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ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS


2017/11/09 21:50:00 元ゼミ生の安部さん、アジアのポルトガル語圏東ティモールで活躍

  • Categoryお知らせ
  • Posted by住田 育法
 今から8年前の2009年度にポルトガル語圏歴史文化ゼミで「ブラジルにおける開発―農業に特化した資源大国の素顔―」と題する卒業論文を提出した安部久美子さんが、昨年2016年に青年海外協力隊員として、アジアにおけるポルトガル語圏東ティモールの2年間の活動を終えて帰国、故郷の兵庫県加古川市で帰国報告を行いました。その際、毎日新聞の取材を受けました。(参照:写真)

 加古川市のブログでも紹介されました。

【東ティモールで活躍! 青年海外協力隊】

 青年海外協力隊として派遣されていた安部さんが、帰国報告のために岡田市長を訪問しました。
 安部さんは平岡町在住。学生時代に農業が国の発展の手段となったことに興味を持ち、語学と農業の知識を高め、青年海外協力隊に初めて参加しました。...
 インドネシアの東側に位置する東ティモールは、独立してから14年目の新しい国です。食料はほぼ輸入に頼っているので、まずは自給自足を目指し、農業の普及に向けて取り組んでいます。安部さんは平成26年から今年6月までの2年間、現地で野菜栽培を指導しました。
 東ティモールの国立雇用職業訓練センターでは、18歳から20代半ばの働いていない若者に半年から1年の研修プログラムを組み、農業に必要な知識だけでなく仕事への意識なども指導します。現地ではさまざまな言語を使ってコミュニケーションをとる必要があり、同僚や研修生とお互いを理解し合うまでに時間がかかることもあったそう。
 安部さんは「大変なこともあったが、指導をした研修生が自覚や自信を持って成長していく姿を見ることにやりがいを感じました。これからも国際協力という分野に関わり、10代、20代の若い人が持っている力を引き出したい」と話し、市長もエールを送りました(参照:写真)。

 安部さんの卒業論文は以下のように始まっていました。

はじめに
 ブラジルは今や発展途上国と呼ばれることもなくなり、BRICs諸国などをリードする力を備えるほどの新興国となった。中国と並ぶ貿易大国にもなりつつあり、近年秘めた力をどんどん見せ始めてきている。2016年にはリオ・デ・ジャネイロでオリンピックが開催されることも決まり、ブラジルは今乗りに乗っている。そして日本にとってはただ遠く大きいだけの国ではなく、戦前から交流を持ち、互いに信頼を築いてきた関係である。我々とも関係深いブラジルを第5章に渡り、その可能性や問題点などを出来る限り多くの視点から考察した。資源大国ブラジルと呼ばれるようになったその背景を探るため、農作物やエネルギー産業などに重点を置いている。
  
 東ティモールの活動を終えて現在、安部さんは、フィリピンで活動を続けています。
 「お陰様で、東ティモールでの活動が終わってからもフィリピンと日本を行ったり来たりして、楽しく暮らしております。フィリピンに来てからはポルトガル語よりもスペイン語をよく聞くようになり、どんどんと色々な言語が混ざってしまいましたが・・・」

 ますますのご活躍をお祈りします。
  • 毎日新聞の取材を受けました。
  • 加古川市長の歓迎を受けました。
  • 東ティモールでポルトガル語圏諸国共同体の国際会議が開催されました。

2017/10/28 01:20:00 アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く (2)

  • Categoryブラジル紹介
  • Posted by住田 育法
 リオ中心街のルイス・デ・カモンイス通りを歩いていると、週末午後のブラジル民衆音楽の路上演奏会準備の人たちに遭遇 (写真)。夜が更けると、セントラルステーションに近いこの界隈は、ちょっとあぶない地区になるそうですが、まだ大丈夫でした。
 ブラジルの国民音楽の地位を獲得することになるサンバは、19世紀末の準備期間を経て20世紀初頭にリオの中心街で生まれました。ちょうど100年まえの1917年でした。いまだリオの街が、金持ちの舘の地区と貧しい黒人の住居を区別し終える前のことでした。中心街のプラッサ・オンゼ(第11広場)の近くにある北東部地方のバイーアから移ってきた黒人女性たちの店に、黒人の作曲家のピシンギーニャ(1898 - 1973年)やドンガ(1891 - 1974年)らが集まり、楽器を演奏したり、曲を作ったりしていたそうです。そのとき生まれた「ペロ・テレフォーネ(電話で)」が最初の正統サンバだと言われています。やがてそのサンバが、貧しい人が住む丘の低所得者層の地区や郊外へと広がったのです。
 中心街のリオ・ブランコ通りからプラッサ・キンゼ(第15広場)に向かう途中に、黒人の演奏家ピシンギーニャの像 (写真) があります。古くから買い物に便利なオウヴィドール通りを入ったところです。この辺りに彼はよく現われていたそうです。
 ちょうど今から170年まえにリオで生まれたブラジル民衆音楽の母シキーニャ (写真) について述べておきましょう。
 シキーニャは、ブラジル独立から四半世紀後の1847年10月17日にリオに生まれ、ヴァルガス革命5年目の1935年2月28日に、リオで一生を終えたカリオカです。その87年の生涯は、政治的独立を果たした直後のブラジルが、ヨーロッパとは違う固有の文化を求めて苦悩し、やがて誇りを獲得することになるブラジルの近代国家形成期に重なっています。
彼女は、ヨーロッパの洗練された音楽の伝統と、ブラジル黒人のダイナミックな民族音楽を融合させた、ブラジルの民衆音楽の創始者の一人として、首都リオを舞台に、華々しく活躍したのです。
  母親は黒人の血の入った貧しい混血女性でした。しかし、エリート階層の父親が正式に子としての認知を行い、母親とともに幸せな幼年期を送りました。
  リオの中心街の舘に住み、妹や弟とともによく学びよく遊び、日曜日には、ミサの後、舘のそばのパセーイオ・プブリコ庭園で吹奏楽団の演奏をよく聴いていたそうです。やがてカトリックの神父が家庭教師として、国語であるポルトガル語や外国語のフランス語、ラテン語、歴史地理などを教え始め、父親はそのとき、オーケストラの指揮者と契約して、彼女にピアノを正式に学ばせたそうです。若きピアニストのシキーニャは、11歳になった1858年のクリスマスのパーティーのとき、伯父エリゼウの指導で、生涯を通じて発表した2,000を超える音楽作品の最初の一曲を披露します。
 小さな音楽家シキーニャの誕生でした。
  • リオ中心街路上民衆音楽演奏会の準備風景
  • 中心街トラヴェッサ・ド・オウヴィドールのピシンギーニャ像と
  • ブラジル民衆音楽の母と呼ばれるアフロ・カリオカのシキーニャ

2017/10/25 20:50:00 アフロ・ラテンアメリカの古都リオを歩く (1)

  • Categoryブラジル紹介
  • Posted by住田 育法
 低所得者層の共同体と裕福な住人の地区が混在する、新世界ブラジルの古都リオデジャネイロ(以下、リオと記す)のコントラストを愛でたのは、かの地で没したオーストリアの文豪シュテファン・ツヴァイク (Stefan Zweig) でした。ユダヤ人の彼は、第二次大戦のヨーロッパを逃れて南米のブラジルに居場所を得たのです。
 晩年の作品『未来の国ブラジル』(写真・ポルトガル語版の表紙) の中で、民族差別の激しいヨーロッパとは異なり、ブラジルのコパカバーナの海岸では、低所得者層地区の丘 (Morro) から降りてくる黒人の子どもも、裕福な白人の海水浴客も、ともに同じ砂浜で平和に遊んでいると、ブラジルの姿を讃えています。曲がりくねっていて迷ってしまう街路も、これをたいそう気に入っていたツヴァイク。私も作家ツヴァイクのようにひたすら歩き、予期せぬ素敵な風景との出会いを楽しみました。
 ところで低所得者層の地区は、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の映画『リオ40度』では、古都のパノラマのひとつとして、風景に溶け込んでいます。丘に広がる空間は、夜になると宝石を散りばめたような夜景を演出します。真夏のカーニバルではその住民が主役となって、華やかな民衆文化の祭典が繰り広げられるのです。もっとも、この低所得者層の空間は、いつも「風景」として私は遠くから眺めるだけです。訪れるには、現地の研究者がいっしょでなければなりません。日本人のSUMIDAが訪問することを地区の「ボス」が許可し、その「ボス」の関係者が同行することが条件です。
 古都京都の週末を散策するように、アフロ・ラテンアメリカ音楽サンバのリズムが心地よい、古都リオをしっかり歩きました。危険な地区ではない、古いリオの空間です。
 大西洋の彼方のアフリカから黒人たちが奴隷という商品として運ばれ、ようやく降り立ったリオ。いま19世紀に造られたヴァロンゴ埠頭が世界遺産に登録され、にわかにユネスコの世界遺産の観光地として外国人観光客を集めています。サンバ誕生の北地区 (Zona Norte) です。土曜の午後は、ビールやサンバが陽気な住民の気分を盛り上げます。研究仲間の友人が住んで居いるので、私はコンセイソンの丘を毎年訪れています。古い歴史の香りの漂う、石畳の坂道は格別です。
 古都のリオ散策は、21世紀のいまも、素敵です。
  • 『未来都市ブラジル』ポルトガル語版の表紙
  • 街角のアフロ音楽の週末
  • コンセイサンの丘 (Morro) の街角の音楽家たち

2017/10/20 21:00:00 ドイツ人画家が19世紀に描いた埠頭がいま世界遺産に

  • Categoryブラジルのニュース
  • Posted by住田 育法
 大西洋システムにおけるアフロ・ラテンアメリカ研究を行うため、2017年8月に日本を出発しました。
 2016年と同じく、過去の大西洋圏黒人奴隷貿易に深く関わったポルトガル語圏のブラジルと、その本国ポルトガル、さらに大西洋上の黒人奴隷貿易の拠点であったアフリカのポルトガル語圏やカリブ海諸国のキューバにも視野を広げました。
 過去の5年間において私は、ポルトガル語圏諸国共同体CPLP所属の大国ブラジルの民主主義と社会「正義」実現の政策の研究を、中道左派のルーラとディルマの労働者党政権に注目して行ってきました。その結果、黒人低所得者層の初等・中等教育充実の必要性を考えるに至ったのです。
 そうした経緯から「黒人」に注目した今回の現地調査で、予期せぬ「遭遇」でしたが、アフロ・ラテンアメリカ文化のアイデンティティについて大きな成果を得ることができました。
 それは、ブラジルのリオデジャネイロにおいて、大西洋奴隷貿易末期に黒人奴隷を受け入れる場所として1811年に建設された港湾施設のヴァロンゴ埠頭の考古遺跡 (写真) が、ユネスコの文化遺産に2017年7月登録されたというアフロ研究の新しい展開に出会ったことです。私の大西洋システム研究の枠組みに「被支配者」たるアフロ・ラテンアメリカ人のまなざしを加えることになったのです。
 特に今回、この文化遺産登録の関係者のモニカ・ソウザ、ヴァルガス財団研究員 (写真) とのこれからの研究協力の約束を取り交わすことができました。ブラジルは2017年7月のユネスコ登録という快挙によって、「奴隷貿易」という過去の「負」の遺産を、21世紀において、アフロの立場から「プラス」の文化遺産に変えることができたのです。ちなみに、この地区は、サンパ発祥の「北地区」に位置しています。
 遺跡の隅に掲げられている埠頭を描いた絵(写真)は、ヨハン・モーリッツ・ルゲンダス(Johann Moritz Rugendas、生 1802年3月29日 - 没 1858年5月29日)というドイツ人画家の作品です。1821年にブラジルに到着して、ブラジルの各地を描き、1825年から1828年にかけてヨーロッパに帰りました。1827年から1835年にかけて記録となる書籍、Voyage Pittoresque dans le Brésil(趣深いブラジル旅行)を出版しました。
  • 多くの観察者を集めるヴァロンゴの遺跡
  • リオのFGVの研究者と共同研究を開始
  • ドイツ人画家が描いた19世紀の黒人奴隷の埠頭

2017/10/09 12:30:00 校友との懐かしい再会に感動!次回は来年2月に集合!

  • Categoryお知らせ
  • Posted by住田 育法
 2017年10月7日(土)に本学のキャンパスで懐かしい多くの「再会」がありました。ブラジルポルトガル語学科創設50周年記念の懇親会・記念誌編集委員会が開催されたのです。

 出席予定の卒業生の皆さんには、次のような案内を送りました。

 10月7日の予定を確認します。
 まず、京都外国語大学校友会の卒業生の集いに参加しましょう。
 校友会ホームページより
 いよいよ「卒業生の集い」が開催されます!
 10月7日(土)11:00~
(受付10:30~)
 森田記念ホールにて
 校友会総会・懇親会「卒業生の集い」を開催致します。
 当日参加申し込みも受け付けています。
 受   付 10:30~ 森田記念講堂ロビー
 第 一 部 総会 11:00~ 森田記念講堂
 第 二 部 懇親会 12号館リブレ


 続いて、ブラジルポルトガル語学科の同窓会の参加について
 ブラジルポルトガル語学科創設50周年記念懇親会・記念誌発行編集委員会
 日時
 2017年(平成29年)10月7日(土)
 校友会「卒業生の集い」後、17:00頃から上記の懇親会・委員会を開催。
 場所 
 新4号館432教室
 参加者の皆さんへのお願いです。
 1 会場となる教室は、一切の飲食が禁止されています。ご理解ください。
 2 参加者はほぼ、30名です。当日の突然の参加決定も歓迎します。
 3 記念誌発行のための編集会議は2018年2月に2度目を開催する予定。
 皆様にお会いできるのが楽しみです。
 ご不明なことは、どうか自由にご連絡ください。
 記念誌編集委員会幹事

 10年前の40周年記念同窓会には160名ほどが参加しましたが、今回の50周年記念は約40名ですから、規模が小さくなりました。しかし10年前に欠席した複数の皆さんが今回、出席しました。北は北海道、南は沖縄からと、飛行機を使った泊まりがけの参加の方もいました。
 数十年ぶりの再会でいつも感じるのは、互いに白髪やしわが増えているものの、つい数日前に会ったかのような気分になれることの不思議さです。私の同級生は10年ぶり、北海道からの後輩は21年ぶりでした。そのほか、41年・42年ぶりの人たちも。
 来年の2月、記念誌編集のための2度目の懇親会を行います。次回は飲食のための場所を作ります。多数の皆様の参加をお待ち申しあげます。
  • 10年前の2007年の40周年記念同窓会参加の皆さん
  • 今回の2017年校友会懇親会参加の学科卒業生の皆さん
  • 新4号館432教室で開催した記念誌編集懇親会参加の皆さん

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