ページの先頭です。ページの本文へ

ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS


2013/06/23 20:10:00 二十歳を迎えた交流協定(2) 祝世界文化遺産登録決定

  • Categoryお知らせ
  • Posted by住田 育法
今から24年前の1989年、コインブラ大学文学部ルイス・レイス・トルガル教授が「コインブラ大学―700年間の歴史」と題して本学で講演を行いました。そしてきょう、2013年6月22日、1290年にポルトガル王ディニスⅠ世によって創立され、720年以上の歴史を誇る大学が、コインブラ市の高い地区アルタと低い地区ソフィアを含めて、世界文化遺産に登録されることを決めたのです。

おめでとうございます。

カンボジアのプノンペンで開催されている第37回ユネスコ世界遺産委員会で審議が為され、世界遺産一覧表に「記載」されることが決定されました。一覧表への正式な記載日は、第37回世界遺産委員会の審議最終日である6月26日になるそうです。

以下のネットからコインブラ大学のJoão Gabriel Silva学長のメッセージにアクセスできます。
http://ucv.uc.pt/ucv/podcasts/universo-uc/universidade-de-coimbra-alta-e-sofia-patrimonio-mu
  • コインブラ大学法学部前にて
  • コインブラ大学文学部前にて
  • ソフィア地区でファドを歌う学生たち

2013/06/22 10:20:00 2013年6月の歴史的大衆運動・街頭デモの素顔!(その3)

  • Categoryブラジルのニュース
  • Posted by住田 育法
日本との時差12時間のブラジル時間6月17日(月)の歴史的大衆運動も、ブラジル時間6月21日(金)、日本時間6月22日(土)午前、ようやく収束に向かうことになりそうです。私の印象は、豊かになったブラジルの、豊かになり始めた1990年代の親たちの子供たちが、21世紀の今引き寄せた、新しい民主主義の運動です。

1992年、世界の首脳をリオに集めて大規模な環境保護の国際会議ECO'92を開催し、一躍、世界の注目を浴びた新進気鋭のコロル大統領の汚職疑惑を批判して、ついに大統領を辞任に追いやった世代の子どもたちが、2013年の主役を務めたのです。夜遅くまで大衆運動に参加するには、確かに、親の許可が必要でしょう。リオのセントラルステーションのあたりは、スラムの近くですから、昼間でも治安は良くありません。その場所の夜に実施される大衆運動への参加を親が許したのは、親たちも若いころ、反政府の大衆運動に参加したからでしょう。

毎日、ブラジルのグローボ国際テレビのニュースを衛星放送で見ていますが、きょうブラジル時間の21日(金)夜8時半過ぎのジョルナル・ナシオナルは1時間あまり、大衆運動のことばかりでした。そのうえ、途中でジルマ・ルセフ大統領の国民への強いメッセージの放送もありました。興味深いのは、彼女自身、若いころ反軍政の立場で、大衆運動に参加していることです。「ブラジルが民主主義の国であることは素晴らしい。街頭で発せられた皆さんの声は、よく聞いています。しかし、暴力や破壊行為には反対です。民主主義的な大衆運動で見せた皆さんのエネルギーを、より良いブラジルの建設に使いましょう。サッカーのワールドカップはブラジル人には重要な意味を持ちます。なぜなら、過去5度の優勝を世界は暖かく受入れてくれました。今度は私たちが、その人たちを受入れる番です。」といったような内容でした。

1974年4月25日にポルトガルの独裁体制が終了したとき、赤いカーネーションが平和のシンボルに使われました。カーネーション革命と呼ばれました。ブラジルだと、黄色いイペーの花でしょうか。京都の春は、梅や椿、そして初夏の今は、紫陽花ですね。宗教や政治のイメージを消して、すなおに私のこころを理解していただくための方法です。
  • ブラジル代表チームのカナリア色のイペーの花
  • 今宮神社の赤い藪椿
  • 大徳寺の一隅の紫陽花

2013/06/22 02:20:00 2013年6月の歴史的大衆運動・街頭デモの素顔!(その2)

  • Categoryブラジルのニュース
  • Posted by住田 育法
今回の大衆運動は、W杯反対の運動のように見えますが、すでに述べたように、運動のキーワードは、「財政の無駄の改善」や「反汚職」、「生活向上」などです。大学教授や報道関係者、大学生が中心の私のフェースブックの友人が称えるのは、数十万人規模の平和的な示威運動の風景です。とくに、リオのセントラルステーション前のヴァルガス通りに30万人の民衆が集った光景は圧巻です。

サッカーのことで思い出すのは、昨年12月に「サッカーシューズの祖国」と題して本学で講演をしたフルミネンセ連邦大学のクレベル教授の解説です。教授は、ブラジルのサッカーの歴史は、ガリンシャ、ペレー、ジーコ、そしてドゥンガと辿れる、と述べました。最初のガリンシャは先住民と黒人の混血の貧しい家庭の子であり、その貧しさは、子供の時、治療を受けることができずに、背骨が曲がったまま成長したほどだったそうです。続くペレーも貧しい家庭の黒人で、そのハングリー精神が、強いサッカー王国を生んだと強調しました。しかしやがてジーコになると、彼は 貧しい中産階級の子だったのですが、黒人ではなく、都会に住む白人であり、スラムの住人ではなかったと、その変化に注目します。

そのころ、ソクラテスやトニーニョ、ファルカンらが、ジーコのように都会の同じような環境から登場しました。やがて1990年から2000年代初頭の時期になると、新聞が「ドゥンガの時代」と呼ぶ、新しい段階を迎えます。彼は今までとは異なり、南部の白人社会のドイツ系、イタリア系の中産階級の出身であり、経歴の当初から、ブラジル選抜級のサッカー選手を目指していたのです。これが今回の大衆運動に繋がります。つまり、比較的裕福な家庭のブラジル人が、サッカーを含めて、自らの日常生活の要求を、比較的グローバルなまなざしで提案するようになったのです。多くの人にとってサッカーがすべてではなく、単に、日常生活の一部となってきた、と言うのです。

講演の最後に、クレベル教授は、「ブラジルが豊かになり、スラムでサッカーに夢を描いて育つ子供が減ると、ブラジルのサッカー選手はガリンシャやペレーのように有能な人材を排出できなくなるかもしれない」と締めくくりました。今回の大衆運動は、本当にそうなるかもしれない「サッカーの祖国」の将来を予感させます。
  • 今回、30万人の平和な群衆が集まったリオのヴァルガス通り 『グローボ』紙報道写真より
  • 平日のセントラルステーション前のヴァルガス通り
  • 「ドゥンガの時代」はハングリーな選手を生まなくなる、と述べる教授

2013/06/20 03:50:00 2013年6月の歴史的大衆運動・街頭デモの素顔!(その1)

  • Categoryブラジルのニュース
  • Posted by住田 育法
ブラジルの友人の求めに応じて、フェースブックを始めて1年半。そして今、このソーシャルネットワーク空間において、歴史的な大衆運動のうねりの凄まじさを実感しています。舞台はブラジルの大都会。6月17日に歴史的大衆運動が始まって、2日後の19日に大衆運動の要求どおり、サンパウロとリオをはじめとする大都市の公共交通の運賃値上げ中止が認められました。大統領の訪日も延期になりました。来日に向けて、受入れの準備をしていた皆さんの気持ちを思うと残念ですが。

フェースブックの友人たちの情報に変化が起こり始めたのは、6月15日(土)、首都ブラジリアで開催された、ディルマ・ルセフ大統領出席のサッカー・コンフェデレーションズ・カップの日本対ブラジル戦で、ブラジルが勝利したころから。私が試合を観たのが16日(日)早朝。ブラジルは土曜日ですが、やがて日曜日を挟んで、17日の月曜日を迎え、街頭に集まった大衆の光景を称える情報が届き始めます。2016年にオリンピックの開催が予定されているリオの中心街に集まった10万人の民衆は、カーニバルのときとは違って、多くが肌の色の明るい知識層。「暴力行為」、「特定の政党の主張」を否定する運動ですから、穏やかに仲間と行進しながら、各自が手にしている携帯電話などで情報を発信するのです。騒ぎに乗じて、火をつけたり、破壊行為をする人を撮影し、ネット上で批判。

表現方法は、暴力反対に加えて、プラカードなどの主張や対話の重視です。私の友人のほぼ全員が、今回の大衆運動を喜んでいます。2013年6月17日、ブラジルで歴史的な大衆運動が始まったことだけは確かなようです。なぜ歴史的かといえば、警察官との激しい対立のない、極めて平和的な、大規模な街頭運動となっているからです。ブラジル地理統計院のこの10年間の資料によれば、ほぼ2千万人の極貧層がその境遇を脱し、4千万人のブラジル人が、月給千200米ドルの、ブラジルで新C階級と呼ばれる中間階層グループに属すようになったのですが、この変化が今回の大衆運動の背景にあるようです。さらに、米国に次ぐフェースブック利用者数世界2位というソーシャルネットワークの環境も大きく影響しているようです。

一見、W杯反対の運動のように伝えられていますが、今回の大衆運動のキーワードは、「財政の無駄の改善」や「反汚職」、「生活向上」などですから、決して、サッカーを否定しているのではありません。ともあれ、運賃値上げ反対要求を勝ちとった、ブラジルの新しい大衆運動の展開に拍手を送りましょう。
  • 6月17日夜、リオ市立劇場を囲んで集まった群衆 なお、劇場は普段どおりにバレーの公演を実施 『グローボ』紙報道写真より
  • サンパウロ政府、公共交通運賃値上げ断念 『グローボ』紙報道写真より
  • ブラジルの主要都市中心街の大衆運動風景 『グローボ』紙報道写真より

2013/06/17 14:30:00 二十歳を迎えた交流協定(1)

  • Categoryお知らせ
  • Posted by住田 育法
20年まえの1993年、第11回全日本学生ポルトガル語弁論大会が開催された11月27日(土)に、コインブラ大学との交流協定が調印されました。学術研究および教育の質的向上を目的として、日本とポルトガル両国の親善および相互理解を深めるためです。本学理事長・総長森田嘉一先生ならびに、コインブラ大学シルヴァ学長の代理として、文学部歴史学のジョゼ・アマド・メンデス教授が協定書に署名しました。もうひとり文学部地理学のルーシオ・クーニャ教授が同行して来日しました。

調印の4年まえの1989年11月、コインブラ大学文学部ルイス・レイス・トルガル教授が「コインブラ大学―700年間の歴史」と題して本学で講演を行い、同大学との関係がスタートしています。翌1990年2・3月のヨーロッパセミナー・ポルトガル班を私が引率したとき、コインブラ大学でトルガル教授に再会しました。そのときの研修地はリスボンだったので、トルガル教授経由で、当時のコインブラ大学の学長宛に、本学が「コインブラにおける<京都セミナー>を望んでいる」旨の連絡をしました。1992年2・3月にヨーロッパセミナー・ポルトガル班がコインブラ大学で始まり、これが今日まで続いています。

2002年11月18日にトルガル教授が、本学科創設35周年記念の公開講座の「映像と文化2002」で、「20世紀ポルトガルの映画―その美学と思想」と題して講演を行いました。4年後の2006年11月4日の「映像と文化2006年」では、同文学部アナ・パウラ・ドス・サントス・アルノー先生が、「ジョゼ・サラマーゴ―不安の文学」について講演しました。さらに2009年11月17日には同文学部長カルロス・アンドレー教授が、公開講座「映像と文化2009」において、「カモンイス―往時より今に生きる詩人」の題目で、生きたポルトガルの言語・文化情報を提供しました。

今年は種子島に鉄砲が伝わって470年目の記念の年です。日本・ポルトガル交流の歴史を祝う「南蛮」や「大航海時代」をキーワードとする行事が、コインブラ大学で進められているそうです。
  • トルガル教授夫妻とポルトガル北部ラメーゴ大聖堂の中庭にて 2010年9月3日
  • 講演会でカモンイスについて語るアンドレー教授 2009年11月17日
  • アルノー先生とコインブラで再会 2010年9月

Page top