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マカオのニュース

2014/11/08 03:40:00 開設1周年のマカオ大学新キャンパスを訪問

  • Categoryマカオのニュース
  • Posted by住田 育法
 2014年11月4日に、本学の交流協定校マカオ(澳門)大学新キャンパスを訪問し、副学長ルイ・マルティンス教授やポルトガル語学科長フェルナンダ・ジル・コスタ先生にお会いしました。マルティンス副学長とはマカオが中国に返還される以前から交流があります。2013年11月5日に中国本土側の広大な敷地に、新キャンパスが開設されてちょうど1年目の訪問ですが、副学長は先週、新しい執務室に引っ越しを終えたばかりでした。

 丘の斜面を利用したタイパ島の旧キャンパスとは異なり、新キャンパスは、タイパ島とコロアネ島をつなぐ埋立地コタイの西側の中国本土の平坦な空間に創られています。中国本土ではありますが、広さ1.09平方キロメートルのキャンパスはマカオの法律が適用されるそうです。副学長からもらった新しい名刺の住所も、Macau、Chinaとなっていました。

 近いとは言え、京都からマカオへの旅には半日かかります。それでも、京都にはないポルトガル人のコミュニティが存在し、マカオ大学やマカオ理工学院聖ヨゼフ大学など複数の大学でポルトガル語を教えている旧知のポルトガル人たちに出会える空間は私には貴重です。はるか昔の大航海時代に日本を追われてマカオで生活したであろう切支丹の日々に思いを巡らせながら、旧市街を妻と散策するひと時は格別でした。

 
  • マカオ大学の新キャンパスを訪問
  • 副学長の新しい執務室から新キャンパスを望む
  • ポルトガル語学科長の新しい研究室にて

2013/11/12 10:00:00 マカオ大学、広大な新キャンパス開設

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  • Posted by住田 育法
 本学の交流協定校マカオ(澳門)大学が、2013年11月5日に中国本土側の広大な敷地に新キャンパスを開設しました。中国本土ですが、法律は「一国二制度」と呼ばれる特殊な制度で運用されているマカオの法律が適用されます。

 過去、アジアにおける西洋の窓口として、また西洋にとって、アジア進出の拠点として重要な役割を演じてきたマカオは、現在、アジアにおけるポルトガル文化・言語普及の中心地として、1999年12月の中国返還後もなお、重要な役割を演じています。しかし特別行政区となって13年が経ちました。1981年創立の東亞大学は1991年に国立マカオ大学となり、2011年創立30周年を迎え、2013年11月に新キャンパス開設を祝うことになったのです。

 広さ1.09平方キロメートルの新キャンパスは、マカオの西側にある広東省珠海市の横琴(Hengqin)新区内に完成し、マカオ側と海底トンネルで結ばれています。橫琴島(Hengqin Dao)はポルトガル語では"Ilha da Montanha"(山岳島)と呼ばれる96平方キロメートルの島です。3000人が居住し、島はマカオのタイパ島・コロアネ島に蓮花大橋で繋がっています。

 昨日2013年11月11日の日本経済新聞の夕刊にも以下のとおり、紹介されました。
 中国本土のようなインターネット規制が適用されないうえ、独自の教育プログラムを組める。中国政府の汪洋副首相を招いた式典を開き、マカオ側に正式に引き渡された。マカオ政府トップの崔世安(フェルナンド・チョイ)行政長官は式典で「この1.09平方キロメートル(のキャンパス)の上ではマカオ特別行政区の法律が適用される」と宣言。同大学の理事会トップにあたる謝志偉校董会主席も「一国二制度の下、過去にない全く新しい方法」と述べた。(香港=川瀬憲司)

 現在、マカオ大学の留学生2名が本学で日本語を学んでいます。本学からはブラジルポルトガル語学科の学生2名がポルトガル語を学ぶためにマカオ大学に留学中です。1名が派遣留学生、もうひとりは全日本学生ポルトガル語弁論大会の入賞者です。
  • コロアネ島から新キャンパスを望む
  • Hengqin Dao(橫琴島)を含むマカオ全図
  • マカオ大学留学中の本学の学生とポルトガルワインで乾杯!

2013/05/22 10:50:00 西洋と東洋が出会うマカオ大学との交流

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  • Posted by住田育法
過去、アジアにおける西洋の窓口として、また西洋にとって、アジア進出の拠点として重要な役割を演じてきたマカオは、現在、アジアにおけるポルトガル文化・言語普及の中心地として、1999年12月の中国返還後もなお、重要な役割を演じています。しかし特別行政区となって13年が経ち、中国の影響が、ヒト、モノ、カノの全てにわたって進展しています。欧米、とくに米国の影響も強まり、文化面では英語の普及が顕著です。1981年創立の東亞大学は1991年に国立マカオ大学となり、2011年創立30周年を迎えました。

歴史を学ぶ日本人にとって、過去、切支丹(キリシタン)が日本を追われてマカオに住みついたという事実に心を揺さぶられます。カトリック教会ではよく、聖職者や信徒らの遺骨を目に触れる箇所に安置していますが、日本人切支丹の遺骨の前に立つと異様な感慨に襲われます。遠藤周作の『沈黙』のテーマでもありますが、なぜ、当時の日本人は命を賭けてまでキリスト教を信じようとしたのか、また、ポルトガルの若い聖職者もなぜ、はるか東アジアの地に命を賭けてやって来たのか、との問いかけです。まだ答えに至っていません。

マカオ大学との交流は1987年7月、同大学の前身東亞大学開催のポルトガル語夏期講座に本学の学生20名が参加したことに始まります。翌1988年の第6回全日本学生ポルトガル語弁論大会から東洋ポルトガル院の前身マカオ文化院の奨学金が入賞者に贈られることになります。昨年14年に及ぶ成果としてマカオ大学創立30周記念『DITEMA(マカオ事典)』が完成し、本学理事長・総長森田嘉一先生に贈呈されました。そして2013年5月15日、創立32年目を迎えたマカオ大学副学長一行が本学を訪問しました。

現在、マカオ大学の留学生2名が本学で日本語を学んでいます。9月から本学のブラジルポルトガル語学科の学生2名がポルトガル語を学ぶために留学します。今回のマカオ大学副学長は永く米国と英国で学んだ香港生まれの中国人です。国際交流担当の2人の女性はマカオ人でした。マカオ大学は今年の8月から広大なキャンパスに移転して、日本との協定校も現在、18校に上っているそうです。まさに、西洋と東洋が出会うグローバルな大学の姿です。
  • 日本人切支丹の遺骨安置のマカオ聖パウロ天主堂跡 2012年11月 日本人切支丹の遺骨安置のマカオ聖パウロ天主堂跡 2012年11月
  • マカオ大学ルイ・マルティンス副学長を訪ねて 2012年11月 マカオ大学ルイ・マルティンス副学長を訪ねて 2012年11月
  • マカオ大学ホー副学長一行本学訪問 2013年5月 マカオ大学ホー副学長一行本学訪問 2013年5月

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