2020/01/14 22:00:00 アフロ・ラテンアメリカを語る(10)
- ブラジル紹介
- 住田 育法
20世紀初頭、ブラジルに黒人大統領が誕生!
新春の1月11日 (土) 午後13時55分から15時30分まで本学161教室において「ブラジルの黒人エリート層―ブラジル奴隷制期に黒人や混血に対して公文書で用いられた分類」と題して、ブラジルのフルミネンセ連邦大学教授ニレウ・カヴァルカンティ(Nireu Cavalcanti)さん(写真参照)が講演をおこないました。
この講演では、アフロ・ラテンアメリカを語る(7)~(9)でも紹介したように、アフリカ人とその子孫を分類するためにリオデジャネイロで使用されているカテゴリーをニレウさんが紹介しました。つまり、黒人 (preto) やネグロ (negro)、クレオール (crioulo)、カブラ (cabra)、パルド (pardo)、ムラート (mulato)、カフーゾ (cafuso)です。この分類は、ポルトガルの奴隷制度の歴史とその法律、特に条例に基づいています。
ニレウ・カヴァルカンティさんの大きな指摘は次の3点でした。
まず第一に、カトリックの宗主国ポルトガルの植民地として黒人奴隷制が始まり、混血が生まれましたが、ブラジルではその混血には複雑な分類がなされたことです。黒よりも白が良いとされ、今もその判断の影響が残っています。
二つ目は、18世紀や19世紀において芸術や技能において天才的な能力を発揮したのは混血の人たちだったことです。特に、音楽や文学、建築学において際立っていました。
第三は、人種の多様性の中でブラジル社会は「黒人」をもっとも差別したことです。未来に向けて人種のグループが対立するのではなく、共存の姿勢を示すことが大切です。混血社会のブラジルはその手本を示すことができるでしょう。カリオカの異種族混淆文化を主張する著名な人類学者のロベルト・ダ・マタさんはニレウさんの友人です。マタさんのインタビューも参考に。
講演の終わりに、フロアから「未来のブラジルに米国のように黒人の大統領が生まれるでしょうか」と質問がありました。これに対してニレウ・カヴァルカンティさんは「すでにムラートの大統領はいます」とこたえ、「女性の大統領は出ましたが、黒人女性の大統領の誕生を期待します」と続けました。ムラートの大統領はニーロ・ペサニャ(Nilo Peçanha)です(写真参照)。
公式の分類
黒人
1) アフリカから直接到来した奴隷は、新奴隷 (escrevo novo)と呼ばれた。
a) ギネー (GUINÉ)黒人。16世紀、17世紀に到来。
b) 奴隷 (ESCRAVO), アフリカ生まれの黒人(PRETO): アンゴラ(Angola), カボヴェルデ(Cabo Verde), コンゴ(Congo), モンジョーロ(Monjolo), ミナ(Mina) など。
c) 自由アフリカ黒人(PRETO AFRICANO LIVRE)。ブラジル英国間で交わされた独人奴隷貿易禁止の1830年以降。
2)
a) クリオウロ(CRIOULO) = ブラジルで奴隷の母から生まれた者。
b) 解放されたクリオウロ(CRIOULO FORRO = 自由を獲得した者 (alforriado)。
c) 自由なクリオウロ(CRIOULO LIVRE) = 元奴隷の子、つまり自由人。
混血
3) パルド (PARDO) = 黒人白人間の最初の混血。
4) カブラ (CABRA) = パルドと黒人間の混血。
5) ムラト (MULATO) = パルドと白人間の混血。
6) カフーゾ (CAFUSO) = 先住民と黒人やパルド、カブラとの混血。
リオデジャネイロで際立っていたアフリカ人の子孫たち
PRETOS LIVRES (自由黒人)
● Cândido da Fonseca Galvão. Baiano (1834-1890) Príncipe Obá II パラグアイ戦争(1864 – 1870年)の英雄。
● João da Cruz e Souza. Catarinense (1861-1898)。詩人。
● Hemetério José dos Santos. Maranhense (1858-1939)。著述家、文献学者。
● Antonio Raphael Pinto Bandeira. Niteroiense (1863-1896)。画家。
● Valentim da Fonseca e Silva (Mestre Valentim)。Mineiro (1744-1813)。建築家。
PARDO 黒人と白人の混血
● José do Patrocínio. Fluminense (1853-1905)。奴隷解放主義者のリーダー。
● Francisco de Paula Brito. Carioca (1809-1861)。印刷業、作家。
● André Pinto Rebouças. Baiano (1838-1898)。エンジニア、作家。
● Luis Gonzaga Pinto da Gama. Baiano (1830-1882)。ジャーナリスト。
● Theodoro Fernandes Sampaio. Baiano (1855-1937)。エンジニア。
MULATO 混血と混血の間、あるいは混血と白人の間の混血に対する呼称
● Afonso Henriques de Lima Barreto. Carioca (1881-1922)。著述家。
● General Glicério (Francisco Glicério Cerqueira Leite). Paulista (1846-1916). 弁護士。
● Machado de Assis. Carioca (1839-1908)。黒人奴隷制下の首都に生まれ、父方の祖父母は黒人の解放奴隷、ブラジルを代表する作家に。
新春の1月11日 (土) 午後13時55分から15時30分まで本学161教室において「ブラジルの黒人エリート層―ブラジル奴隷制期に黒人や混血に対して公文書で用いられた分類」と題して、ブラジルのフルミネンセ連邦大学教授ニレウ・カヴァルカンティ(Nireu Cavalcanti)さん(写真参照)が講演をおこないました。
この講演では、アフロ・ラテンアメリカを語る(7)~(9)でも紹介したように、アフリカ人とその子孫を分類するためにリオデジャネイロで使用されているカテゴリーをニレウさんが紹介しました。つまり、黒人 (preto) やネグロ (negro)、クレオール (crioulo)、カブラ (cabra)、パルド (pardo)、ムラート (mulato)、カフーゾ (cafuso)です。この分類は、ポルトガルの奴隷制度の歴史とその法律、特に条例に基づいています。
ニレウ・カヴァルカンティさんの大きな指摘は次の3点でした。
まず第一に、カトリックの宗主国ポルトガルの植民地として黒人奴隷制が始まり、混血が生まれましたが、ブラジルではその混血には複雑な分類がなされたことです。黒よりも白が良いとされ、今もその判断の影響が残っています。
二つ目は、18世紀や19世紀において芸術や技能において天才的な能力を発揮したのは混血の人たちだったことです。特に、音楽や文学、建築学において際立っていました。
第三は、人種の多様性の中でブラジル社会は「黒人」をもっとも差別したことです。未来に向けて人種のグループが対立するのではなく、共存の姿勢を示すことが大切です。混血社会のブラジルはその手本を示すことができるでしょう。カリオカの異種族混淆文化を主張する著名な人類学者のロベルト・ダ・マタさんはニレウさんの友人です。マタさんのインタビューも参考に。
講演の終わりに、フロアから「未来のブラジルに米国のように黒人の大統領が生まれるでしょうか」と質問がありました。これに対してニレウ・カヴァルカンティさんは「すでにムラートの大統領はいます」とこたえ、「女性の大統領は出ましたが、黒人女性の大統領の誕生を期待します」と続けました。ムラートの大統領はニーロ・ペサニャ(Nilo Peçanha)です(写真参照)。
公式の分類
黒人
1) アフリカから直接到来した奴隷は、新奴隷 (escrevo novo)と呼ばれた。
a) ギネー (GUINÉ)黒人。16世紀、17世紀に到来。
b) 奴隷 (ESCRAVO), アフリカ生まれの黒人(PRETO): アンゴラ(Angola), カボヴェルデ(Cabo Verde), コンゴ(Congo), モンジョーロ(Monjolo), ミナ(Mina) など。
c) 自由アフリカ黒人(PRETO AFRICANO LIVRE)。ブラジル英国間で交わされた独人奴隷貿易禁止の1830年以降。
2)
a) クリオウロ(CRIOULO) = ブラジルで奴隷の母から生まれた者。
b) 解放されたクリオウロ(CRIOULO FORRO = 自由を獲得した者 (alforriado)。
c) 自由なクリオウロ(CRIOULO LIVRE) = 元奴隷の子、つまり自由人。
混血
3) パルド (PARDO) = 黒人白人間の最初の混血。
4) カブラ (CABRA) = パルドと黒人間の混血。
5) ムラト (MULATO) = パルドと白人間の混血。
6) カフーゾ (CAFUSO) = 先住民と黒人やパルド、カブラとの混血。
リオデジャネイロで際立っていたアフリカ人の子孫たち
PRETOS LIVRES (自由黒人)
● Cândido da Fonseca Galvão. Baiano (1834-1890) Príncipe Obá II パラグアイ戦争(1864 – 1870年)の英雄。
● João da Cruz e Souza. Catarinense (1861-1898)。詩人。
● Hemetério José dos Santos. Maranhense (1858-1939)。著述家、文献学者。
● Antonio Raphael Pinto Bandeira. Niteroiense (1863-1896)。画家。
● Valentim da Fonseca e Silva (Mestre Valentim)。Mineiro (1744-1813)。建築家。
PARDO 黒人と白人の混血
● José do Patrocínio. Fluminense (1853-1905)。奴隷解放主義者のリーダー。
● Francisco de Paula Brito. Carioca (1809-1861)。印刷業、作家。
● André Pinto Rebouças. Baiano (1838-1898)。エンジニア、作家。
● Luis Gonzaga Pinto da Gama. Baiano (1830-1882)。ジャーナリスト。
● Theodoro Fernandes Sampaio. Baiano (1855-1937)。エンジニア。
MULATO 混血と混血の間、あるいは混血と白人の間の混血に対する呼称
● Afonso Henriques de Lima Barreto. Carioca (1881-1922)。著述家。
● General Glicério (Francisco Glicério Cerqueira Leite). Paulista (1846-1916). 弁護士。
● Machado de Assis. Carioca (1839-1908)。黒人奴隷制下の首都に生まれ、父方の祖父母は黒人の解放奴隷、ブラジルを代表する作家に。