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ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS

お知らせ

2013/05/31 09:30:00 日本・ポルトガル交流470周年のまなざし

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  • Posted by住田 育法
平成25年の本年は天文12年の1543年に種子島に鉄砲が伝わって470年の節目にあたります。在ポルトガル日本国大使館では470周年関連情報のためのサイトを開設しています。次のアドレスからリンクできます。http://www.pt.emb-japan.go.jp/470Anos/index_jp.html

鉄砲伝来6年後の1549年にはバスク人のフランシスコ・ザビエルによりキリスト教が伝来しました。昨年、ブラジルでの調査を終えて、8月26日の夜リオからポルトに飛び、ヨーロッパ経由の帰国を利用して、翌27日から9月初旬まで、ポルトガル北部の教会や修道院のいくつかを訪問しました。ポルトガルのポルトから高速道路を北に走って、ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂のミサにも参列しました。コインブラでは天正少年使節以前に彼の地に渡り、洗礼を受け司祭となった、日本人の遺骨が安置されているという新大聖堂も訪れました。アジアの日本人として私は、ポルトガル各地の荘厳な建造物に身を置き、キリスト教徒の信仰心に畏敬の念を抱くことになります。

「ローマ教会に1つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で<穴吊り>の拷問をうけ、棄教を誓ったというのである」、という話からはじまる遠藤周作の『沈黙』が47年前に新潮社より刊行されました。この作品はポルトガル語にも翻訳されていますが、21世紀の今を生きるキリスト教徒にとって、この話題は深刻でしょう。ヨーロッパを訪問することなく、日本で殉教した日本人切支丹の遺骨がマカオの聖パウロ天主堂跡の地下聖堂に納められています。入口に「敬虔な信者もそうでない信者も共に、三百年以上もの間、ここに埋葬され永久の眠りについています」との説明があります。

海外からの訪問者に京都の神社や寺院を案内するとき、私が感動した、ポルトガルの重厚な建造物のことを考えます。そして、はるか昔の侍の時代、日本の若者が彼の地を訪問して味わったであろう、アジア人としての素朴な驚きの「まなざし」に思いを致します。
  • 鉄砲伝来記念像  種子島門倉岬  2011年3月撮影 鉄砲伝来記念像 種子島門倉岬 2011年3月撮影
  • サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂 サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂 2012年8月撮影
  • コインブラ新大聖堂 16世紀末にイエズス会により建造 コインブラ新大聖堂 16世紀末にイエズス会により建造 2012年9月撮影

2013/05/29 11:40:00 サンパウロ大学 QS世界ランキング 3年連続ラ米で1位!

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  • Posted by住田 育法
QS(Quacquarelli Symonds)世界大学ランキングでサンパウロ大学が2013年もラテンアメリカの大学で最高位をマークしました。なお、全世界における順位は139位ですので、ブラジルのサンパウロ州新聞(O Estado de S. Paulo)は「ブラジルの諸大学はラテンアメリカ地域では上位にあるが世界との距離は大きい」と、グローバルな競争力の向上を期待しています。

ともあれ、ブラジルポルトガル語学科創設46年を迎える本学にとって、交流協定校がラテンアメリカの大学ランキング1位であることは嬉しいことです。サンパウロ大学との交流は、日本ブラジル修好100周年記念の1995年に本学理事長・総長森田嘉一先生がサンパウロ大学フラーヴィイオ・ファーヴァ・デ・モラエス学長を訪問して始まりました。翌1996年5月モラエス学長が本学を訪問、交流協定に署名が為されたのです。2008年の日本人ブラジル移住100周年のとき、森田理事長はサンパウロを訪問、モラエス学長と再会を果たしました。

7年前の2006年より毎年1年間サンパウロ大学からの招聘教員を京都に受入れています。2006年度はアティリオ・アヴァンシニ先生、2007年度はガブリエル・アントゥネス・デ・アラウジョ先生、2008年度はディルマ・デ・メロ・シルヴァ先生、2009年度はジョエル・ラ・ライナ・セネ先生、2010年度はセリア・マリア・デ・モラエス・ディアス先生、2011年度はマルコ・グラウデ・ジアノッティ先生、2012年度はジョゼー・ルイス・プロエンサ先生、そして現在、8人目のフェリズベルト・コスタ先生が本学で教えています。
  • 2008年9月本学校友会サンパウロ支部会に集った皆さん 2008年9月本学校友会サンパウロ支部会に集った皆さん
  • 本学森田理事長(中央)、サンパウロ大学モラエス元学長(左)、ニノミヤ教授 2008年9月6日サンパウロにて 本学森田理事長(中央)、サンパウロ大学モラエス元学長(左)、ニノミヤ教授 2008年9月6日サンパウロにて
  • 京都で教えたサンパウロ大学招聘教授の皆さんといっしょに 2012年8月サンパウロ大学キャンパスにて 京都で教えたサンパウロ大学招聘教授の皆さんといっしょに 2012年8月サンパウロ大学キャンパスにて

2013/05/24 10:30:00 祇園に学ぶサントス監督とコスタ教授

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  • Posted by住田育法
ブラジルを代表する映画監督ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスご夫妻と3年まえの2010年5月、祇園の茶屋で懐石料理を楽しみました。サントス監督はブラジルの軍事政権期に映画制作に平行してフルミネンセ連邦大学で映画講座を開設、現在は同大学の名誉教授として後身の指導にあたっています。葵祭の5月にブラジル政府と本学の招聘で来日し、本学でブラジル映画について講演をしました。京都文化博物館開催の同監督映画上映会などの行事を終えて、監督は祇園を知る機会を得ました。

上七軒、祇園、先斗町など京都の花街が見せる京都文化の魅力は、京都の自然や工芸に繋がる繊細な美の世界でしょう。四季の変化の曖昧な国の人がこれを理解できるのは、その価値の普遍性ゆえかと思います。ホスピタリティーの観点からも、最高級の感性を味わえます。サントス監督をもてなす、茶屋の女将は、京ことばだけで、すなおに花街の価値観を伝え、なごやかな雰囲気を作りました。映像の世界で女性の美を描いてきた監督をさりげないおしゃべりでもてなす、京都の花街文化が見せる人間力です。

サンパウロ大学招聘教授フェリズベルト・コスタ先生は、仮面劇がご専門で、本年2013年3月末日の入洛以来、頻繁に能や狂言を鑑賞しています。舞妓の姿は、その化粧が「仮面」に通じると、歌舞伎同様、たいへん興味深いそうです。4月に祇園の都をどり、5月に先斗町の鴨川をどりを鑑賞しました。演劇の専門家のまなざして、物語の展開や舞台装置、お囃子などを熱心に分析しています。北野天満宮の近くに住んでいますが、3月の北野をどりのときはサンパウロでした。鞍馬のハイキングときの赤い服は4月の「天神さん」で買ったものです。紫式部の供養塔のあるゑんま堂も近所なので、さっそく念佛狂言を鑑賞したそうです。

サントス監督とは2010年から毎年リオでお会いしています。コスタ教授とは来年3月まで、ともに京都の四季の移ろいを楽しむことになります。2人の専門家のまなざしで、国際観光都市のリオと京都の魅力をそれぞれ楽しめることは望外の幸せです。
  • サントス監督ご夫妻と祇園の茶屋にて 2010年5月撮影 サントス監督ご夫妻と祇園の茶屋にて 2010年5月撮影
  • サントス監督映画「第三の岸辺」(1993年)の女優 (写真、監督提供) サントス監督映画「第三の岸辺」(1993年)の女優 (写真、監督提供)
  • 祇園歌舞練場前のコスタ教授 2013年4月19日 祇園歌舞練場前のコスタ教授 2013年4月19日

2013/05/19 18:40:00 進むブラジリア大学との交流

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  • Posted by住田育法
1960年4月の新首都誕生を祝う式典開催の翌1961年12月に、人類学者ダルシー・リベイロを理事長とするブラジリア大学基金が創設され、遷都2年目の1962年4月に大学が開かれました。いま、首都53歳、ブラジリア大学51歳です。経済の中心地サンパウロやリオから遠く離れた内陸部の首都建設に、当初、多くの人が不安を覚えたそうです。しかし21世紀となり、エリートだけのプラーノピロットではなく、周辺の衛星都市を加えた都市機能を基盤に、着実な発達を遂げつつあるようです。

本学とブラジリア大学との交流は、25年まえの1988年2月、当時、京都大学に招聘されていたブラジリア大学のテツロウ・ホリ教授が挨拶に来学し、翌1989年11月に本学理事長・総長森田嘉一先生が会長を務める京都ブラジル文化協会の例会において同教授が「ブラジリアの都市問題と建築について」講演したことでスタートしました。1990年11月、ブラジリア大学イバニェス学長一行の来学によって、本学との学術交流協定の調印が実現。1992年4月、第1回ブラジリア大学交換留学生が本学留学生別科に入学、同時に本学科の4回生が第1回派遣生としてブラジリア大学へ出発し、学生による交流が始まったのです。

その後2005年2月、私が研究代表を務めた文部科学省補助金研究会にブラジリア大学からグスターボ・リベイロ教授が参加、「ブラジリアの都市問題」について発表しました。2007年10月にはデボラ・ディニス教授が来日し、ブラジルの「人種民主主義」について講演。さらに、ブラジルは新興諸国BRICsの一員としてグローバルな展開を見せていますが、2011年11月には国際政治を専門とする同大学エドゥアルド・ヴィオラ教授を招き、「ディルマ・ルセフ政権下のブラジル外交政策について」英語で研究報告をしていただきました。

本年2013年には、京都の国際日本文化センター(日文研)で、ブラジリア大学根川幸男准教授根が研究代表となって「日本的教育文化の複数地域展開に関する比較研究」が行われています。ブラジル研究者として末席を汚していますが、地球を挟んでアジアと南米の交流を考える時間は、結構、楽しいです。
  • ブラジリアの大聖堂と国立博物館 2010年8月撮影 ブラジリアの大聖堂と国立博物館 2010年8月撮影
  • ヴィオラ教授ご夫妻とブラジリアのレストランで 2012年8月 ヴィオラ教授ご夫妻とブラジリアのレストランで 2012年8月
  • 日文研の共同研究会 2013年4月 日文研の共同研究会 2013年4月

2013/05/14 11:50:00 フルミネンセ連邦大学の恩師との絆

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  • Posted by住田育法
留学のためブラジルのリオに降り立って、39年5か月が経ちました。ブラジル国フルミネンセ連邦大学(以下、UFFと略す)との交流協定が結ばれ、日本国際教育協会の派遣留学生として1973年12月26日に羽田を出発、アンカレッジ、ロス、リマ経由で、翌27日午前8時過ぎにリオのガレオン空港に到着したのです。このリオで、来年はサッカーのW杯、3年後には夏季オリンピックが開催されます。

UFF大学院文学部のマクシミアーノ・カルヴァーリョ・イ・シルヴァ教授の指導により「ブラジル語法」の面からポルトガル語の弱勢人称代名詞の位置の問題について研究し、言語に表われたブラジルのナショナリズムを裏付けました。帰国後、このテーマについて修士論文(1975年)を提出し、ブラジルの文化的ナショナリズム台頭いちじるしい19世紀を強く意識した視座を持つことになります。

留学のとき、シルヴァ先生が48歳、私が25歳でした。ちょうど39年まえの留学中の4月25日(1974年)、ポルトガルで「カーネーション革命」または「リスボンの春」と呼ばれる軍事クーデターが起こり、カモンイス研究で知られるシルヴァ先生のポルトガルへの研究旅行が中止となりました。先生は私に、「住田、ポルトガルへ行かなくなったので、ブラジルで日本人のきみを指導する」とおっしゃって、通常の授業に加えて、本格的な論文指導を受ける機会を得たのです。

シルヴァ先生は1984年10月に本学で集中講義を行うため来日しました。その後、私がリオを訪問する際に出会いを重ね、UFF文学部名誉教授(1998年)になられた今も、交流は続いています。この7月5日、先生は87歳の誕生日を迎えます。
  • ニテロイ現代美術館(MAC)からリオを望んで  2012年8月撮影 ニテロイ現代美術館(MAC)からリオを望んで  2012年8月撮影
  • 85歳の誕生日(2011年)に奥様と MAC前にて 85歳の誕生日(2011年)に奥様と MAC前にて
  • 1974年UFF留学中の下宿前のニテロイ・ポルトガル・クラブ 2010年撮影 1974年UFF留学中の下宿前のニテロイ・ポルトガル・クラブ 2010年撮影

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