2019/04/05 20:50:00 ポルトガル語圏研究のすすめ (5)
ポルトガルのニュース
住田 育法
歴史研究の醍醐味は時空を遡って、過去の英雄たちの日常生活を知ることでしょう。
これを助けてくれるのが、参考文献に示された注釈です。
今回もルイス・フロイス著『日本史』を取りあげますが、学生の皆さんに伝えたいのは、日本語やポルトガル語の注釈によって、歴史上の出来事を楽しむ方法です。
松田毅一・川崎桃太訳『フロイス 日本史』(1977年10月20日、中央公論社) の第一巻「訳者序文」に次のように書かれています。
いずれ復刻されるはずの原文のテキストには、ローマ・イエズス会史学研究所所員が、欧文献をもって豊富な注釈を加えることが当然予想されるに鑑み、私たちの邦文版においては、主として日本側の古文書や文献、また史家の研究成果に基づく学注を付し、フロイスの記事と照合することに重点を置いた。(中略)
フロイスの「日本史」が十六世紀の末に西欧で刊行されなかった最大の理由は、あまりにも厖大であり過ぎたためであった。もしも翻訳書が吾人の手で完遂できない事態に至るならば、その理由もまた、本書が活瀚であり過ぎたためと言い得るのではあるまいか。しかし私どもは微力を傾ける所存であるし、万一のことあるも、かならずや本訳注を継承し達成してくださる後輩の出現を確信してやまぬ。
実は、訳書出版 (1977 - 1980年) とほぼ同じ時期に、原文のテキストと詳しい注釈を付した書物がポルトガルで出版された (1976 - 1984年) のです。今、私たちは、この両方を並べて、じっくり味わうことができます(写真)。
『フロイス 日本史 1』訳者 松田毅一 川崎桃太 1977年10月20日発行 中央公論社。
第二部47章 (1583年) から第二部103章 (1587年) まで。
『フロイス 日本史 2』同訳者 1977年12月20日発行 同社。
第二部110章 (1588年) から第三部56章 (1592, 93年) まで。
『フロイス 日本史 3』同訳者 1978年2月20日発行 同社。
第一部4章 (1550年) から第一部24章 (1560年) まで。
『フロイス 日本史 4』同訳者 1978年4月20日発行 同社。
第一部67章 (1565年) から第一部105章 (1575年) まで。
『フロイス 日本史 5』同訳者 1978年6月20日発行 同社。
第二部25章 (1580年) から第三部41章 (1593年) まで。
『フロイス 日本史 6』同訳者 1978年6月20日発行 同社。
第一部1章 (1549年) から第一部41章 (1563年) まで。
『フロイス 日本史 7』同訳者 1978年10月20日発行 同社。
第一部47章 (1563年) から第一部54章 (1564年) まで。
『フロイス 日本史 8』同訳者 1978年12月20日発行 同社。
第二部38章 (1563年) から第三部39章 (1564年) まで。
『フロイス 日本史 9』同訳者 1979年6月20日発行 同社。
第一部42章 (1563年) から第一部100章 (1573年) まで。
『フロイス 日本史 10』同訳者 1979年9月20日発行 同社。
第一部104章 (1574年) から第二部59章 (1584年) まで。
『フロイス 日本史 11』同訳者 1979年12月20日発行 同社。
第二部60章 (1585年) から第三部4章 (1590年) まで。
『フロイス 日本史 12』同訳者 1980年1月25日発行 同社。
第三部5章 (1590年) から第三部43章 (1593年) まで。
ポルトガルで1976年から1984年にかけて発行されたルイス・フロイス『日本史』の原文テキストの重要文献です。
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅰ Volume (1549 – 1564), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Outubro 1976.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅱ Volume (1565 – 1578), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Dezembro 1981.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅲ Volume (1578 – 1582), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Outubro 1982.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅳ Volume (1583 – 1587), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Maio 1983.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅴ Volume (1588 – 1593), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Dezembro 1984.
右下の写真のテキストは『フロイス 日本史 1』第一章の内容です。冒頭部分を紹介しましょう。
(織田) 信長が亡くなった後、日本の大部分は動揺し混乱した。そして、諸国、環境、また個人(生活) の上にあまりにも多くの変化があったので、あたかも突如として別世界が出現した観があった。オルガンティーノ師は、司祭、修道士たち、および当初安土にあった神学校を、最善を尽くして都の教会と新しい修道院に収容した。だがその地所は狭隘で、(神学校の) 少年たちは窮屈な思いをし、なんら娯楽もなく、彼らを収容するに足りる設備とてはなかったので、(オルガンティーノ) 師は、これらの少年たちを(どこに) 安全に、しかも楽々と収容し得ようかとその世話に大いに頭を悩ました。司祭はこの一件を (高山) ジュスト右近殿ならびにその父ダリオ (飛騨守) に打ち明けたところ、一同は種々の観点から、(彼らがいる) 高槻以上に適した場所を見出すことは不可能であるということで意見の一致をみた。
これを助けてくれるのが、参考文献に示された注釈です。
今回もルイス・フロイス著『日本史』を取りあげますが、学生の皆さんに伝えたいのは、日本語やポルトガル語の注釈によって、歴史上の出来事を楽しむ方法です。
松田毅一・川崎桃太訳『フロイス 日本史』(1977年10月20日、中央公論社) の第一巻「訳者序文」に次のように書かれています。
いずれ復刻されるはずの原文のテキストには、ローマ・イエズス会史学研究所所員が、欧文献をもって豊富な注釈を加えることが当然予想されるに鑑み、私たちの邦文版においては、主として日本側の古文書や文献、また史家の研究成果に基づく学注を付し、フロイスの記事と照合することに重点を置いた。(中略)
フロイスの「日本史」が十六世紀の末に西欧で刊行されなかった最大の理由は、あまりにも厖大であり過ぎたためであった。もしも翻訳書が吾人の手で完遂できない事態に至るならば、その理由もまた、本書が活瀚であり過ぎたためと言い得るのではあるまいか。しかし私どもは微力を傾ける所存であるし、万一のことあるも、かならずや本訳注を継承し達成してくださる後輩の出現を確信してやまぬ。
実は、訳書出版 (1977 - 1980年) とほぼ同じ時期に、原文のテキストと詳しい注釈を付した書物がポルトガルで出版された (1976 - 1984年) のです。今、私たちは、この両方を並べて、じっくり味わうことができます(写真)。
『フロイス 日本史 1』訳者 松田毅一 川崎桃太 1977年10月20日発行 中央公論社。
第二部47章 (1583年) から第二部103章 (1587年) まで。
『フロイス 日本史 2』同訳者 1977年12月20日発行 同社。
第二部110章 (1588年) から第三部56章 (1592, 93年) まで。
『フロイス 日本史 3』同訳者 1978年2月20日発行 同社。
第一部4章 (1550年) から第一部24章 (1560年) まで。
『フロイス 日本史 4』同訳者 1978年4月20日発行 同社。
第一部67章 (1565年) から第一部105章 (1575年) まで。
『フロイス 日本史 5』同訳者 1978年6月20日発行 同社。
第二部25章 (1580年) から第三部41章 (1593年) まで。
『フロイス 日本史 6』同訳者 1978年6月20日発行 同社。
第一部1章 (1549年) から第一部41章 (1563年) まで。
『フロイス 日本史 7』同訳者 1978年10月20日発行 同社。
第一部47章 (1563年) から第一部54章 (1564年) まで。
『フロイス 日本史 8』同訳者 1978年12月20日発行 同社。
第二部38章 (1563年) から第三部39章 (1564年) まで。
『フロイス 日本史 9』同訳者 1979年6月20日発行 同社。
第一部42章 (1563年) から第一部100章 (1573年) まで。
『フロイス 日本史 10』同訳者 1979年9月20日発行 同社。
第一部104章 (1574年) から第二部59章 (1584年) まで。
『フロイス 日本史 11』同訳者 1979年12月20日発行 同社。
第二部60章 (1585年) から第三部4章 (1590年) まで。
『フロイス 日本史 12』同訳者 1980年1月25日発行 同社。
第三部5章 (1590年) から第三部43章 (1593年) まで。
ポルトガルで1976年から1984年にかけて発行されたルイス・フロイス『日本史』の原文テキストの重要文献です。
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅰ Volume (1549 – 1564), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Outubro 1976.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅱ Volume (1565 – 1578), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Dezembro 1981.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅲ Volume (1578 – 1582), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Outubro 1982.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅳ Volume (1583 – 1587), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Maio 1983.
Historia de Japam, P. Luís Fróis, S. J. Edição anotada por José Wicki, S. J., Ⅴ Volume (1588 – 1593), Biblioteca Nacional de Lisboa, 1.ª ediçã – Dezembro 1984.
右下の写真のテキストは『フロイス 日本史 1』第一章の内容です。冒頭部分を紹介しましょう。
(織田) 信長が亡くなった後、日本の大部分は動揺し混乱した。そして、諸国、環境、また個人(生活) の上にあまりにも多くの変化があったので、あたかも突如として別世界が出現した観があった。オルガンティーノ師は、司祭、修道士たち、および当初安土にあった神学校を、最善を尽くして都の教会と新しい修道院に収容した。だがその地所は狭隘で、(神学校の) 少年たちは窮屈な思いをし、なんら娯楽もなく、彼らを収容するに足りる設備とてはなかったので、(オルガンティーノ) 師は、これらの少年たちを(どこに) 安全に、しかも楽々と収容し得ようかとその世話に大いに頭を悩ました。司祭はこの一件を (高山) ジュスト右近殿ならびにその父ダリオ (飛騨守) に打ち明けたところ、一同は種々の観点から、(彼らがいる) 高槻以上に適した場所を見出すことは不可能であるということで意見の一致をみた。
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1976 - 1984年にポルトガルで発行された『日本史』の原文テキスト版。
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原文テキスト版の注釈者José Wicki, S. J.、大阪城にて。
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松田・川崎訳『ルイス・フロイス日本史』和訳版 (右) と原文テキスト版 (左) の同じ内容のテキスト。