2013/05/22 10:50:00 西洋と東洋が出会うマカオ大学との交流
マカオのニュース
住田育法
過去、アジアにおける西洋の窓口として、また西洋にとって、アジア進出の拠点として重要な役割を演じてきたマカオは、現在、アジアにおけるポルトガル文化・言語普及の中心地として、1999年12月の中国返還後もなお、重要な役割を演じています。しかし特別行政区となって13年が経ち、中国の影響が、ヒト、モノ、カノの全てにわたって進展しています。欧米、とくに米国の影響も強まり、文化面では英語の普及が顕著です。1981年創立の東亞大学は1991年に国立マカオ大学となり、2011年創立30周年を迎えました。
歴史を学ぶ日本人にとって、過去、切支丹(キリシタン)が日本を追われてマカオに住みついたという事実に心を揺さぶられます。カトリック教会ではよく、聖職者や信徒らの遺骨を目に触れる箇所に安置していますが、日本人切支丹の遺骨の前に立つと異様な感慨に襲われます。遠藤周作の『沈黙』のテーマでもありますが、なぜ、当時の日本人は命を賭けてまでキリスト教を信じようとしたのか、また、ポルトガルの若い聖職者もなぜ、はるか東アジアの地に命を賭けてやって来たのか、との問いかけです。まだ答えに至っていません。
マカオ大学との交流は1987年7月、同大学の前身東亞大学開催のポルトガル語夏期講座に本学の学生20名が参加したことに始まります。翌1988年の第6回全日本学生ポルトガル語弁論大会から東洋ポルトガル院の前身マカオ文化院の奨学金が入賞者に贈られることになります。昨年14年に及ぶ成果としてマカオ大学創立30周記念『DITEMA(マカオ事典)』が完成し、本学理事長・総長森田嘉一先生に贈呈されました。そして2013年5月15日、創立32年目を迎えたマカオ大学副学長一行が本学を訪問しました。
現在、マカオ大学の留学生2名が本学で日本語を学んでいます。9月から本学のブラジルポルトガル語学科の学生2名がポルトガル語を学ぶために留学します。今回のマカオ大学副学長は永く米国と英国で学んだ香港生まれの中国人です。国際交流担当の2人の女性はマカオ人でした。マカオ大学は今年の8月から広大なキャンパスに移転して、日本との協定校も現在、18校に上っているそうです。まさに、西洋と東洋が出会うグローバルな大学の姿です。
歴史を学ぶ日本人にとって、過去、切支丹(キリシタン)が日本を追われてマカオに住みついたという事実に心を揺さぶられます。カトリック教会ではよく、聖職者や信徒らの遺骨を目に触れる箇所に安置していますが、日本人切支丹の遺骨の前に立つと異様な感慨に襲われます。遠藤周作の『沈黙』のテーマでもありますが、なぜ、当時の日本人は命を賭けてまでキリスト教を信じようとしたのか、また、ポルトガルの若い聖職者もなぜ、はるか東アジアの地に命を賭けてやって来たのか、との問いかけです。まだ答えに至っていません。
マカオ大学との交流は1987年7月、同大学の前身東亞大学開催のポルトガル語夏期講座に本学の学生20名が参加したことに始まります。翌1988年の第6回全日本学生ポルトガル語弁論大会から東洋ポルトガル院の前身マカオ文化院の奨学金が入賞者に贈られることになります。昨年14年に及ぶ成果としてマカオ大学創立30周記念『DITEMA(マカオ事典)』が完成し、本学理事長・総長森田嘉一先生に贈呈されました。そして2013年5月15日、創立32年目を迎えたマカオ大学副学長一行が本学を訪問しました。
現在、マカオ大学の留学生2名が本学で日本語を学んでいます。9月から本学のブラジルポルトガル語学科の学生2名がポルトガル語を学ぶために留学します。今回のマカオ大学副学長は永く米国と英国で学んだ香港生まれの中国人です。国際交流担当の2人の女性はマカオ人でした。マカオ大学は今年の8月から広大なキャンパスに移転して、日本との協定校も現在、18校に上っているそうです。まさに、西洋と東洋が出会うグローバルな大学の姿です。
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日本人切支丹の遺骨安置のマカオ聖パウロ天主堂跡 2012年11月
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マカオ大学ルイ・マルティンス副学長を訪ねて 2012年11月
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マカオ大学ホー副学長一行本学訪問 2013年5月