2024/12/13 13:40:00 KUFSでの思い出(1)―加々美愛マリアンジェラさん(2009年度卒)
卒業生の今
岐部雅之
2009年度卒、加々美 愛と申します。ブラジル国籍の名前はMariângela Ay Kagamiです。
サンバミュージシャンの日本人の父と、日系ブラジル人の母の間に生まれました。
「二重国籍を持っているのにポルトガル語を話せない」ことがコンプレックスで、KUFSを受験しました。東京から京都の大学に進学する人は珍しいですが、この決断が私の人生を飛躍的に躍進させてくれました。
入学直後、初めて聞くポルトガル語文法なのに、スポンジが水を吸収するかの如く、1度の解説で内容がすんなりと入ってきました。幼少期からポルトガル語に触れているということもあったと思いますが、「これが私の生きる道だから、理解が早いんだ」と、1号館の教室で、根拠のない確信を持った瞬間を今でも覚えています。
KUFSでの生活は、今の私の礎です。どのような出来事や事件が私を成長させてくれたのか、印象的なエピソードをいくつか紹介いたします。
①ポルトガルセミナー
私は2年次から3年次に上がる春休みに参加しました。ブラジルにしか行ったことがなかった私にとって、ヨーロッパへのフライト時間はかなり短く感じられました。初めて行くポルトガルは美しく、刺激的で、必ずまた訪れたい国です。
発音の授業で、ブラジルにはない2つの母音[ɐ]と[ɨ]の音だけ、なかなか合格できなかったことを覚えています。それに付随して、お店などでブラジルのポルトガル語で話しかけてもなかなか通じなかったことも印象的でした。アジア人だと認識されると、気を利かせて英語で話しかけてくれたのもヨーロッパならではの風習です。「同じポルトガル語なのに、ブラジルとは全く違う文化なんだ」ということを身をもって感じました。
②京都研究プロジェクト
「各学科のそれぞれの言語で京都を案内する資料を作ろう」というプロジェクトがありました。私はそのチームに参加し、「京都よーじや」「太秦映画村」について調べ、先生方にご協力いただいてポルトガル語で観光資料を作りました。現在、サイト閲覧は休止中のようですが、京都という街に貢献できたことがとても嬉しく、また、その機会を作ってくださった大学のプログラムにも感謝しています。
※KUFSの思い出(2)に続く
サンバミュージシャンの日本人の父と、日系ブラジル人の母の間に生まれました。
「二重国籍を持っているのにポルトガル語を話せない」ことがコンプレックスで、KUFSを受験しました。東京から京都の大学に進学する人は珍しいですが、この決断が私の人生を飛躍的に躍進させてくれました。
入学直後、初めて聞くポルトガル語文法なのに、スポンジが水を吸収するかの如く、1度の解説で内容がすんなりと入ってきました。幼少期からポルトガル語に触れているということもあったと思いますが、「これが私の生きる道だから、理解が早いんだ」と、1号館の教室で、根拠のない確信を持った瞬間を今でも覚えています。
KUFSでの生活は、今の私の礎です。どのような出来事や事件が私を成長させてくれたのか、印象的なエピソードをいくつか紹介いたします。
①ポルトガルセミナー
私は2年次から3年次に上がる春休みに参加しました。ブラジルにしか行ったことがなかった私にとって、ヨーロッパへのフライト時間はかなり短く感じられました。初めて行くポルトガルは美しく、刺激的で、必ずまた訪れたい国です。
発音の授業で、ブラジルにはない2つの母音[ɐ]と[ɨ]の音だけ、なかなか合格できなかったことを覚えています。それに付随して、お店などでブラジルのポルトガル語で話しかけてもなかなか通じなかったことも印象的でした。アジア人だと認識されると、気を利かせて英語で話しかけてくれたのもヨーロッパならではの風習です。「同じポルトガル語なのに、ブラジルとは全く違う文化なんだ」ということを身をもって感じました。
②京都研究プロジェクト
「各学科のそれぞれの言語で京都を案内する資料を作ろう」というプロジェクトがありました。私はそのチームに参加し、「京都よーじや」「太秦映画村」について調べ、先生方にご協力いただいてポルトガル語で観光資料を作りました。現在、サイト閲覧は休止中のようですが、京都という街に貢献できたことがとても嬉しく、また、その機会を作ってくださった大学のプログラムにも感謝しています。
※KUFSの思い出(2)に続く
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サンパウロ留学中(2008年)