2025/10/10 15:30:00 弁論大会に出場してみて③ 的場飛勇駕さん(2年次)
在学生の声
岐部雅之
ブラジルポルトガル語学科2年次生の的場飛勇駕です。今回は皆さんに、弁論大会に出場してみて体験したことを中心にお伝えさせていただきます(出場時は1年次)。
◯出場したきっかけ
弁論大会に出場したきっかけは、8月の中旬の夏休み中に「弁論大会に出場してみませんか」というメールをいただいたことです。その時点では正直、出場するか否かでとても迷っていました。
今まで大勢の人の前に立って話す経験がほぼなかった私が、ポルトガル語で5分も話せるのか。本番で緊張して頭が真っ白にならないかなど、まだやってもいない/起こってもいないことに対しての不安が募るばかりでした。しかし、弁論大会に出場することで自分を変えられるのではないか、ポルトガル語が少しでも上手くなるのではないかなど今後の財産になるに違いないと思い、迷いに迷った結果、出場を決めました。
◯本番までの動き
私の場合は8月末に弁論大会への出場を決めました。そこから、夏休みが終わり、秋学期が始まる9月中旬頃まで、日本語で弁論大会のテーマや内容を考えて決めました。
9月下旬〜10月の上旬頃まで、先生の力を借りながらポルトガル語に訳す作業をしました。ポルトガル語原稿が完成すると、10月中旬頃から本番の直前まで毎週水曜日の昼休みにモッタ先生の研究室へ行き発音を中心に練習をしました。モッタ先生のアドバイスを受け、次回までに改善するようにしていました。また、弁論大会の2週間ほど前から毎週水曜日の昼休みに私以外の出場者の3人の先輩方と学科の先生方とで集まって練習を行いました。先生方だけでなく、先輩方からのアドバイスもいただき、自分のできていないところが明確に分かりました。
文の暗記やジェスチャーに関しては、寝る前や通学時間を中心に練習を重ね、暗記しました。
◯本番
13時頃になると、他大学の出場者の方が続々と来られ、とても緊迫した雰囲気になったのを鮮明に覚えています。13時30分にトップバッターの方が弁論をはじめるのですが、あまりの上手さに心が折れてしまいました。次の方、またその次の方もほぼ詰まることなく、流暢に、身振り手振りをして、笑顔を浮かべて話しているのを見て、「絶対、自分が1番できてないやん…」と心の中で思い続けてしまったからか、いつしか頭が真っ白になってしまいました。最初の方はなんとか自分が会場に立って話している姿を想像したり、話の内容を整理したりとイメージができていました。
しかし、後半に入る前の10分休憩で何もできなくなり、今から前に立って話すということを想像していると失敗することばかり考え、逃げたくて逃げたくて仕方なかったのを覚えています。自分の名前が呼ばれてから、とても緊張しながら舞台に向かっている際も色々なことが頭をよぎりました。それでも、逃げたくない、しっかりやりきりたいという思いで舞台に立ちました。舞台に立って弁論を始めると、聴衆の皆さんが頷きながら聴いてくれていたため、とても話しやすい雰囲気にありました。5分間の弁論時間がとても一瞬に感じ、楽しかったのを覚えています。今まで人前で話すことが苦痛でしかなかった私が、楽しんで弁論できていたことに驚きました。それに、本番は自然とポルトガル語の文が頭に浮かんでほとんど詰まることなくスラスラと言えました。
◯出場してよかったと思うこと
出場して自分が変わったと思うことは2つあります。
1つ目は、勉強に対する意識が大きく変わり、より積極的に勉強しようと思えたことです。弁論大会に出場された方のほとんどが友達や先生、審査員の方とポルトガル語で会話されているのを見て、私も「この人たちみたいにポルトガル語でコミュニケーションとってみたい」と思うようになり、それ以来わからないところはすぐに先生に質問したり、自分で細かく調べたりするようになりました。
2つ目は、発音を意識するようになった点です。以前は、どう読んで良いか分からず、何が間違っているのかも全く分かりませんでした。しかし、弁論大会に出場してからは母音弱化や音挿入などを意識するようになり、少しずつではありますが、正しい発音が分かるようになりました。弁論大会に出場していなければ、このようなことを意識することもなかったと思います。
◯最後に
先生方、弁論大会に出場するきっかけを与えてくださり、ありがとうございました。
原稿作成をはじめとするメールのやり取りをして頂いたモッタ先生、岐部先生ありがとうございました。
その他の先生方も、本番直前までアドバイスをしていただきありがとうございました。上手にできていたところを褒めてもらえたのは、モチベーションアップにつながりました。
このブログを読んで、少しでも弁論大会について興味・関心を持っていだけたのなら幸いです。
◯出場したきっかけ
弁論大会に出場したきっかけは、8月の中旬の夏休み中に「弁論大会に出場してみませんか」というメールをいただいたことです。その時点では正直、出場するか否かでとても迷っていました。
今まで大勢の人の前に立って話す経験がほぼなかった私が、ポルトガル語で5分も話せるのか。本番で緊張して頭が真っ白にならないかなど、まだやってもいない/起こってもいないことに対しての不安が募るばかりでした。しかし、弁論大会に出場することで自分を変えられるのではないか、ポルトガル語が少しでも上手くなるのではないかなど今後の財産になるに違いないと思い、迷いに迷った結果、出場を決めました。
◯本番までの動き
私の場合は8月末に弁論大会への出場を決めました。そこから、夏休みが終わり、秋学期が始まる9月中旬頃まで、日本語で弁論大会のテーマや内容を考えて決めました。
9月下旬〜10月の上旬頃まで、先生の力を借りながらポルトガル語に訳す作業をしました。ポルトガル語原稿が完成すると、10月中旬頃から本番の直前まで毎週水曜日の昼休みにモッタ先生の研究室へ行き発音を中心に練習をしました。モッタ先生のアドバイスを受け、次回までに改善するようにしていました。また、弁論大会の2週間ほど前から毎週水曜日の昼休みに私以外の出場者の3人の先輩方と学科の先生方とで集まって練習を行いました。先生方だけでなく、先輩方からのアドバイスもいただき、自分のできていないところが明確に分かりました。
文の暗記やジェスチャーに関しては、寝る前や通学時間を中心に練習を重ね、暗記しました。
◯本番
13時頃になると、他大学の出場者の方が続々と来られ、とても緊迫した雰囲気になったのを鮮明に覚えています。13時30分にトップバッターの方が弁論をはじめるのですが、あまりの上手さに心が折れてしまいました。次の方、またその次の方もほぼ詰まることなく、流暢に、身振り手振りをして、笑顔を浮かべて話しているのを見て、「絶対、自分が1番できてないやん…」と心の中で思い続けてしまったからか、いつしか頭が真っ白になってしまいました。最初の方はなんとか自分が会場に立って話している姿を想像したり、話の内容を整理したりとイメージができていました。
しかし、後半に入る前の10分休憩で何もできなくなり、今から前に立って話すということを想像していると失敗することばかり考え、逃げたくて逃げたくて仕方なかったのを覚えています。自分の名前が呼ばれてから、とても緊張しながら舞台に向かっている際も色々なことが頭をよぎりました。それでも、逃げたくない、しっかりやりきりたいという思いで舞台に立ちました。舞台に立って弁論を始めると、聴衆の皆さんが頷きながら聴いてくれていたため、とても話しやすい雰囲気にありました。5分間の弁論時間がとても一瞬に感じ、楽しかったのを覚えています。今まで人前で話すことが苦痛でしかなかった私が、楽しんで弁論できていたことに驚きました。それに、本番は自然とポルトガル語の文が頭に浮かんでほとんど詰まることなくスラスラと言えました。
◯出場してよかったと思うこと
出場して自分が変わったと思うことは2つあります。
1つ目は、勉強に対する意識が大きく変わり、より積極的に勉強しようと思えたことです。弁論大会に出場された方のほとんどが友達や先生、審査員の方とポルトガル語で会話されているのを見て、私も「この人たちみたいにポルトガル語でコミュニケーションとってみたい」と思うようになり、それ以来わからないところはすぐに先生に質問したり、自分で細かく調べたりするようになりました。
2つ目は、発音を意識するようになった点です。以前は、どう読んで良いか分からず、何が間違っているのかも全く分かりませんでした。しかし、弁論大会に出場してからは母音弱化や音挿入などを意識するようになり、少しずつではありますが、正しい発音が分かるようになりました。弁論大会に出場していなければ、このようなことを意識することもなかったと思います。
◯最後に
先生方、弁論大会に出場するきっかけを与えてくださり、ありがとうございました。
原稿作成をはじめとするメールのやり取りをして頂いたモッタ先生、岐部先生ありがとうございました。
その他の先生方も、本番直前までアドバイスをしていただきありがとうございました。上手にできていたところを褒めてもらえたのは、モチベーションアップにつながりました。
このブログを読んで、少しでも弁論大会について興味・関心を持っていだけたのなら幸いです。
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司会を担当してくれた在学生
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弁論中の的場さん
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集合写真






