2024/03/22 10:20:00 弁論大会を振り返って③―松尾有紗さん(1年次)
- 在学生の声
- フェリッペ・モッタ
ブラジルポルトガル語学科1年次生の松尾有紗です。
今日は皆さんに私の弁論大会挑戦までの体験談と今後皆さんが少しでも挑戦してみたいと思っていただけるような感想をここに述べさせていただこうと思います。
1. 道のり・きっかけ
私は入学前から弁論大会が毎年開催されていることは知っていました。上位に入賞することが出来れば留学するチャンスがあるかもしれない副賞に魅力を感じ、チャレンジしようと決意していました。
出場が決まったのが遅く、本番までの時間は限られていましたが、今の自分の実力を知りたいとともに「挑戦することに意味がある、目の前にあるチャンスは逃したくない」と考えていた私はすぐに日本語の原稿作成から取り掛かりました。
2. 準備期間
本来ならば演題の内容からじっくりと考え日本語の原稿作成に取り掛かりたかったのですが、私の場合はとにかく時間がありませんでした。本番までギリギリということから内容にまとめやすく自分に合った話しやすく、尚且つ聴衆の方々に伝えたいことを紙に箇条書きで絞り出した後、2,3日程で日本語の原稿作成に取り掛かり完成させました。不運なことに体調も崩してしまったため正直時間は本当にないようにも思えていました。
日本語の原稿作成を終えると岐部先生に一度見ていただいた後に少し添削をしていただき、次はモッタ先生に最終的なチェックをしていただく必要があるので、完成した日本語を全てポルトガル語に翻訳しました。日本語とポルトガル語では異なるニュアンスや表現もあるので苦労をしました。私の場合、母や叔母にも協力をしてもらい完成させ、最終的なチェックと添削をモッタ先生にお願いをしました。
最終原稿が完成した時期と本番までの期間はちょうど2週間でした。ここから、大変な練習期間に入ります!
3. 当日までの練習期間
弁論大会に出場するということは、もちろん原稿が完成したら大丈夫というわけではありません。その長いながい原稿をすべて覚えて、表現力や抑揚を付けなければありません。最初は原稿を読んでも自分が書いた内容ではあるものの、分からない単語や発音できない単語で頭の中が混乱していました。先生が手本で読んで下さったように真似ようとすると、余計うまくいきませんでした。私の母はリオデジャネイロ出身なので、発音は少しモッタ先生と異なっていたようにも思えます。その為、母にいつも聞いてもらっては録音して練習の繰り返しでした。正直学校の先生や仲間、先輩方との共同練習よりも母との個人練習が一番しんどかったです(笑)
正直うまく出来ない、言えないそんな自分に腹が立ち迫り寄せるタイムリミットに焦り毎日泣きながら「もうやりたくない!できない!」と猛練習をし、土曜日、日曜日と合わせて一日中原稿とにらめっこしながら頭の中で日本語に翻訳しながら暗記をしました。週に1度行われる四名の出場者と先生方との合同練習は緊張でいっぱいでした。ですが、互いに良さを引き出しアドバイスしながら練習することで刺激をもらえたと思います。辛い時やうまくいかない時は先生方もお忙しい中、親身となって付き合ってくださいました。初めは緊張でいっぱいでしたが、京都外国語大学4名でともに出場出来て本当によかったと今となっては思えますし、クラスメイトや同学年で出場した青沼誠一郎君の存在は目標に向かって挑戦するうえで本当に大きかったです。
4. 本番
本番当日に自分の出番が何番か知ることが出来ました。最後だけは避けたいと正直思っていましたが、見事に18番目の最後の出場者でした。練習で舞台に立つ機会を頂いたのでほとんど緊張はしませんでした。ただ、全ての出場者の方の発表の後だったので少しプレッシャーと審査員の方の心をどう動かせるかが鍵になるのではないかと考えていました。前半と後半とで休憩時間もあったので、応援に来てくれていた家族とクラスメイトの応援のおかげで安心して舞台に立つことが出来ました。
5. 感想とまとめ
はじめは出場すらできないと思っていた私にとって、今回の弁論大会に出場する機会を頂けたことは本当に貴重な経験となりました。時間がないというのは事実ではありましたが、それを言い訳にせず今の自分の実力と向き合える機会だと自分に言い聞かせていました。正直すべてが楽しい思い出だけで張りませんでした。辛かったり、しんどかったり、不安になってテスト期間と被っていたこともありました。時間内に原稿を読めなかったり、発音できなかったりと自分に立ちはばかる壁は分厚く何枚もありました。ですが、その分たくさんの人に自分は支えられているのだと改めて気づくこともでき、クラスメイトだけでなく二名の先輩と私たち二名1年生の中の絆も深まったと思います。自分のルーツと過去と、そして今の自分と向き合う大切な時間となったと思います。
人前に立ち話すことが苦手という人の方が正直多いのではないでしょうか。しかし、目の前にあるチャンスとして皆さんにも是非挑戦してほしいと思います。やり切った後に得られる達成感は言葉にできないほどです。大会なので結果は順位として残りますが、楽しかった、頑張ってよかったと思えます!たくさんのライバルが他大学からも来ますが、みんなそれぞれ頑張った仲間という風に思えるようにもなりました。
話す内容はあなたの中に限りなくあると思います。伝えたいこと、実体験談でも何でも皆さんが話しやすいことを多くの人の前で是非語ってみてください。誰か一人にでもメッセージは届くと思います!
少しでも興味がある方、迷っている方、出ないで後悔するよりも絶対に出るほうが思い出にもなりますし自分のこれからの武器にもなります。たった3週間でも間に合った人もいます!私も当初は不安でしたが、間に合いましたし、先生方が全力で助けてくださいます!出場する前のあなたと、出場した後のあなたは絶対に違います!大きく成長していると思います。
少しでも多くの方にこの文を読んで、チャレンジしてみようかなと思ってもらえればと思います!
今日は皆さんに私の弁論大会挑戦までの体験談と今後皆さんが少しでも挑戦してみたいと思っていただけるような感想をここに述べさせていただこうと思います。
1. 道のり・きっかけ
私は入学前から弁論大会が毎年開催されていることは知っていました。上位に入賞することが出来れば留学するチャンスがあるかもしれない副賞に魅力を感じ、チャレンジしようと決意していました。
出場が決まったのが遅く、本番までの時間は限られていましたが、今の自分の実力を知りたいとともに「挑戦することに意味がある、目の前にあるチャンスは逃したくない」と考えていた私はすぐに日本語の原稿作成から取り掛かりました。
2. 準備期間
本来ならば演題の内容からじっくりと考え日本語の原稿作成に取り掛かりたかったのですが、私の場合はとにかく時間がありませんでした。本番までギリギリということから内容にまとめやすく自分に合った話しやすく、尚且つ聴衆の方々に伝えたいことを紙に箇条書きで絞り出した後、2,3日程で日本語の原稿作成に取り掛かり完成させました。不運なことに体調も崩してしまったため正直時間は本当にないようにも思えていました。
日本語の原稿作成を終えると岐部先生に一度見ていただいた後に少し添削をしていただき、次はモッタ先生に最終的なチェックをしていただく必要があるので、完成した日本語を全てポルトガル語に翻訳しました。日本語とポルトガル語では異なるニュアンスや表現もあるので苦労をしました。私の場合、母や叔母にも協力をしてもらい完成させ、最終的なチェックと添削をモッタ先生にお願いをしました。
最終原稿が完成した時期と本番までの期間はちょうど2週間でした。ここから、大変な練習期間に入ります!
3. 当日までの練習期間
弁論大会に出場するということは、もちろん原稿が完成したら大丈夫というわけではありません。その長いながい原稿をすべて覚えて、表現力や抑揚を付けなければありません。最初は原稿を読んでも自分が書いた内容ではあるものの、分からない単語や発音できない単語で頭の中が混乱していました。先生が手本で読んで下さったように真似ようとすると、余計うまくいきませんでした。私の母はリオデジャネイロ出身なので、発音は少しモッタ先生と異なっていたようにも思えます。その為、母にいつも聞いてもらっては録音して練習の繰り返しでした。正直学校の先生や仲間、先輩方との共同練習よりも母との個人練習が一番しんどかったです(笑)
正直うまく出来ない、言えないそんな自分に腹が立ち迫り寄せるタイムリミットに焦り毎日泣きながら「もうやりたくない!できない!」と猛練習をし、土曜日、日曜日と合わせて一日中原稿とにらめっこしながら頭の中で日本語に翻訳しながら暗記をしました。週に1度行われる四名の出場者と先生方との合同練習は緊張でいっぱいでした。ですが、互いに良さを引き出しアドバイスしながら練習することで刺激をもらえたと思います。辛い時やうまくいかない時は先生方もお忙しい中、親身となって付き合ってくださいました。初めは緊張でいっぱいでしたが、京都外国語大学4名でともに出場出来て本当によかったと今となっては思えますし、クラスメイトや同学年で出場した青沼誠一郎君の存在は目標に向かって挑戦するうえで本当に大きかったです。
4. 本番
本番当日に自分の出番が何番か知ることが出来ました。最後だけは避けたいと正直思っていましたが、見事に18番目の最後の出場者でした。練習で舞台に立つ機会を頂いたのでほとんど緊張はしませんでした。ただ、全ての出場者の方の発表の後だったので少しプレッシャーと審査員の方の心をどう動かせるかが鍵になるのではないかと考えていました。前半と後半とで休憩時間もあったので、応援に来てくれていた家族とクラスメイトの応援のおかげで安心して舞台に立つことが出来ました。
5. 感想とまとめ
はじめは出場すらできないと思っていた私にとって、今回の弁論大会に出場する機会を頂けたことは本当に貴重な経験となりました。時間がないというのは事実ではありましたが、それを言い訳にせず今の自分の実力と向き合える機会だと自分に言い聞かせていました。正直すべてが楽しい思い出だけで張りませんでした。辛かったり、しんどかったり、不安になってテスト期間と被っていたこともありました。時間内に原稿を読めなかったり、発音できなかったりと自分に立ちはばかる壁は分厚く何枚もありました。ですが、その分たくさんの人に自分は支えられているのだと改めて気づくこともでき、クラスメイトだけでなく二名の先輩と私たち二名1年生の中の絆も深まったと思います。自分のルーツと過去と、そして今の自分と向き合う大切な時間となったと思います。
人前に立ち話すことが苦手という人の方が正直多いのではないでしょうか。しかし、目の前にあるチャンスとして皆さんにも是非挑戦してほしいと思います。やり切った後に得られる達成感は言葉にできないほどです。大会なので結果は順位として残りますが、楽しかった、頑張ってよかったと思えます!たくさんのライバルが他大学からも来ますが、みんなそれぞれ頑張った仲間という風に思えるようにもなりました。
話す内容はあなたの中に限りなくあると思います。伝えたいこと、実体験談でも何でも皆さんが話しやすいことを多くの人の前で是非語ってみてください。誰か一人にでもメッセージは届くと思います!
少しでも興味がある方、迷っている方、出ないで後悔するよりも絶対に出るほうが思い出にもなりますし自分のこれからの武器にもなります。たった3週間でも間に合った人もいます!私も当初は不安でしたが、間に合いましたし、先生方が全力で助けてくださいます!出場する前のあなたと、出場した後のあなたは絶対に違います!大きく成長していると思います。
少しでも多くの方にこの文を読んで、チャレンジしてみようかなと思ってもらえればと思います!