ページの先頭です。ページの本文へ

ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS

2018/05/06 19:50:00 南蛮人の欲望と真心 (Ⅱ)

  • Categoryポルトガルのニュース
  • Posted by住田 育法
 「真心」の話題を続けましょう。

 東アジアの鹿児島に初めてイエズス会の宣教師が上陸した1549年に、まったく偶然ですが、先住民に対する布教のために、ブラジルにも初めてイエズス会の宣教師が到着したのです。したがって、このブログでは日本のように、ブラジルのポルトガル人も南蛮人と呼びましょう。地図ではブラジルは、大西洋に面した左隅に位置しています (参照 歴史地図)。

 南蛮人はマヌエル・ダ・ノブレガでした (写真 サンパウロのパーティオ・ド・コレージオ)。先住民の教化と聖職者の統率を目的として、3月29日にブラジル北東部のサルヴァドールに到着したのです。写真のパーティオ・ド・コレージオは1554年1月25日に南蛮人ノブレガと共に鹿児島のザビエルと同じスペイン人のジョゼ・デ・アンシエタ宣教師がミサを行い、創建されました。
 政治支配のためには、アフリカとインドで経験を積んだ貴族のトメ・デ・ソーザが、初代総督として、400人の流刑者を含む1000人以上の人たちを引き連れて派遣されました。

 大航海時代において、植民地の豊かさを利用するグローバルな重商主義政策によって、宗主国ポルトガルは自らへの中央集権化を試みます。しかしながらこの展開において、他のヨーロッパ人には起こらなかった歴史の変化が、南蛮人たるポルトガル人とともに進むことになるのです。つまり、厳密な中央集権化ではなく、熱帯南米の自然や先住民、さらにはアフリカから運ばれてくる黒人たちに大きく依存した社会の形成でした。
 
 これこそ「南蛮人の真心であった」というのが、私たちのまなざしです。

 セルジオ・ブアルケ・デ・オランダが『真心と冒険』(原著初版、1936年; 第26版、2008年)に次のように書いています。

 ブラジルでオランダ人の植民が失敗したことは、北欧の人々は熱帯に合わないという一部の人類学者の間で今日行われている考え方を支持するもう一つの証拠となる。この分野の権威が語るところでは、彼らは一人一人ならばこのような地域に適応することはできるが、人種としては絶対に不可能である。南欧にすら適応できないとのことである。ポルトガル人は、オランダ人とは逆に、有色人種と親しく頻繁に接触した。ヨーロッパのどの国民よりも容易に先住民や黒人の習慣、言語、宗教の影響を受けた。必要に応じて先住民(アメリカ)化もし、黒人(アフリカ)化もした。アフリカ海岸の人々が誰でも口にする表現によれば、ポルトガル人は黒人になったのである。
 (池上訳、50-51ページ)

 
 同書第五章「真心のある人」で、さらに積極的な説明を行っています。

 ブラジル人はその真心で世界の文明に貢献できるであろう。(略) 率直な態度、親切、手厚くもてなそうとする気持ち、寛大な心など、少なくとも農村的、家父長制的な環境の中で育まれた社会生活の規範の影響―しかも先祖代々に亘るこの影響が力を失うことなく、強く残存する限り、ブラジルを訪れる外国人がこぞってほめそやすこれらの美徳はブラジル人の国民性としてこれからも消えることのない特徴となろう。
 (池上訳、166ページ)


 今日の歴史家ボリス・ファウスト著『ブラジル史』の次の指摘も面白いですね。

 植民地ブラジルの住民が「人間の貿易」で支配的地位を築いていった事実が明らかにされる一方、もう一つ伝統的な解釈の方は、近年、再評価されている。その解釈を最初に提起したもっとも重要な人物はカピストラーノ・デ・アブレウで、彼は国内市場向けの多様な産業の発展に注目した。(略)
 さらに近年の諸研究は、植民地時代のブラジル経済がはるかに複雑な特徴を有し、サイクルの継起(砂糖のサイクル、金のサイクルなど)として理解してはならないことを示している。
(鈴木訳、83-84ページ)

 
 古文書を重視したカピストラーノ・デ・アブレウが影響を与えた気鋭の歴史家ジョゼ・オノーリオ・ロドリゲスの代表作は和訳出版されています。富野・住田共訳『ブラジルの軌跡―発展途上国の民族の願望―』(1982年)です。

 南蛮人の「真心」の「果実」は、異種族混淆の人間関係にあったと言えるでしょう。ドイツ人画家ヨハン・モーリッツ・ルゲンダスが19世紀の1824年に描いたミナスジェライスの農場における「南蛮人」の後継者たる「支配するブラジル人」たちの、「先住民」との交流の場面がすてきです(写真)。
  • 大航海時代の歴史地図。左端がブラジル。1494年のトリデシーリャス条約線の東のアフリカ、アジアの異教世界ががポルトガルに。
  • 1554年1月25日に創建されたサンパウロのイエズス会のパーティオ・ド・コレージオ。筆者、撮影。
  • ドイツ人画家ヨハン・モーリッツ・ルゲンダスによる19世紀の先住民との交流の絵 

Page top