握り、語学力は必須である。二人はこの時、建学の精神『言語を通して世界の平和を』の基となる理念を見いだしていたのである。以来、70年を経た今、本学園は、大学、大学院、短期大学、高等学校、専門学校と、まさに世界を見つめる総合学園として成長・発展し、多くの卒業生を世に送り出してきた。

そこで今回、学園創立70周年という記念の年にあたり、学園70年の軌跡を「キャンパスの建物の変遷」で振り返ってみることにした。まず、1947年学園発祥の時代、1989年森田記念講堂ならびに11・12号館の時代、2004年1号館の時代、そして2017年4号館の時代(6月末竣工予定)へと続く建物の歴史をたどる。題して、京都外国語大学の70年の軌跡「4つの物語」である。

1947年 学園発祥の時代

創立者森田一郎・倭文子は、東京より入洛後、築き上げた人脈を確かめるように京都在住の多くの友人・知人を訪ね歩いた。そんな関係もあってか、京都外国語大学の前身となる京都外国語学校は、京都大学の近く、京都市左京区田中門前町、百万遍知恩寺境内にある左京厚生会館で、ひとまず教室を借りてのスタートとなった。5月18日に開校式・入学式が行われ、入学者は84人であった。森田一郎が初代総長に就き、森田倭文子は学監に就任した。

同年9月校舎を京都市中京区西ノ京内畑町15に移転し、本部も設置した。49年には京都市右京区西院笠目町(現在地)に校舎移転、ここで二人は組織は不十分とはいえ、現在に続く学園の教育者としての道を歩き始めたのである。とはいえ、校舎や設備はまだまだ十分とはいえず、卒業式、入学式は近くの四条中学校を借りて行っていた。1951年には校舎となるべき土地を購入。徐々に学校としての体をなしていった。

学園発祥の思い出の地

二人の友人・知人には、京都のみならず、東京にも有名なその道の大家といわれるような専門家が多かった。そのような先生らを教授陣に迎えられたのも、二人の尊い人脈があったからこその結果である。初代学長の小牧健夫、2代学長の松平康東、3代学長の田口泖三郎、いずれも森田一郎が若かりし時に師と仰いだ人や開成中学の同輩であった。こうして京都外国語大学の黎明期は進んで行ったのである。

学園発祥の思い出の地

この廊下は講堂に通じていた懐かしい空間

学生の賑わいが聞こえる校舎

校庭の木陰で語らう

1989年 森田記念講堂ならびに11・12号館の時代

学園創立40周年(1987年)の記念事業の一つとして位置付けられた新キャンパス建築工事。森田嘉一理事長・総長の構想はこうだ。「来るべき21世紀へ向けての指針として、学術研究機能の強化、充実を図るとともに学科の新設、定員増を主軸とする学園の拡充整備を図る必要がある」。この構想を受け、88年に11号館(低層棟2階建)、12号館(高層棟5階建)のツインビルが完成し、続く89年にはメインの森田記念講堂が完成した。

11号館には、購買、書籍、会議室、事務室、12号館は学生食堂、研究室で占められ、完成した森田記念講堂とともに本学の新キャンパスとして期待が集まる。この新キャンパスは、「第1回京都市都市景観賞」に輝いている。

四条通から見る森田記念講堂

同記念講堂は、地上3階、地下1階で延床面積は、5,536㎡、客席数801。その形は四条通と現キャンパスとの両方向が正面になるように半円形に作られ、外観は11・12号館と同じグレーがかったレンガ色。四条通の一角にモダンで瀟洒な姿をみせている。同講堂内正面の半円形のステージは、幅20m、奥行10m、高さ7.5mと広々とした空間、客席とステージを区切る緞帳は、中央に地球を配し、周りに古代ギリシャの青少年が教育を受けている様子、彫刻をしている人、平和をもたらす女神などが描かれている。版画は昭和40年英米語学科卒の画家河辺保恵氏の作品。同時通訳室、音響・照明調整室、映写室など、国際会議、コンサート、講演会等に利用されている。大学主催の国際シンポジウムも随時開催されるなど、国際色豊かな面を見せている。また森田記念講堂、11・12号館の新キャンパスは、地域の中の大学を象徴するスペースとして、地元の地蔵盆、小中学校の音楽フェスティバルなど多目的に利用されている。

四条通から見る森田記念講堂

世界を見つめてきた11・12号館

国際舞台につながる森田記念講堂のステージと緞帳

創立者像(森田記念講堂エントランスホール)

学内最大のランチスポット・学生食堂「リブレ」

2004年 1号館の時代

旧1号館は昭和30年代初頭の、まだ建築資材が欠乏している時代に建築されたもの。古く、多くの思い出がいっぱい詰まった学びの建物を取り壊し、新1号館を建設する計画は、「学園充実10ヵ年計画」に基づき、移設・改修・解体工事を経て、旧館とは打って変わって現代的なビルとして2004年3月に完成した。

新1号館は、学習支援のための教育・事務施設として、インターネットによる情報収集・発信の機能を強化し、新しい時代への対応を視野に入れたインテリジェント・ビルとして建設。地下1階、地上7階の建物で26教室、多目的ホール、事務室、会議室、カフェスペース等を備えた教育施設。新たなチャレンジとして「先を見据える教育」を実施しようというわけである。7階の小ホールは200人を収容、隣接する8号館との間には各階に渡り廊下を設け、車椅子での移動も可。四条通側が全面ガラス張りになっているため、校舎内は明るい。新1号館が本学の新しい顔となり、学生らも明るく、いきいきしている。

明るい授業空間で新しい時代への対応を視野に入れた1号館

シンポジウム、セミナー等で賑わう小ホール

授業の合間に利用できる1号館フロアスペース

イタリア語で「仲間とともに集う」を意味するカフェスペース「コンパーニョ」

2017年 4号館の時代

旧4号館は、キャンパスのほぼ中央に位置している南北に細長い校舎として年を重ねてきた。東側の静かの庭と西側の語らいの庭、東西をはさむ二つの庭に囲まれ、学生の行き来が多い。そして同館は南の四条通と北の高校校舎をつないでいるのである。いわば、旧4号館はキャンパスをつなぐ重要な校舎の位置付けにある。しかし現状は、キャンパスの要であるはずの旧4号館が二つの庭を完全に分断し、また南北の交流も少ない。

新4号館建築にあたっては、そのような現状を考慮し、どんな形であるにせよ、二つの庭をつなぎ、多くの学生たちが集うキャンパスの核になればとの考えのもと設計された(設計:故小嶋一浩氏、2017年6月末竣工予定)。新4号館は、外国語自律学習支援室(NINJA)やラーニングコモンズを配置し、学生の総合的な自主学習のための環境を整え、さまざまな学習形態に対応することとし、また留学生との交流を図ることができるようなスペースも配置して、国際交流の拠点としても活用するなど、これから京都外大が目指す「人、ことば、文化」をつなぐ象徴的な建物となるであろう。

人、ことば、文化をつなぐ新4号館(完成予想図)

学生でいっぱいになる語らいの庭(旧4号館の西側)

読書する学生には格好の静かの庭(旧4号館の東側)

沿革

創立70年の歴史

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