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ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS

2018/01/17 01:50:00 『阿片戦争』を読みパクス・ブリタニカのマカオを想う (4)

  • Categoryマカオのニュース
  • Posted by住田 育法
 『阿片戦争』についての、このブログ (1) で紹介したように、19世紀の世界においては、イギリスが、強力な海軍力と大量のモノの取引によって、世界経済を支配していました。同時にこのイギリスは英語では British Empire、日本語では「イギリス帝国」もしくは「大英帝国」と表現されてきました。
 小説第五部の「逝く年」で陳舜臣は清国を「独裁君主制の国家」と呼んでいます。
 ということで、ここで興味深い歴史の偶然に気がつきます。それは、阿片戦争を闘う英国も清国も、ともに強力なヒエラルキーに基づく帝国であったことです。さらに、パクス・ブリタニカに組み込まれていた、マカオを支配するポルトガルの植民地であった、1822年に独立を果たしたブラジルも、帝政下の「独裁君主制の国家」であったのです。
 要するに、イギリス、中国、ポルトガル、そしてブラジルは、中央集権的なエリートが指導する、トップダウンの命令系統による権威主義体制の国々でありました。

 さて暦のことを考えてみましょう。小説で呼ぶ「新暦」とは、当時の英国と今日の日本が用いている西洋暦です。

第三部 
「断章 Ⅲ」
 道光 19 年 (1839年) の大晦日は、新暦では 2月2日にあたる。英国政府が出兵を決意したころ (1840年2月) である。


 以下は新暦です。

 第四部
「艦隊北上」
 ブラーマー准将の率いる主力艦隊は、6月21日 (1840年) にマカオ沖に到着し、翌22日、広州封鎖を宣言した。


 21世紀の今もそうですが、中国は大晦日と元旦を旧暦で祝っています。2018年は2月16日が中国の元旦、つまり春節だそうです。『阿片戦争』では西洋暦である日本の新暦を基本として中国の旧暦も使っています。

 ところで今から177年まえの正月1月7日に、英軍による清国の要塞に対する激しい攻撃がありました。

第四部
「一月七日」
 1841年1月7日は、旧暦ではまだ道光20年の12月15日である。

 
 小説『阿片戦争』では、架空の中心人物の連維材は、この情報を事前に入手し、新しい総督に伝えます。しかし、その展開は以下のような残念なものでした。

 伍紹栄は、彩蘭のまえで手紙を開封した。
 ― マカオより急報あり。英軍は本日、川鼻 (せんぴ) 方面を攻撃することに決せりという。すみやかに総督に謁し、援兵を該方面に派遣されんことを乞われたし。......
 署名はなかったが、伍紹栄は手紙の行間に、連維材の熱っぽい息づかいを感じた。
「よろしい」と彼は彩蘭にむかって言った。
 (略)
 官署の門衛は、幕客にとりついだ。
「緊急の用件というが、なにごとじゃな?」
 ひげをはやした幕客は、眼をこすりながら出てきて、伍紹栄を見下ろすように訊いた。
 (略)
「総督閣下のことばを、そのまま伝える、いいな?......わしは林則徐とはちがう。総督たる身で、夷情のことにいちいち頭をつっこんではおれない。......そうおっしゃられたのだ」
 伍紹栄はしずかに頭を垂れた。 


 この戦争で、英軍は珠江の沙角要塞と大角要塞を陥落させ、清国軍の戦死292名、負傷者463名、死傷者のうち、将校は44名であったと報告されています。これにくらべて、英軍に戦死者はなく、負傷者もすくなかったそうです。この連絡を受けたマカオ沖にいた英国商務総監督のエリオット大佐は「貿易再開」のための交渉が進むと思ったようです。しかし、北京の皇帝は平和のための交渉に向けた態度を硬化させます。
 1841年の1月20日には、このエリオット大佐率いるイギリス軍が香港島を占領し、翌1842年に香港がイギリスに永久割譲されます。しかし、1997年に香港が中国に返還された21世紀の今、その歴史を振りかえると、皇帝をはじめとする中国人の熱く強靱な魂を感じることができます。ポルトガル語の字幕で1997年の中国映画『鸦片战争 The Opium War』を鑑賞しました。155年後に返還を実現させたのです。映画のラストシーンでは清国の皇帝が号泣します。
 陳舜臣の小説『阿片戦争』は第六部まで続き、「完」となります。
  • 清朝皇帝、宣宗 道光帝/在位:1820 - 1850年。
  • 英国ヴィクトリア女王/在位:1837 - 1901年。
  • ブラジルのペドロ二世皇帝/在位:1840 - 1889年。

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