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ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS


2018/01/08 00:00:00 『阿片戦争』を読みパクス・ブリタニカのマカオを想う (1)

  • Categoryマカオのニュース
  • Posted by住田 育法
 イベリア半島のポルトガルは、1143年にアフォンソ・エンリケスが国王として認められて王国の建設を果たし、1415年の北アフリカのセウタ占領で始まった大航海時代をリードしました。1498年のヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見、1500年のブラジル発見など輝かしい歩みが続きます。しかし重商主義と絶対王政の18世紀には植民地ブラジルともども、経済的に対英従属のシステムに組み込まれ、19世紀の1808年にはナポレオン軍の国土侵略に追われて、英国艦隊の護衛によって1万5千人の臣下たちとブラジルへ王室は逃れました。そして南米のブラジルのリオデジャネイロ (以下、リオと略す) に海洋帝国ポルトガルの新しい首都を置いたのです。

 このようなユニークで脆弱 (ぜいじゃく) な本国ポルトガルの支配下にあって、極東アジアのマカオは、東西交流の間で独自の発展を遂げてゆきます。

 さて私は2018年の正月、陳舜臣著2015年新装版の『阿片戦争』を読んでいます。小説のはじまりを私はいつも、著者のことばを辿りながら楽しみます。ちょうど新年1月に始まったNHKの大河ドラマ「西郷どん(SEGODON)」の時代が1840年の「阿片戦争」に重なっています。NHKでは薩摩と琉球、小説『阿片戦争』ではマカオと中国と欧米の繋がりでしょうか。

 第一部
 望潮山房主人

 清の道光 (どうこう) 12 年 (1832) 3月 2日は、太陽暦で4月2日にあたる。
 亜熱帯の福建省厦門 (アモイ) の町は、朝からすでにきびしい日ざしを浴びていた。
 厦門は岩石の島である。島内の名勝、大儒朱熹 (たいじゅしゅぎ) ゆかりの白鹿洞 (はくろくどう) や大虚法師開基 (たいきょほうしかいき) の南普陀寺 (なんふだじ) など、いずれも奇岩怪石で名高い。
 市城東郊に、一軒の豪壮な邸宅があったがその庭にも、いろんな形状の岩がちりばめられていた。
 邸の正面に大門があり、2 つの扁額 (へんがく) がならんでかかっている。
  鴻園
  飛鯨書院 (ひげいしょいん)
 達筆とはいえなかった。なぐり書いたような文字は、むしろ悪筆というべきか。隅に、『定庵 (ていあん)書』と署名されていた。


 台湾の西に位置する中国の厦門は、北回帰線が国の中央を走る台湾と同じく、熱帯に属しています。砂糖キビやマンゴー、バナナなどが育ちます。ポルトル人が支配したマカオは、さらに少し南。阿片戦争 (a guerra do ópio) の舞台となる香港とは珠江を挟んで海に面しています。
 21世紀の今、中国がシルクロードの現代版とも言える「一帯一路」と呼ぶ陸上と海上の東西交流の地理的発展を提示していますが、19世紀においては、イギリスが、強力な海軍力と大量のモノの取引によって、世界経済を支配していました。
 
  • 阿片戦争開始前と開始後の聖パウロ天主堂ファサード前の風景。
  • 第一次阿片戦争勃発の1839年のときの英国船と中国船の闘う場面。
  • 19世紀のころのポルトガルの帆船の模型。リスボンの海軍博物館で撮影。

2017/12/24 02:50:00 アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く (6)

  • Categoryブラジル紹介
  • Posted by住田 育法
 アフリカの土着宗教を継承する古都リオの祈り、カンドンブレ(Candomblé) の世界を取上げましょう。

 皆さんは、外国人を京都や奈良のお寺に案内して、仏像の謂れ (いわれ) を質問されたことはありませんか。例えば薬師如来像について、「私が知っている仏陀の像となぜ異なるのか」とか。答えのひとつは「仏がこの世に現われるとき、さまざまなお姿をされるため」でしょう。「宗教」ではなく「民族学」としての判断です。

 さて、今回のアフロの旅のテーマは、黒人宗教の神々の「像」のことです。まさに、いろいろなお姿に出会うのです。
 リオ北部地区のコンセイサンの丘 (Morro da Conceição) のヴァロンゴ庭園 (Jardim do Valongo) を訪れたとき、壁にカンドンブレにおける神々であるオリシャ (Orixa) の中の最年長の水の女神ナナン (Nanã) が祀られていました(写真)。親しみを込めて「お婆さん」とも呼ばれる女神ですから、おそらくこのヴァロンゴ地区(写真)が、北東部のサルヴァドールからリオにやってきた、シアタおばさん (Tia Ciata) のゆかりの地だからでしょう。女神ナナンは、静かで平和であるが頑固だそうです。服装は紫。シンクレティズム (syncretism) として、キリスト教に一致する聖人は聖サンタナ、聖アンナです。

 カンドンブレの神々は、ブラジル映画によく登場します。
 まず、フェルナンド・メイレーレス(Fernando Meirelles)監督の『シティ・オブ・ゴッド』の中で、映画の冒頭で「鶏が逃げた、捕まえろ」と叫ぶ主人公が、小さな子ども時代の1960年代から1970年代になって、銃を操り、弾丸で殺戮を繰りかえす大人になるとき、黒人宗教の伝道師から、精霊の力を授かりますそれは、宇宙の創造神であり、具体的には天地と運命を創造した最高神のオロドゥマレ (Olodumare) またはオロルン (Olorun) が最初に作ったオリシャである性欲と生命力を司る神エシュ(Exu) でした。この神の色は赤と黒、シンボルはオゴ (Ogo = ラッパとひょうたんで飾った杖) です。この映画を私は、公開とほぼ同時の2002年9月2日にリオ州ニテロイ市のイカライ映画館で見ました。その時、たいへん素晴らしい作品だと感動したことが思い出されます。当時のカルドーゾ大統領は、子どもたちもこの作品を見るように勧めていました。実はそのときは、このエシュ(Exu) の心霊を受けることで主人公が名をゼー・ペケーノ (Zé Pequeno) に変えて、そのとき極悪人に豹変する、という展開にはあまり気が付きませんでした。
 エクトール・バベンコ (Héctor Eduardo Babenco 1946 – 2016) 監督がリオを舞台とした銀行強盗団の生活を描いた『ルーシオ・フラーヴィオ、傷だらけの生涯 (Lúcio Flávio, o Passageiro da Agonia)』(1977年) で、平然と殺人を 犯す凶悪な犯罪者の日常を描いています。注目すべきは、黒人宗教について、ネルソン・ペレイラ監督の『リオ北部地区』でサンバの黒人作曲家を演じたグランデ・オテーロ (Grande Otelo 1915 - 1993) が、イエマンジャ (Iemanja)、これは映画ではジャナイーナ(Janaina)と呼んでいますが、この神を信仰し、フラーヴィオを気遣う低所得者層共同体 (comunidade) の住人を演じていることです。イエマンジャはオリシャたちの母であり、妊娠、出産を司ります。したがって、オグン(Ogum) と呼ばれる剣と盾を持ち、体中長い毛に覆われた戦いの神はそのイェマンジャの子とされています。白馬にまたがり槍を抱えて、不正を暴露するために世界中を旅してまわる姿は、観客にとって、フラーヴィオに重なります。 
 もうひとつ、映画が扱った神を紹介します。リオで仕事をした気鋭のグラウベル・ロッシャ (Glauber de Andrade Rocha 1939 – 1981) 監督の作品『アントニオ・ダス・モルテス(聖戦士に対する悪しき竜)』(1969年)の聖戦士です。映画の最後で勝利するのは、奴隷のような立場の黒人の聖戦士であり、成敗されたのは悪しき竜たる地主でした。神はオショシ(Oxossi) で、シンクレティズムとしてのキリスト教の聖人では聖ジョルジュや聖セバスチャンとなるそうです。
  • コンセイサンの丘 (Morro da Conceição) のヴァロンゴ庭園 (Jardim do Valongo) の壁面に祀られているカンドンブレ(Candomblé)の女神ナナン (Nanã)
  • 2017年、映画の舞台となったセントラル・ステーションが望めるヴァロンゴ庭園 (Jardim do Valongo) を歩く。
  • グランデ・オテーロが、イエマンジャ、あるいはジャナイーナと呼ぶ神を信仰し、レジナルド・ファリア (Reginaldo Faria) 演じる主人公フラーヴィオを気遣う低所得者層共同体 (comunidade) の住人を演じる。

2017/12/21 11:30:00 アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く (5)

  • Categoryブラジル紹介
  • Posted by住田 育法
 古都リオの魅力はコントラストの姿です。

 すでに何度か取上げているシュテファン・ツヴァイク (Stefan Zweig 1881 - 1942) は、1941年に発行の Brasil, um país do futuro (未来の国ブラジル) で次のように書いています。なお、同書はこの年に、ドイツ語版をストックホルムで、英語版やスペイン語版、スウェーデン語版、フランス語版をニューヨークで発行しています。ポルトガル語版はリオとポルトガルでの出版でした。

Arte dos contraste
   Para emocionar, uma cidade precisa ter em si tensões fortes e contrastes. Uma cidade que é só moderna é monó tona, uma cidade atrasada se torna cesconfrotável com o passar d o tempo. Uma cidade proletária traz tristeza, e um local de luxo provoca tédio e mau humor depois de algum tempo. Quando mais camadas uma cidade possui, e em quanto mais matizes de cores seus contrastes se graduem, mais atraente será: assim é o Rio de Janeiro. (2006年発行のポルトガル語版 p. 152)


コントラストのアート
 ある都市が人を感動させるためには、強力かつ対照的な緊張感を持たなければならない。近代的だけの都市は単調であり、遅れている都市は時がすぎれば快適でなくなる。プロレタリアートの都市は悲しく、豪華絢爛の町並みはときがたてば不機嫌かつ倦怠感がうまれる。1つの都市により多くの階層があればあるほど、またその階層により対照的な色彩の階段が刻まれていればいるほど、より魅力的となる。それがリオだ。


 日本の幕末から明治維新にかけてのころでした。南米ブラジルの古都リオは1822年にポルトガルからの独立を宣言したポルトガル王室の王子ペドロ一世、この息子で、ブラジル生まれのペドロ二世の時代 (1840 - 1889年) を迎えていました。厳格なヒエラルキーを基本とするエリート体制下の貴族と、黒人奴隷制度によってリオのコーヒー農園で働く黒い肌の男たちを、同時代かつ同一空間で受入れる社会が存在したのです。まさに、上流階層の貴族と下層階層の奴隷の好みが共存していたのです。興味深いのは、こうした二極社会が、特異な異種族混淆による日常生活の場で1つの古都リオのブラジル人を形成したことです。

 ブラジルの人類学者リア.ザノッタ・マシャードさんは、その社会は「家の外 (rua) ではリーダーである男が、屋内 (casa) においては、子育てや料理をする女性の《愛》によって支配される」ものであると説明しています。リア・ザノッタさんに影響を与えたリオを代表する文化人である人類学者のロベルト・ダ・マタさんは、この社会の特徴は「多様」ではなく「1つ」であることだと述べています。最近のインタビューで「リオの社会は貴族社会と奴隷社会が混淆した伝統的な1つの社会である」と語っています。

 古都リオのコントラストをネルソン・ペレイラ監督は映画『リオ40度』(1955年) で表現しています(写真)。これは同監督最初の長編映画です。それまでリオは、瀟洒 (しょうしゃ)な町並の国際観光都市 として描かれる傾向にありましたが、低所得者共同体で生活する黒人の子どもたちの日常生活を取りあげたことで、1960年代に起こる「新しい映画」誕生に息吹をもたらしたのです。写真の低所得者層の居住区は映画の舞台となったリオ北地区のスラムです。これはポルトガル語で favela と呼びますが、近年、comunidade という表現を用いるようになりました。

 21世紀の初頭、エリートではない北東部出身のルーラ大統領が誕生し、低所得者層への手厚い保護が一般化しました。社会格差の是正を掲げる連邦政府の強い意向でした。この傾向は中道右派の現政権でも引き継がれています。
  • リオ観光のシンボルのポンデアスーカル (Pão de Açúcar) と中心街手前の低所得者層居住地
  • サンバ発祥のコンセイサンの丘 (Morro da Conceição) から望む北地区の低所得者層居住地
  • 映画『リオ40度』の主役の子ども ネルソン・ペレイラ監督が写真提供

2017/12/17 16:00:00 アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く (4)

  • Categoryブラジル紹介
  • Posted by住田 育法
 江田島で生まれ、で育った私は海が大好きです。学生のとき、神戸港を出て 3度、当時の琉球に向けて客船で黒潮を下っています。3 度のうち 2 回は台湾に近い八重山諸島の石垣島まで行きました。

 さて、アフロ・ラテンアメリカのことです。アフリカ大陸に張り出したヨーロッパ最西端のポルトガルは、その地理的条件から、1415年に始まった大航海時代をリードしました。実は、その1415年以前の1317年にはすでに、ポルトガル海軍が創設されています。今年700周年を迎えます。コインブラ大学を創設したディニス王の治世 (1279 – 1325年)でした (写真)。ヨーロッパにとって大西洋のかなたにある古都リオが栄えることができたのは、そうしたポルトガルの海軍力のお陰です。大型帆船による航海術や大砲を駆使して、大海原を航行するポルトガルの貿易船を守ったのです。これには黒人奴隷貿易船も含まれていました。16世紀に始まる植民地時代にリオは、要塞都市として栄えます。内陸部のミナスジェライスで1693年に金が発見され、ブームとなった18世紀以降、この地に、アフリカから大量の黒人たちが奴隷として到来しました。黒人がアフリカからブラジルへ、金がブラジルからヨーロッパへ、ヨーロッパからブラジルへ工業製品が運ばれるという、三角貿易による大西洋 (写真) システムの完成です。
 
 大西洋に向かってリオの海岸に立つ (写真)と、海のかなたのアフリカ大陸を想像できます。この気持ちは黒い肌の人たちも同じだったのでしょう。海岸にはよく黒人宗教の祈りの品が置かれています。

 さてこのブログ「アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く」の(1)でも述べたオーストリアの文豪シュテファン・ツヴァイク (Stefan Zweig) は、リオの散策が大好きだと書いていますが、南米との出会いを以下のようにその著『マゼラン』で説明しています。海の好きな私が気に入っている説明です。大航海時代からの時の流れを思いながら、21世紀の今、そのマゼランの海の空間を感じてみましょう。

 私は昨年 (1936年) はじめて、長い間望んでいた南アメリカ旅行の機会を得た。ブラジルでは地上でもっとも美しい風景のいくつかが私の待ち受け、アルゼンチンでは精神の友人たちとの比類ない会合が私を待っていることを知っていた。この予感がすでに、航海をすばらしいものとしてくれた。そして、考えうるすべての快適なものが旅行中ついてまわった。靜かな海、広々とした快速船の上での完全なくつろぎ、すべての束縛や日々の煩労からの解放、私はこの航海の、天国のような日々を、測り知れぬほどに享受した。しかし、七日目か、八日目のことだったが、私は不意に腹立たしい焦慮にとらえられた。いつも繰返し青い空、青い靜かな海!このにわかな興奮の渦中にあって、航海の時間はあまりにおそく過ぎてゆくように思えた。私は心中、一刻も早く目的地に着くことを願った。実際、時計の針が毎日倦まず進んでくれることが何よりの楽しみとなり、不意にこの無為の、生ぬるい、投げやりの享受が私の心を悩ましはじめた。同じ人間の同じ顔が私を退屈させ、甲板作業の単調さは、その規則的に繰返される静穏さのために、かえって神経をいらだたせた。ひたすら先へ先へ!もっと速く、もっと速く!突然私は、この美しい、心地よい、楽しい快速船が、十分速いとは思えなくなった。
 私がいらだたしい状態を意識したのは、おそらく一瞬にすぎなかったろうが、それでもう私は自分がすっかり恥ずかしくなった。私は腹立たしくなって自分にこう言った。今、君はすべての船のうちでもっとも安全な船に乗って、この上ない美しい航海の旅に出ているのだ。(略)
 私は大自然に対して最初に戦いをいどんだ、あの (大航海時代の) 人々のことをもっとくわしく知り、少年時代に私を感動させた、未知の大洋へ乗り出した最初のころの航海に関する叙述を読んでみたい思いに駆られた。(略) ただ一つだけがこの上なく私を感動させた。それは、世界探検史上、もっとも大規模な事業を果たしたと思われる男、すなわちフェルディナント・マゼランの偉業であった。彼は五隻のとるに足らぬ小帆船でセビーリャから出航し、全地球を一周した――おそらく人類史上もっともすばらしいオデュッセイアと言えるであろうが、堅い決意を抱いて出帆した265名の男たちのうち、わずか18名のみが朽ちはてた船に乗って故郷へ帰りついたが (そこに彼の姿はなかった)、その船のマストには偉大な勝利の旗が高くかかげられていた。これらの書物には、彼についてあまり多くのことが伝えられてはいなかった。
  • ジェノヴァ人マヌエル・ペサーニャがポルトガル海軍提督に就任して700周年。コインブラ大学を創設したディニス王の治世 (1279 – 1325年)。
  • ブラジルをまっすぐ東に進むとアフリカ大陸が広がっています。
  • 要塞で挟まれた「海峡」の左手のグアナバラ湾と右に広がる大西洋。

2017/12/09 21:30:00 アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く (3)

  • Categoryブラジル紹介
  • Posted by住田 育法
 2017年8月17日 (土) に、古都リオ北地区 (Zona Norte)サンバ発祥の地であるコンセイサンの丘(Morro da Conceição)をゆっくりと歩きました。
 土曜日はスペイン語でもポルトガル語でもsábadoと綴ります。この金曜日の後、日曜日の前日の土曜日は、旧約聖書の『創世記』では、神が天地創造七日目に休息を取ったことに由来し、何も行ってはならないと定められた日とされています。

 旧約聖書 創世記
 第一章 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。(中略)
 第二章 こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終わって第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終わって休まれたからである。

 
 黒人奴隷の故郷アフリカのイスラム世界では、ムハンマドがメッカを脱出した金曜日が安息日です。
 さて土曜日はユダヤ教の安息日ですが、カトリック教徒の多いリオでは、教会に集まってミサを行うのは第一日目の日曜日です。ポルトガル語では、月曜日が第二日 (segunda-feira [注] 市を意味するfeiraはここでは曜日)、火曜日が第三日 (terça-feira)、水曜日が第四日 (quarta-feira)、木曜日が第五日 (quinta-feira)、金曜日が第六日 (sexta-feira)。しかし、土曜日は週末ということで、リオでは人々が集まって演奏会や楽しい飲食会が街の広場や路上で行われていました (写真)。

 ポルトガルから独立するころの19世紀に、リオのコーヒー栽培地帯などで働くために大量に輸入された黒人は、リオ北地区の埠頭に上陸しました。奴隷制時代には年間、万単位の数の到来でした。鎖に繋がれ、鞭に打たれて働いた黒人たちが、ひとときの自由を得たのは、逃亡したとき以外には、週末の金曜日や土曜日だったのでしょう。礼拝に行く日曜日の前の金曜日と土曜日に、アフリカ的な音楽を歌い、踊り、楽しい時間を送ったのでしょう。リオでサンバが生まれるころ、北東部のサルヴァドールからも黒人がやってきました。その1人がシアタおばさん (Tia Ciata) でした(写真)。
 
 アメリカ合衆国や中国に対して、国内総生産GDPの数字を掲げて国家としての経済成長を競う姿とは関係ない、異種族混淆のカーニバルとサンバのリオが、21世紀の今も続いているのです。それは、帝政の貴族社会の洗練された好みと黒人奴隷の強烈なエネルギーが融合した19世紀からの営みです。

 ちょうど時差12時間のリオでは、土曜日の京都は、金曜日の夜にあたります。カーニバルが近づく今、金曜日の夜6時から翌朝の4時ごろまで、コンセイサンの丘 (Morro da Conceição) の塩の石(Pedra do Sal) などで、毎週、演奏会が開かれています(写真)。
  • 土曜日のXV広場 (Praça XV) のアフロ音楽演奏リハーサル
  • アフロ音楽発祥ヴァロンゴ地区のコンセイソンの丘への階段横の有名なシアタおばさんの家 (Casa da Tia Ciata)
  • コンセイソンの丘の音楽家たち出会いの塩の石 (Pedra do Sal)

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