2016/11/22 00:20:00 東アジア南蛮空間の旅(2)
マカオのニュース
住田 育法
私がマカオを訪問するのは、キリシタン研究のためではありません。日本に近いアジアのポルトガル語圏として、マカオには多くのポルトガル人が居住し、マカオ大学やポルトガル総領事館などにおいて、ポルトガルの言語と文化の普及に努める環境が存在するからです。しかし、歴史の香りを求めて散策するとき、感動的な南蛮空間との出会いを体験できます。
2012年11月4日の日曜日の早朝、京都駅南のアバンティから空港バスで関西空港に向かい、全日空香港行きに10時に搭乗。関西空港を10時26分に離陸、香港時間9時26分。香港空港に13時40分に着陸、15時17分にマカオ港に向けてターボジェットで出発。夕刻、マカオの宿泊ホテル、Hotel Sintra (新麗華酒店) に到着しました。
11月5日月曜日にマカオ大学を訪問し、翌6日の火曜日に、観光名所の聖パウロ大聖堂跡を訪れました。
遠藤周昨の『沈黙』は、「ローマ教会に一つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で「穴吊り」の拷問を受け、棄教を誓ったというのである。この教父は日本にいること二十数年、地区長という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。」という記述で始まっています。
そして、1638年の場面で、マカオが登場します。
「日本にむかう母国の便船が全くないことを知った三人の司祭は、絶望的な気持ちで澳門(マカオ)までたどりついた。この町は、極東におけるポルトガルの突端の根拠地であると同時に、支那(シナ)と日本との貿易基地であった。万一の僥倖(ぎょうこう)を待ちのぞみながら、ここまで来た彼等は、到着早々、ここでも巡察師ヴァリニャーノ神父からきびしい注意をうけねばならなかった。」
『沈黙』は一気に読める作品です。大学生のころ読み、日本人は容易にキリスト教を受入れなかった、ということが印象に残っていました。2012年に再び読み、今日のマカオをよく知る立場で、キリスト教に対して強い感慨を抱くことになりました。毎年のようにマカオとポルトガルを訪問したことが、この作品の理解を学生のときとはまったく違ったものにさせたのでした。
300年以上の時を経て、その大聖堂跡の納骨堂に立つとき、はるか昔の日本人キリシタンたちの姿が鮮烈によみがえります。そこに眠るキリシタンの中には京都に住んだ人もいたでしょう。不思議な遭遇にしばし時空の瞑想に耽りました。
11月7日の水曜日、いつものように短いマカオ滞在を終えて、妻と香港時間15時20分、日本時間16時20分に香港空港を離陸、日本時間19時41分に関西空港に着陸。鎖国時代でないことを密かに喜びながら、家路に就きました。
2012年11月4日の日曜日の早朝、京都駅南のアバンティから空港バスで関西空港に向かい、全日空香港行きに10時に搭乗。関西空港を10時26分に離陸、香港時間9時26分。香港空港に13時40分に着陸、15時17分にマカオ港に向けてターボジェットで出発。夕刻、マカオの宿泊ホテル、Hotel Sintra (新麗華酒店) に到着しました。
11月5日月曜日にマカオ大学を訪問し、翌6日の火曜日に、観光名所の聖パウロ大聖堂跡を訪れました。
遠藤周昨の『沈黙』は、「ローマ教会に一つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で「穴吊り」の拷問を受け、棄教を誓ったというのである。この教父は日本にいること二十数年、地区長という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。」という記述で始まっています。
そして、1638年の場面で、マカオが登場します。
「日本にむかう母国の便船が全くないことを知った三人の司祭は、絶望的な気持ちで澳門(マカオ)までたどりついた。この町は、極東におけるポルトガルの突端の根拠地であると同時に、支那(シナ)と日本との貿易基地であった。万一の僥倖(ぎょうこう)を待ちのぞみながら、ここまで来た彼等は、到着早々、ここでも巡察師ヴァリニャーノ神父からきびしい注意をうけねばならなかった。」
『沈黙』は一気に読める作品です。大学生のころ読み、日本人は容易にキリスト教を受入れなかった、ということが印象に残っていました。2012年に再び読み、今日のマカオをよく知る立場で、キリスト教に対して強い感慨を抱くことになりました。毎年のようにマカオとポルトガルを訪問したことが、この作品の理解を学生のときとはまったく違ったものにさせたのでした。
300年以上の時を経て、その大聖堂跡の納骨堂に立つとき、はるか昔の日本人キリシタンたちの姿が鮮烈によみがえります。そこに眠るキリシタンの中には京都に住んだ人もいたでしょう。不思議な遭遇にしばし時空の瞑想に耽りました。
11月7日の水曜日、いつものように短いマカオ滞在を終えて、妻と香港時間15時20分、日本時間16時20分に香港空港を離陸、日本時間19時41分に関西空港に着陸。鎖国時代でないことを密かに喜びながら、家路に就きました。
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聖パウロ大聖堂跡のファサードの前にて
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聖パウロ大聖堂跡納骨堂の日本人キリシタン殉教者リスト
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聖パウロ大聖堂跡芸術博物館展示の26聖人殉教の絵