2013/05/19 18:40:00 進むブラジリア大学との交流
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住田育法
1960年4月の新首都誕生を祝う式典開催の翌1961年12月に、人類学者ダルシー・リベイロを理事長とするブラジリア大学基金が創設され、遷都2年目の1962年4月に大学が開かれました。いま、首都53歳、ブラジリア大学51歳です。経済の中心地サンパウロやリオから遠く離れた内陸部の首都建設に、当初、多くの人が不安を覚えたそうです。しかし21世紀となり、エリートだけのプラーノピロットではなく、周辺の衛星都市を加えた都市機能を基盤に、着実な発達を遂げつつあるようです。
本学とブラジリア大学との交流は、25年まえの1988年2月、当時、京都大学に招聘されていたブラジリア大学のテツロウ・ホリ教授が挨拶に来学し、翌1989年11月に本学理事長・総長森田嘉一先生が会長を務める京都ブラジル文化協会の例会において同教授が「ブラジリアの都市問題と建築について」講演したことでスタートしました。1990年11月、ブラジリア大学イバニェス学長一行の来学によって、本学との学術交流協定の調印が実現。1992年4月、第1回ブラジリア大学交換留学生が本学留学生別科に入学、同時に本学科の4回生が第1回派遣生としてブラジリア大学へ出発し、学生による交流が始まったのです。
その後2005年2月、私が研究代表を務めた文部科学省補助金研究会にブラジリア大学からグスターボ・リベイロ教授が参加、「ブラジリアの都市問題」について発表しました。2007年10月にはデボラ・ディニス教授が来日し、ブラジルの「人種民主主義」について講演。さらに、ブラジルは新興諸国BRICsの一員としてグローバルな展開を見せていますが、2011年11月には国際政治を専門とする同大学エドゥアルド・ヴィオラ教授を招き、「ディルマ・ルセフ政権下のブラジル外交政策について」英語で研究報告をしていただきました。
本年2013年には、京都の国際日本文化センター(日文研)で、ブラジリア大学根川幸男准教授根が研究代表となって「日本的教育文化の複数地域展開に関する比較研究」が行われています。ブラジル研究者として末席を汚していますが、地球を挟んでアジアと南米の交流を考える時間は、結構、楽しいです。
本学とブラジリア大学との交流は、25年まえの1988年2月、当時、京都大学に招聘されていたブラジリア大学のテツロウ・ホリ教授が挨拶に来学し、翌1989年11月に本学理事長・総長森田嘉一先生が会長を務める京都ブラジル文化協会の例会において同教授が「ブラジリアの都市問題と建築について」講演したことでスタートしました。1990年11月、ブラジリア大学イバニェス学長一行の来学によって、本学との学術交流協定の調印が実現。1992年4月、第1回ブラジリア大学交換留学生が本学留学生別科に入学、同時に本学科の4回生が第1回派遣生としてブラジリア大学へ出発し、学生による交流が始まったのです。
その後2005年2月、私が研究代表を務めた文部科学省補助金研究会にブラジリア大学からグスターボ・リベイロ教授が参加、「ブラジリアの都市問題」について発表しました。2007年10月にはデボラ・ディニス教授が来日し、ブラジルの「人種民主主義」について講演。さらに、ブラジルは新興諸国BRICsの一員としてグローバルな展開を見せていますが、2011年11月には国際政治を専門とする同大学エドゥアルド・ヴィオラ教授を招き、「ディルマ・ルセフ政権下のブラジル外交政策について」英語で研究報告をしていただきました。
本年2013年には、京都の国際日本文化センター(日文研)で、ブラジリア大学根川幸男准教授根が研究代表となって「日本的教育文化の複数地域展開に関する比較研究」が行われています。ブラジル研究者として末席を汚していますが、地球を挟んでアジアと南米の交流を考える時間は、結構、楽しいです。
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ブラジリアの大聖堂と国立博物館 2010年8月撮影
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ヴィオラ教授ご夫妻とブラジリアのレストランで 2012年8月
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日文研の共同研究会 2013年4月