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ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS

2018/01/13 23:30:00 『阿片戦争』を読みパクス・ブリタニカのマカオを想う (3)

  • Categoryマカオのニュース
  • Posted by住田 育法
 阿片戦争の始まる第三部に登場する「マカオ」ということばの使用は 101 個でした。

 第三部ではマカオ商館の英国商務総監督のエリオットのおしゃべりが面白いですね。
「発端」の箇所:
 英国がわは、もし戦端をひらこうとする場合、最大の弱点をもっていた。
 道義の問題である。
 ― 阿片のための戦争。

 もう一つ、「マカオ退去」の箇所の清国経済官僚に対する広州経済人伍紹栄の語り:
 ― イギリスが世界最強の国になったのは、その財力による。国富は商工業や外国貿易によって、積まれた。

 さて、1839年8月24日、欽差大臣の林則徐は、ポルトガル当局に、イギリス商人とその家族のマカオからの追放を命じました。チャイニーズ・レポジトリーは、イギリス人は「男も女も子どもたちも、すべて同じように、彼らの住所からあわただしく、自国の船へ安全な退去を求めて急いだ」と報じています。
 マカオは、その北が中国大陸、南が海、東が香港島に向かう珠江、西が大陸 (写真) の小さな半島です。

 英商館 (旧東インド会社) はマカオの東海岸、現在の南湾街にあった。その一帯が、グランド・ランディング・プレースである。現在、香港通いの船は西海岸のナンバーのついた突堤で発着するが、そのあたりが、むかしスモール・ランディング・プレースと呼ばれていたのだ。海関監督のマカオ出張所は、そちらがわにあった。清国当局の強硬姿勢は西海岸の海関主張所から出て、東海岸の英商館を圧迫したわけである。

 そのイギリス人の追放から2ヵ月余りのちの11月3日の川鼻海戦によって阿片戦争が始まった、とするのが定説とのことです。そして、英国政府が出兵を決定したのは、翌1840年2月でした。

 第三部の最後の「火攻」で描かれているインド・パールシー族の金貸しの娘で連維材の愛人、西玲 (シーリン) をながめてみましょう。陳舜臣のことばの「魔術」です。すてきです。

 南から湿気を含んだ風が、かなり強く吹いている。
 広東の 6 月は真夏で、夜もほとんど湿度がさがらない。
 ジャンクのなかで、西玲は孔雀羽の扇を、しきりにうごかしていた。
「水のうえに出ると、すこしはすずしくなるなんて、言ってたけど......」
 彼女は、そばで寝そべっている弟の誼譚にむかって、不服そうに言った。
「ぜいたくを言っちゃいけねえよ、姉さん。これでも、陸 (おか) よりはましなんだぜ」
 ここは磨刀洋の水のうえである。銅鼓湾 (どうこわん) とマカオの中間にあり
 (略)
 
 このとき、英船焼打ちの作戦が行われたのです。
 この夜、副将李賢 (りけん) を総指揮とする 400余名の官兵が動員されました。そして、このイギリス船に対する攻撃の際、西玲と誼譚の姉弟が夕涼みのために雇ったジャンクが、闇船と間違われて、林則徐の軍から火箭 (かせん) の攻撃をうけて、しかたなく二人は海の水にのがれたのです。
 
 彼女 (西玲) は濡れた衣服をぬぎはじめた。
 裸になって、彼女はタオルでつよくからだをこすった。体内に凍りついた血が、ゆるやかに溶けて、再び流れはじめるのがかんじられた。
 彼女は自分のからだを、くびれた腰のあたりを、惚れ惚れと見おろした。
 そしてまた、
「誼譚が......」と呟く。
 だんだんと靄 (もや)がはれて行く頭のなかに、連維材、伍紹栄、李芳 (りほう)、銭江 (せんこう)たち、そして逃亡した買弁鮑鵬 (ほうほう) まで、いろんな男の顔がうかんだ。
 彼女の心は、さまざまな形をした波のあいだに、難破していた。
 やがて、ドアがあいて、一人の西洋婦人がはいってきた。遠洋航海の艦船の高級船員は、夫人を同伴した時代である。
 西玲は、とっさに手にしていた服で、からだのまえをかくした。
 西洋婦人は微笑みながら、何か英語で話しかけた。

 この磨刀洋の火攻のほぼ 2 週間後に、ジョン・ゴルドン・ブレマー (John Gordon Bremer) 准将の率いる遠征艦隊の主力が、マカオに到着するのです。
  • 中国大陸がわに沈むマカオの夕日。
  • 19世紀のポルトガルの帆船。リスボン海軍博物館で撮影。
  • 19世紀の阿片を吸うマカオの男たち/Filipe Emílio de Paiva e o "Álbum de Viagem"より。

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