2017/12/09 21:30:00 アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く (3)
ブラジル紹介
住田 育法
2017年8月17日 (土) に、古都リオ北地区 (Zona Norte)のサンバ発祥の地であるコンセイサンの丘(Morro da Conceição)をゆっくりと歩きました。
土曜日はスペイン語でもポルトガル語でもsábadoと綴ります。この金曜日の後、日曜日の前日の土曜日は、旧約聖書の『創世記』では、神が天地創造七日目に休息を取ったことに由来し、何も行ってはならないと定められた日とされています。
旧約聖書 創世記
第一章 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。(中略)
第二章 こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終わって第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終わって休まれたからである。
黒人奴隷の故郷アフリカのイスラム世界では、ムハンマドがメッカを脱出した金曜日が安息日です。
さて土曜日はユダヤ教の安息日ですが、カトリック教徒の多いリオでは、教会に集まってミサを行うのは第一日目の日曜日です。ポルトガル語では、月曜日が第二日 (segunda-feira [注] 市を意味するfeiraはここでは曜日)、火曜日が第三日 (terça-feira)、水曜日が第四日 (quarta-feira)、木曜日が第五日 (quinta-feira)、金曜日が第六日 (sexta-feira)。しかし、土曜日は週末ということで、リオでは人々が集まって演奏会や楽しい飲食会が街の広場や路上で行われていました (写真)。
ポルトガルから独立するころの19世紀に、リオのコーヒー栽培地帯などで働くために大量に輸入された黒人は、リオ北地区の埠頭に上陸しました。奴隷制時代には年間、万単位の数の到来でした。鎖に繋がれ、鞭に打たれて働いた黒人たちが、ひとときの自由を得たのは、逃亡したとき以外には、週末の金曜日や土曜日だったのでしょう。礼拝に行く日曜日の前の金曜日と土曜日に、アフリカ的な音楽を歌い、踊り、楽しい時間を送ったのでしょう。リオでサンバが生まれるころ、北東部のサルヴァドールからも黒人がやってきました。その1人がシアタおばさん (Tia Ciata) でした(写真)。
アメリカ合衆国や中国に対して、国内総生産GDPの数字を掲げて国家としての経済成長を競う姿とは関係ない、異種族混淆のカーニバルとサンバのリオが、21世紀の今も続いているのです。それは、帝政の貴族社会の洗練された好みと黒人奴隷の強烈なエネルギーが融合した19世紀からの営みです。
ちょうど時差12時間のリオでは、土曜日の京都は、金曜日の夜にあたります。カーニバルが近づく今、金曜日の夜6時から翌朝の4時ごろまで、コンセイサンの丘 (Morro da Conceição) の塩の石(Pedra do Sal) などで、毎週、演奏会が開かれています(写真)。
土曜日はスペイン語でもポルトガル語でもsábadoと綴ります。この金曜日の後、日曜日の前日の土曜日は、旧約聖書の『創世記』では、神が天地創造七日目に休息を取ったことに由来し、何も行ってはならないと定められた日とされています。
旧約聖書 創世記
第一章 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。(中略)
第二章 こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終わって第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終わって休まれたからである。
黒人奴隷の故郷アフリカのイスラム世界では、ムハンマドがメッカを脱出した金曜日が安息日です。
さて土曜日はユダヤ教の安息日ですが、カトリック教徒の多いリオでは、教会に集まってミサを行うのは第一日目の日曜日です。ポルトガル語では、月曜日が第二日 (segunda-feira [注] 市を意味するfeiraはここでは曜日)、火曜日が第三日 (terça-feira)、水曜日が第四日 (quarta-feira)、木曜日が第五日 (quinta-feira)、金曜日が第六日 (sexta-feira)。しかし、土曜日は週末ということで、リオでは人々が集まって演奏会や楽しい飲食会が街の広場や路上で行われていました (写真)。
ポルトガルから独立するころの19世紀に、リオのコーヒー栽培地帯などで働くために大量に輸入された黒人は、リオ北地区の埠頭に上陸しました。奴隷制時代には年間、万単位の数の到来でした。鎖に繋がれ、鞭に打たれて働いた黒人たちが、ひとときの自由を得たのは、逃亡したとき以外には、週末の金曜日や土曜日だったのでしょう。礼拝に行く日曜日の前の金曜日と土曜日に、アフリカ的な音楽を歌い、踊り、楽しい時間を送ったのでしょう。リオでサンバが生まれるころ、北東部のサルヴァドールからも黒人がやってきました。その1人がシアタおばさん (Tia Ciata) でした(写真)。
アメリカ合衆国や中国に対して、国内総生産GDPの数字を掲げて国家としての経済成長を競う姿とは関係ない、異種族混淆のカーニバルとサンバのリオが、21世紀の今も続いているのです。それは、帝政の貴族社会の洗練された好みと黒人奴隷の強烈なエネルギーが融合した19世紀からの営みです。
ちょうど時差12時間のリオでは、土曜日の京都は、金曜日の夜にあたります。カーニバルが近づく今、金曜日の夜6時から翌朝の4時ごろまで、コンセイサンの丘 (Morro da Conceição) の塩の石(Pedra do Sal) などで、毎週、演奏会が開かれています(写真)。
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土曜日のXV広場 (Praça XV) のアフロ音楽演奏リハーサル
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アフロ音楽発祥ヴァロンゴ地区のコンセイソンの丘への階段横の有名なシアタおばさんの家 (Casa da Tia Ciata)
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コンセイソンの丘の音楽家たち出会いの塩の石 (Pedra do Sal)