ページの先頭です。ページの本文へ

ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS

2018/05/11 03:00:00 南蛮人の欲望と真心 (Ⅲ)

  • Categoryポルトガルのニュース
  • Posted by住田 育法
 今回のブログ「南蛮人の欲望と真心」の (Ⅰ)で取り上げた、16-17世紀当時の商品について、特にアジアの産品のことを、もう一度、確認しておきましょう。経済的欲望を満たす「安く買って、高く売る」という際のアジア各地の物価の背景の話です。

 その第一は、なぜ、日本人にくらべて、中国人や南蛮人たちは「銀 (prata)」をより重宝したのか、ということです。この答えは、彼らは毒味のために、食器に銀を利用したから、ということです。もちろん、きらきら光る銀で食卓を美しく演出する、という意図もあったでしょう。しかし、毒味がより大きな目的であったようです。
 私の授業で学生諸君に銀と毒の関係について質問すると、皆さんはあまり知らないようでした。
 毒のひとつの硫砒鉄鉱を用いたヒ素の場合、銀と化合して硫化銀となり、黒変します。これによって毒殺を避けることができたのです。
 南蛮人だけでなく、韓国ドラマなどで、銀の箸によって、毒を察知するというシーンがあるようです。韓国からの観光客が自分の「箸」を携帯しているのも、このような習慣から来ているのでしょうか。

 二つ目は、絹 (seda)のことです。なぜ、日本人は絹を好んだのか、ということです。これは、日本ではヒエラルキーを衣服によって示したから、と考えると良いでしょう。葵祭の斎王代 (写真) は、まさにその衣装で「違い」の証を表現していると理解できます。京都の西陣では、生糸から織物に至る作業はおよそ100の工程を経て為されるそうです。高価な完成品に対する需要が、中国からの生糸の購入を産み、南蛮商人の経済的「欲望」を満たしたのでしょう。つまり、中国で安く仕入れた生糸を日本で高く売り、安く購入する銀を中国で高く売る、というビジネスでした。マカオの教会にはそうした商品を一時保管する場所があったようです。
 
 第三の話題は、漆器 (laca) と陶磁器 (porcelana) です。漆器は英語でjapanと呼ばれるように、能登の輪島などの特産ですね。陶磁器も九州のものと思ってきた人もあるでしょうが、南蛮人の特産品図 (地図) では、英語名のchinaどおり、中国となっています。これには、景徳鎮などの青花磁器の産地が戦乱などで活動を止め、代わって秀吉以降の日本で有田などで磁器の生産が始まることなどを知る必要があります。chinaの陶磁器は日本産のものがヨーロッパに伝わったのです。
 写真はポルトガルの食卓ではあたりまえの陶磁器のお皿です。ポルトガル人は過去、アジアから大量の陶磁器を輸入していましたが、19世紀にポルト市の近くで材料のカオリンを発見し、高品質の陶磁器を生産するようになりました。ポルトガル王室の紋章入りの大航海時代の中国産陶磁器のレプリカを生産し、販売しています

 四つ目は、マルコ・ポーロが目指したと伝えられる「黄金の国ジパング」は日本のことですが、南蛮人の図では、金 (ouro) の産地が、中国や東南アジア、アフリカとなっています。要するに、日本人は、装飾に金を多く用いたものの、生産量はそれほどではなかったかもしれない、不思議な事実を確認できます。
 
 どうか皆さん、大航海時代の南蛮人が好んだアジアの特産品について、単なる「知識」としてではなく、身近な生活のまわりの商品として、街角でショッピングをする気分で、時間と空間を越えて、いろいろな連想を楽しんでください。キワードは「欲望」と「真心」です。理論はリカードの「比較優位」ですね。
  • 葵祭前の清めの儀式における斎王代の絢爛な絹の衣装。上賀茂神社にて。筆者撮影。
  • アジアの特産品。大航海時代におけるポルトガル人の経済活動図拡大版 Fonte: António Hespanha, Faculdade de Direito da UNL.
  • ナイフとフォーク、陶磁器の皿が一般的な「南蛮」の食卓。筆者撮影。

Page top