2019/04/03 10:40:00 ポルトガル語圏研究のすすめ (4)
ポルトガルのニュース
住田 育法
平成31 (2019) 年4月2日 (火) に、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイス著『日本史 (Hisória do Japão)』のポルトガル語の写本版全13巻 (写真) を京都外国語大学付属図書館分館アジア関係図書館で閲覧しました。
ご協力いただいた奥副館長ならびに藤田管理運営課主事に感謝申しあげます。この貴重な図書は、今から44年前の昭和50 (1975) 年5月に、本学付属図書館が全巻復元を果たしたものです。
前回に続いてルイス・フロイス著『日本史』を取りあげますが、学生の皆さんにお伝えしたいのは、外国語の写本を読む大切さと面白さです。
筆者は偶然にも、1974年のブラジル留学中に、文学作品の作家の手書き原稿を読む文献学の専門家マクシミアーノ・カルヴァーリョ・イ・シルヴァ (Maximiano Carvalho e Silva) 教授の指導により修士論文を執筆し、写本を読む技術の手ほどきを受けていました。しかし、『日本史』を専門とすることなく、21世紀の今、はじめて写本の復元版を閲覧し、当時の先生方の素晴らしい業績に感銘しているのです。それは、4世紀を超えて実現したルイス・フロイスと筆者との写本による「出会い」の感動です。さらに、今年104歳になられた訳者川崎桃太本学名誉教授の運命的な体験のことです。2019年3月31日 (日) に京都市山科のご自宅を訪問し、当時のことを先生から直接、お聞きすることができました (写真)。
川崎先生の説明は、1974年に永く行方知れずになっていた「写本」一部を含め、『日本史』の全てがポルトガルのリスボンで見つかり、これをマイクロフィルムで日本に持ち帰り、翌1975年に当時の森田嘉一図書館長のご尽力で全巻復元を果たした、とのことです。このポルトガル語にラテン語の混じる写本を読み、川崎先生が日本語に翻訳したそうです。
31日に川崎先生から賜った歌代幸子著『100歳の秘訣』(新潮新書、2018年、179 – 198ページ) の中に詳しく書かれています。
一部を紹介しましょう。
幻の写本
「今、思い返しても不思議な体験で、これこそ神のお導きだと思いました」
(略)
ポルトガル政府から奨学金を受けて留学したのは1974年7月。川崎はリスボンの小高い丘に立つ王宮図書館で、膨大な数の古文書と向き合っていた。62巻からなる「アジアにおけるイエズス会員の集書」の目録を作ることが目的で、難解な文字を相手に悪戦苦闘の毎日が続く。そして、1カ月余りが過ぎたある日のこと。
「今までに見た文字とは全く違う美しい文字で書かれた文書を見つけたのです。よく見ると、それがフロイスの『日本史』だった。衝撃を受けましたね」
フロイス直筆の原書は現存しない。もともとマカオのイエズス会の図書館に保管されていたが、19世紀の火災で焼失したのである (筆者注: マカオの聖パウロ天主堂のこと。天主堂は、1582年から1602年にかけてイエズス会会員によって建築。しかし1835年の台風時の火事によって焼失)。しかし、その1世紀前にポルトガル政府の命令により、マカオにある古文書は写本に収めて持ち帰られていた。川崎が発見したのは、奇跡的に救われた『写本』だった。
見た目には綺麗な文字でも、16世紀のポルトガル語とラテン語が入り混じる古文書は誰もが訳せるものではない。2つの言語に通じた川崎には天の配剤とも思われたが、重大な欠落部分があることに気づく。全巻のうち5年分の写本が抜けていたのだ。研究者たちも探し求めていたが、所在は謎めいたままだった。
(略)
国立中央図書館へ移り (略) 2冊の立派に製本された書物を抱えて現われる。表紙を開くと、美しい文字が目に飛び込んだ。
直接、川崎名誉教授にお会いして確認できたのは、本学付属図書館所蔵『日本史』全巻復元13巻に利用したマイクロフィルムは全て、そのとき川崎先生が持ち帰ったものだった、という事実でした。他に比べて解像度が格段に優れていたそうです。
さらに件の書物から引用しましょう。
当時、京都外国語大学には南蛮学の権威で、フロイスの研究者である松田毅一がいた。川崎が『日本史』の写本を持ち帰ったことを喜び、コンビを組んで翻訳を進めることになった。川崎が直訳した文章を、松田が流暢な文章に変えていく。
ご協力いただいた奥副館長ならびに藤田管理運営課主事に感謝申しあげます。この貴重な図書は、今から44年前の昭和50 (1975) 年5月に、本学付属図書館が全巻復元を果たしたものです。
前回に続いてルイス・フロイス著『日本史』を取りあげますが、学生の皆さんにお伝えしたいのは、外国語の写本を読む大切さと面白さです。
筆者は偶然にも、1974年のブラジル留学中に、文学作品の作家の手書き原稿を読む文献学の専門家マクシミアーノ・カルヴァーリョ・イ・シルヴァ (Maximiano Carvalho e Silva) 教授の指導により修士論文を執筆し、写本を読む技術の手ほどきを受けていました。しかし、『日本史』を専門とすることなく、21世紀の今、はじめて写本の復元版を閲覧し、当時の先生方の素晴らしい業績に感銘しているのです。それは、4世紀を超えて実現したルイス・フロイスと筆者との写本による「出会い」の感動です。さらに、今年104歳になられた訳者川崎桃太本学名誉教授の運命的な体験のことです。2019年3月31日 (日) に京都市山科のご自宅を訪問し、当時のことを先生から直接、お聞きすることができました (写真)。
川崎先生の説明は、1974年に永く行方知れずになっていた「写本」一部を含め、『日本史』の全てがポルトガルのリスボンで見つかり、これをマイクロフィルムで日本に持ち帰り、翌1975年に当時の森田嘉一図書館長のご尽力で全巻復元を果たした、とのことです。このポルトガル語にラテン語の混じる写本を読み、川崎先生が日本語に翻訳したそうです。
31日に川崎先生から賜った歌代幸子著『100歳の秘訣』(新潮新書、2018年、179 – 198ページ) の中に詳しく書かれています。
一部を紹介しましょう。
幻の写本
「今、思い返しても不思議な体験で、これこそ神のお導きだと思いました」
(略)
ポルトガル政府から奨学金を受けて留学したのは1974年7月。川崎はリスボンの小高い丘に立つ王宮図書館で、膨大な数の古文書と向き合っていた。62巻からなる「アジアにおけるイエズス会員の集書」の目録を作ることが目的で、難解な文字を相手に悪戦苦闘の毎日が続く。そして、1カ月余りが過ぎたある日のこと。
「今までに見た文字とは全く違う美しい文字で書かれた文書を見つけたのです。よく見ると、それがフロイスの『日本史』だった。衝撃を受けましたね」
フロイス直筆の原書は現存しない。もともとマカオのイエズス会の図書館に保管されていたが、19世紀の火災で焼失したのである (筆者注: マカオの聖パウロ天主堂のこと。天主堂は、1582年から1602年にかけてイエズス会会員によって建築。しかし1835年の台風時の火事によって焼失)。しかし、その1世紀前にポルトガル政府の命令により、マカオにある古文書は写本に収めて持ち帰られていた。川崎が発見したのは、奇跡的に救われた『写本』だった。
見た目には綺麗な文字でも、16世紀のポルトガル語とラテン語が入り混じる古文書は誰もが訳せるものではない。2つの言語に通じた川崎には天の配剤とも思われたが、重大な欠落部分があることに気づく。全巻のうち5年分の写本が抜けていたのだ。研究者たちも探し求めていたが、所在は謎めいたままだった。
(略)
国立中央図書館へ移り (略) 2冊の立派に製本された書物を抱えて現われる。表紙を開くと、美しい文字が目に飛び込んだ。
直接、川崎名誉教授にお会いして確認できたのは、本学付属図書館所蔵『日本史』全巻復元13巻に利用したマイクロフィルムは全て、そのとき川崎先生が持ち帰ったものだった、という事実でした。他に比べて解像度が格段に優れていたそうです。
さらに件の書物から引用しましょう。
当時、京都外国語大学には南蛮学の権威で、フロイスの研究者である松田毅一がいた。川崎が『日本史』の写本を持ち帰ったことを喜び、コンビを組んで翻訳を進めることになった。川崎が直訳した文章を、松田が流暢な文章に変えていく。
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戦国時代末期の激動を記録したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの『日本史』全巻が京都外国語大学付属図書館 (当時、森田嘉一館長) で1975年に復元。全13巻の貴重書。
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2019年3月31日 (日) に京都市山科の川崎先生 (左側) のご自宅を筆者、訪問。
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京都外国語大学付属図書館が1975年4月10日に入手したルイス・フロイス執筆の日本関係イエズス会文書 (1587年8月5日付、平戸発信) の一部と内容が一致する復元版の美しい写本の文字。