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2023/09/27 09:50:00 トランスジェンダーとして生きるとは【全文】vol.3
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2023年9月に発行したGAIDAI BIBLIOTHECA(館報)で、「特集:ジェンダーを考える」に掲載された、本学の卒業生である松本友生さんへのインタビューの全文vol.3です。
榎本:ここからお伺いする内容を少し変えたいなと思うのですが、令和2年9月から「京都市パートナーシップ宣誓制度」が開始されました。この制度で救われた方は多いかなと思うのですが、ただ、マイノリティにはすごく認知された制度かもしれないのですが、マジョリティにはまだ認知度っていうのが低い気がしてるんですね。この制度によって良くなったことや、友生さんの立場からもっと改善しないといけないところっていうのがあれば、できれば具体的に教えていただきたいのですが。
松本:本当におっしゃってるとおり、当事者の中では本当に認知度は高くて、実際に利用してるカップルも僕の周りでも複数知っています。その人たちが使うことで生活における安心感にはつながっているという話を聞いて、良かったと思っています。その反面、その人たちがスムーズに使えなかったことも聞いています。「ちょっと確認します」と裏に持っていって「これどういうことですか」というようなことも聞いて、使っている本人たちはわかっていても、マジョリティ側が認知してない環境があります。例えば病院とかで。
榎本:持っていったときに、「これは何ですか?」となる。
松本:そうです。一から説明しないといけない。家を借りるときでも、同性カップルは借りにいくのでそれを見せても、「何ですかこれ?」と、使ったら使ったでストレスが生まれる。
榎本:やっぱりまだまだ認知度が低いんですね。
松本:パートナーシップ制度は、同性婚に向けての動きであってほしいって思っています。このままの制度で終わらずに同性婚の法制化に向けてどんどん広げていってほしい。今、この制度を導入している自治体は320と、どんどん増えていってるのですが。
榎本:日本でもだいぶ増えてきているということなんですね。
松本:そうですね。そういう動きを国が感じて、ちゃんと数字で何組利用していますと見せていく。必要としてる人がいるという、目安になるものであってほしいと思ってます。
パートナーシップのカード出したときに、結局は法的な効力がないから認知されないこともあって、パートナーが出産して、同じ家族になれないとか、亡くなったとき相続の権利がないとか問題点は山積で、パートナーシップ宣誓制度を使ってるのに、権利的には守られていないところが大きな問題です。国は、制度があるから暮らしやすくなったでしょうと止めてしまうのではなく、次のステップにしてほしいと思っています。
榎本:この前、広島でG7サミットが行われて、その直前になって慌ただしく国会でも「LGBT法案」が議論され始めたところがありますが、これに関してはどうお考えですか。
松本:広島サミットがあるから急いだのかなっていう感覚はありますね。法案の内容も結構、いろいろ議論されてるのかなとも思うのですが。
榎本:パートナーシップ宣誓制度からLGBT法案と、議論され始めて、日本はもしかしたら変わっていく、周りの人たちも少し変わってきてるんじゃないかと思う感覚っていうのはどうでしょうか、感じてきていますか?
松本:そうですね。周りの人というか、やっぱりニュースで出てきたりすると、また、そういう法案があるの?とか、やっぱり関心度はすごく高まってきています。
榎本:友生さんはカミングアウトをある程度されて生活されておられると思うのですが、そういうときに、こういう人からこういうこと聞かれるというような、ことはあったりしますか?
松本:「何か知ってる?」とか、「最近ニュースでやってるよね、日本でも結婚できるんだっけ?」「どうなってるの?」という会話はあります。
榎本:ラフな会話ですね。
松本:そうです。「今、実際どう?」みたいな。他人事のようなそういう言い回しなのかなって思います。
榎本:ある程度は他人事なんだろうと思うのですが、そういう話が出るということ自体が少しずつ日本が変わってきているのかなと思ったりするのですが。
松本:そうですね。関心度は高まってきているし、そういう話を当事者じゃない相手とできるといいなと思います。
榎本:今、友生さんは京都市内でLGBTQ+やアライの方も安心してつながり合える「カラフル」という団体を立ち上げられていますが、団体を立ち上げられた経緯や活動内容をお伺いしたいのですが。
松本:団体を立ち上げた経緯は、僕自身が自分らしくいてもいいと思える場所が欲しくて、学生時代のNYでの経験だったり、そのあと働いたゲストハウスの職場で、様々な背景や文化、もちろんセクシュアリティなどがある人と出会って交流する中で、前向きに自分と向き合うことができ、今の自分に繋がってきたことを感じているので、そういう環境を京都でも作りたいと思いました。まずは交流センターに行って「LGBTの団体やイベントとかありますか」と聞きに行ったら、そういう団体は無いと言われて、一応調べてくれたのですが、結局は、ないから案内できませんと言われて。「もし何か探しているのなら自分でやったらどう?」と言われました(笑)。
榎本:京都市からそう言われたのですか?
松本:そうですね。ひと・まち交流館という施設が河原町五条にあるのですが、家が近かったので行ったら、突き放されたという感覚があって、自分でやりなさいって。寄り添ってくれるというイメージではなくて、だから自分で考えようとなりました。
榎本:それで、立ち上げようと。
松本:そうです。まずどれぐらいの関心のある人が集まるんだろうとか、別に当事者じゃなくても関心のある人なら全然いいと。僕が、留学中に経験したみたいに、自然に話せる友人がいればいいかなと思い、関心のある人なら誰でもいいですと書きました。
その時、海外の人を交えた職場にいて、日本にいる海外の方は既にマイノリティで、結構困っていることが沢山あったり、僕もその人たちの生活をヘルプして、お互い助け合っているイメージがあって、そういう中で自然に受け入れる環境作りはできるのではないかと。いろんなマイノリティを重ねないと、日本人だけではダメだと感じて。LGBTは当事者だけの問題、海外の人はその人たちの問題と、何かカテゴライズすればするほど交わらなくなっていくので。
榎本:それこそがダイバーシティですね。
松本:僕、前の職場のときわざわざカミングアウトしてなかったんです。別に自然に伝えて受け入れられるような環境だったので。
榎本:わざわざカミングアウトをしなくていいところが大きなポイントなんですね。
松本:そうです。凄く居心地よかった。それはさまざまな国の文化や背景を持っている人が多かったから、LGBTは特別じゃないという理解のもと、自分が自然でいられる会社でした。僕はそういう環境を作りたかった。京都は留学生が多いので、手を貸してもらいたいなと、自分たちが前へ進むために環境つくりをしたいと思ってます。
榎本:どうやって立ち上げられたのですか?
松本:Meetupというアプリがあって、それはもともとアメリカで発信してるアプリなんですが、日本だったら料理教室とか、語学のためのコミュニティがあります。
榎本:なるほど。いろんなコミュニティがあるんですね。
松本:そうなんです。スポーツや文化などの様々なカテゴリーの中にLGBTもあって、ここだったら登録者数の半分以上は海外の人なので、このアプリを使って集めていきました。
LGBTというカテゴライズの中で交流会をしよう、気兼ねなくお茶をしながら話しましょうという感じでスタートしました。
榎本:今、活動はどういった事を主にされておられるんでしょうか。
松本:メインの活動は、毎月第2日曜日に鴨川のごみ拾いというイベントをしていて、あとは年に1回撮影会、プライド撮影会というイベントも行っています。
榎本:プライド撮影会というのは、どういったものですか?
松本:プライド撮影会は様々なメッセージを京都から発信しようと、鴨川でメッセージボード書いてもらいその場でそのボードを持ってもらい撮影をしています。
榎本:どこかで展示会などはされているのですか?
松本:展示会は今年度6月に京都大丸で展示を行います。あと今も四条通の地下道で、6月末プライド月間に合わせて展示会を行っています。
榎本:6月末までなんですね。
松本:今後は、亀岡市の市役所でも展示予定です。
榎本:京都市外でも行われるんですね。
松本:そうです。それは京都市ともつながりがあって、「まぁぶるスペース」というところで、京都市、亀岡市、長岡京市と共にLGBTのコミュニティを作っていて、そういったつながりで亀岡市でもやりませんかというお声をいただいてます。
榎本:京都市人権文化講座の講演会もされる予定がありますよね。
松本:あります。今まであまり講演とかは受けてこなかったのですが、その人権文化講座については、カラフルの紹介をしながら、LGBTのことに興味を持ってもらえるような、伝えたいことがあれば、出てもらえませんかという依頼だったので。
榎本:ありがとうございます。本当にたくさんお話をお伺いしました。最後に本学にもこういったジェンダーの問題ですごく悩んでいる学生や教職員もいると思うのですが、そういう方にお薦めの本があれば是非、教えていただきたいのですが。
松本:僕が悩んだときに読んでいた、『LapH(ラフ)』という雑誌です。これはFTMトランスジェンダーの体験談が載った本で。これは本当に僕が悩んでたときにインターネットで購入し、親にカミングアウトする際に使った本です、こういう方もいると、だから読んでほしいと。
テレビに出てる人じゃなく、身近にいる人の話が書いてあるので、助けられた1冊です。
あとは、双葉社から出ているLGBTER著者の『LGBTと家族のコトバ』という本です。
これは当事者だけではなくて、当事者にかかわる家族の気持ちも赤裸裸に書いてあります。
榎本:なるほど、それはいいですね。
松本:親の気持ちは100%わかりきれないと頭でもわかってるし、経験したものがお互い違うので、本心はその人にしかわからないと思って、やっぱり親はどう思ったのだろうなというのを想像できます。自分の思いだけではなく、親の思いも知れると、すごく勇気づけられ、参考になった言葉がたくさん載ってました。僕がLGBTERのインタビューを受けたあとに、親の本心ってどうだったのかと思うことが結構あって、そのときには手術もして戸籍も変わっていたのですが。
榎本:本心はどう思ってたのかということですね。
松本:そうです。やっぱりそれがずっとあって、今でもあります。確かめる必要もないですが、何となく想像ができるので。こういう同じような経験をした家族の言葉を参考に、親が言えない思いなどもきっとあると思って大事にしています。ふと読み返したりします。
榎本:あんなこと載ってたなって。
松本:そうです。参考です。
榎本:私も読んでみたくなりました。
松本:ぜひ。
榎本:本当に本日は、長時間さまざまなお話をありがとうございました。
松本:ありがとうございました。
榎本:ここからお伺いする内容を少し変えたいなと思うのですが、令和2年9月から「京都市パートナーシップ宣誓制度」が開始されました。この制度で救われた方は多いかなと思うのですが、ただ、マイノリティにはすごく認知された制度かもしれないのですが、マジョリティにはまだ認知度っていうのが低い気がしてるんですね。この制度によって良くなったことや、友生さんの立場からもっと改善しないといけないところっていうのがあれば、できれば具体的に教えていただきたいのですが。
松本:本当におっしゃってるとおり、当事者の中では本当に認知度は高くて、実際に利用してるカップルも僕の周りでも複数知っています。その人たちが使うことで生活における安心感にはつながっているという話を聞いて、良かったと思っています。その反面、その人たちがスムーズに使えなかったことも聞いています。「ちょっと確認します」と裏に持っていって「これどういうことですか」というようなことも聞いて、使っている本人たちはわかっていても、マジョリティ側が認知してない環境があります。例えば病院とかで。
榎本:持っていったときに、「これは何ですか?」となる。
松本:そうです。一から説明しないといけない。家を借りるときでも、同性カップルは借りにいくのでそれを見せても、「何ですかこれ?」と、使ったら使ったでストレスが生まれる。
榎本:やっぱりまだまだ認知度が低いんですね。
松本:パートナーシップ制度は、同性婚に向けての動きであってほしいって思っています。このままの制度で終わらずに同性婚の法制化に向けてどんどん広げていってほしい。今、この制度を導入している自治体は320と、どんどん増えていってるのですが。
榎本:日本でもだいぶ増えてきているということなんですね。
松本:そうですね。そういう動きを国が感じて、ちゃんと数字で何組利用していますと見せていく。必要としてる人がいるという、目安になるものであってほしいと思ってます。
パートナーシップのカード出したときに、結局は法的な効力がないから認知されないこともあって、パートナーが出産して、同じ家族になれないとか、亡くなったとき相続の権利がないとか問題点は山積で、パートナーシップ宣誓制度を使ってるのに、権利的には守られていないところが大きな問題です。国は、制度があるから暮らしやすくなったでしょうと止めてしまうのではなく、次のステップにしてほしいと思っています。
榎本:この前、広島でG7サミットが行われて、その直前になって慌ただしく国会でも「LGBT法案」が議論され始めたところがありますが、これに関してはどうお考えですか。
松本:広島サミットがあるから急いだのかなっていう感覚はありますね。法案の内容も結構、いろいろ議論されてるのかなとも思うのですが。
榎本:パートナーシップ宣誓制度からLGBT法案と、議論され始めて、日本はもしかしたら変わっていく、周りの人たちも少し変わってきてるんじゃないかと思う感覚っていうのはどうでしょうか、感じてきていますか?
松本:そうですね。周りの人というか、やっぱりニュースで出てきたりすると、また、そういう法案があるの?とか、やっぱり関心度はすごく高まってきています。
榎本:友生さんはカミングアウトをある程度されて生活されておられると思うのですが、そういうときに、こういう人からこういうこと聞かれるというような、ことはあったりしますか?
松本:「何か知ってる?」とか、「最近ニュースでやってるよね、日本でも結婚できるんだっけ?」「どうなってるの?」という会話はあります。
榎本:ラフな会話ですね。
松本:そうです。「今、実際どう?」みたいな。他人事のようなそういう言い回しなのかなって思います。
榎本:ある程度は他人事なんだろうと思うのですが、そういう話が出るということ自体が少しずつ日本が変わってきているのかなと思ったりするのですが。
松本:そうですね。関心度は高まってきているし、そういう話を当事者じゃない相手とできるといいなと思います。
榎本:今、友生さんは京都市内でLGBTQ+やアライの方も安心してつながり合える「カラフル」という団体を立ち上げられていますが、団体を立ち上げられた経緯や活動内容をお伺いしたいのですが。
松本:団体を立ち上げた経緯は、僕自身が自分らしくいてもいいと思える場所が欲しくて、学生時代のNYでの経験だったり、そのあと働いたゲストハウスの職場で、様々な背景や文化、もちろんセクシュアリティなどがある人と出会って交流する中で、前向きに自分と向き合うことができ、今の自分に繋がってきたことを感じているので、そういう環境を京都でも作りたいと思いました。まずは交流センターに行って「LGBTの団体やイベントとかありますか」と聞きに行ったら、そういう団体は無いと言われて、一応調べてくれたのですが、結局は、ないから案内できませんと言われて。「もし何か探しているのなら自分でやったらどう?」と言われました(笑)。
榎本:京都市からそう言われたのですか?
松本:そうですね。ひと・まち交流館という施設が河原町五条にあるのですが、家が近かったので行ったら、突き放されたという感覚があって、自分でやりなさいって。寄り添ってくれるというイメージではなくて、だから自分で考えようとなりました。
榎本:それで、立ち上げようと。
松本:そうです。まずどれぐらいの関心のある人が集まるんだろうとか、別に当事者じゃなくても関心のある人なら全然いいと。僕が、留学中に経験したみたいに、自然に話せる友人がいればいいかなと思い、関心のある人なら誰でもいいですと書きました。
その時、海外の人を交えた職場にいて、日本にいる海外の方は既にマイノリティで、結構困っていることが沢山あったり、僕もその人たちの生活をヘルプして、お互い助け合っているイメージがあって、そういう中で自然に受け入れる環境作りはできるのではないかと。いろんなマイノリティを重ねないと、日本人だけではダメだと感じて。LGBTは当事者だけの問題、海外の人はその人たちの問題と、何かカテゴライズすればするほど交わらなくなっていくので。
榎本:それこそがダイバーシティですね。
松本:僕、前の職場のときわざわざカミングアウトしてなかったんです。別に自然に伝えて受け入れられるような環境だったので。
榎本:わざわざカミングアウトをしなくていいところが大きなポイントなんですね。
松本:そうです。凄く居心地よかった。それはさまざまな国の文化や背景を持っている人が多かったから、LGBTは特別じゃないという理解のもと、自分が自然でいられる会社でした。僕はそういう環境を作りたかった。京都は留学生が多いので、手を貸してもらいたいなと、自分たちが前へ進むために環境つくりをしたいと思ってます。
榎本:どうやって立ち上げられたのですか?
松本:Meetupというアプリがあって、それはもともとアメリカで発信してるアプリなんですが、日本だったら料理教室とか、語学のためのコミュニティがあります。
榎本:なるほど。いろんなコミュニティがあるんですね。
松本:そうなんです。スポーツや文化などの様々なカテゴリーの中にLGBTもあって、ここだったら登録者数の半分以上は海外の人なので、このアプリを使って集めていきました。
LGBTというカテゴライズの中で交流会をしよう、気兼ねなくお茶をしながら話しましょうという感じでスタートしました。
榎本:今、活動はどういった事を主にされておられるんでしょうか。
松本:メインの活動は、毎月第2日曜日に鴨川のごみ拾いというイベントをしていて、あとは年に1回撮影会、プライド撮影会というイベントも行っています。
榎本:プライド撮影会というのは、どういったものですか?
松本:プライド撮影会は様々なメッセージを京都から発信しようと、鴨川でメッセージボード書いてもらいその場でそのボードを持ってもらい撮影をしています。
榎本:どこかで展示会などはされているのですか?
松本:展示会は今年度6月に京都大丸で展示を行います。あと今も四条通の地下道で、6月末プライド月間に合わせて展示会を行っています。
榎本:6月末までなんですね。
松本:今後は、亀岡市の市役所でも展示予定です。
榎本:京都市外でも行われるんですね。
松本:そうです。それは京都市ともつながりがあって、「まぁぶるスペース」というところで、京都市、亀岡市、長岡京市と共にLGBTのコミュニティを作っていて、そういったつながりで亀岡市でもやりませんかというお声をいただいてます。
榎本:京都市人権文化講座の講演会もされる予定がありますよね。
松本:あります。今まであまり講演とかは受けてこなかったのですが、その人権文化講座については、カラフルの紹介をしながら、LGBTのことに興味を持ってもらえるような、伝えたいことがあれば、出てもらえませんかという依頼だったので。
榎本:ありがとうございます。本当にたくさんお話をお伺いしました。最後に本学にもこういったジェンダーの問題ですごく悩んでいる学生や教職員もいると思うのですが、そういう方にお薦めの本があれば是非、教えていただきたいのですが。
松本:僕が悩んだときに読んでいた、『LapH(ラフ)』という雑誌です。これはFTMトランスジェンダーの体験談が載った本で。これは本当に僕が悩んでたときにインターネットで購入し、親にカミングアウトする際に使った本です、こういう方もいると、だから読んでほしいと。
テレビに出てる人じゃなく、身近にいる人の話が書いてあるので、助けられた1冊です。
あとは、双葉社から出ているLGBTER著者の『LGBTと家族のコトバ』という本です。
これは当事者だけではなくて、当事者にかかわる家族の気持ちも赤裸裸に書いてあります。
榎本:なるほど、それはいいですね。
松本:親の気持ちは100%わかりきれないと頭でもわかってるし、経験したものがお互い違うので、本心はその人にしかわからないと思って、やっぱり親はどう思ったのだろうなというのを想像できます。自分の思いだけではなく、親の思いも知れると、すごく勇気づけられ、参考になった言葉がたくさん載ってました。僕がLGBTERのインタビューを受けたあとに、親の本心ってどうだったのかと思うことが結構あって、そのときには手術もして戸籍も変わっていたのですが。
榎本:本心はどう思ってたのかということですね。
松本:そうです。やっぱりそれがずっとあって、今でもあります。確かめる必要もないですが、何となく想像ができるので。こういう同じような経験をした家族の言葉を参考に、親が言えない思いなどもきっとあると思って大事にしています。ふと読み返したりします。
榎本:あんなこと載ってたなって。
松本:そうです。参考です。
榎本:私も読んでみたくなりました。
松本:ぜひ。
榎本:本当に本日は、長時間さまざまなお話をありがとうございました。
松本:ありがとうございました。
2023/09/27 09:50:00 トランスジェンダーとして生きるとは【全文】vol.2
- 学生紹介
- 付属図書館
2023年9月に発行したGAIDAI BIBLIOTHECA(館報)で、「特集:ジェンダーを考える」に掲載された、本学の卒業生である松本友生さんへのインタビューの全文vol.2です。
榎本:学生時代に留学に行かれたと聞いてるのですが、留学先の国を選んだ理由、留学中のエピソードというのも、お聞かせください。
松本:もともとは旅行で、NYで仕事をしている知り合いがいて、「英語勉強してるんだったら遊びにおいでよ」って声かけてもらって2週間ぐらい遊びに行きました。印象としては、いろんな人種の人がいて、文化も入り混じっていて、たった2週間いただけでも、キラキラしていて楽しそうで、友達作りしながら、英語を勉強したいなと、座って勉強というより、コミュニケーション取って、もっとしゃべれるようになりたいという思いが芽生えました。
榎本:旅行中に留学を決めたんですね。
松本:家帰ったら、親に話をして、外大は1年休学校して、NYの語学学校に行きました。自分で手続きして、学校や家や何か見て、学生ビザを取得して。1年2カ月とか、ぎりぎりまで行ってました。
榎本:その留学中にいろいろあったと思いますが、お話を聞かせてください。
松本:現地の人とルームシェアみたいなかたちで、暮らすようになって。そこでルームメイトや、周りの友達を家に呼んで、みんなで遊んだりしていて、その中にたまたまゲイの方がいました。最初全然知らなくて、ある日「パートナーを連れてくるけどいい?」と、ルームメイトに聞いていて。本当に自然な会話で、その後、カップルで遊びに来て、みんな普通にごく自然にいるんです。別にそこがLGBTのコミュニティってわけではなく、自然に遊んで、話をして、何の特別もない。
榎本:普通に一緒にいたんですね。何の違和感もなく。
松本:そうです。そこから、LGBTのことを調べたり、同性カップル、同性愛、LGBT、というワードをたくさん検索して、NYにもそういう人が集まる場所、施設とかあるかなと、いろいろ調べていたら、友達が「一度一緒にコミュニティへ行く?」と、カフェへ連れて行ってくれて。ここはそういうエリアだから、ほかのカフェにも友達探してるんだったら沢山いるよと教えてくれて、それから僕1人でどんな雰囲気だろうって興味を持って、行くようになりました。歩いてると自然に同性同士のカップルだったり、そういう人がいっぱい歩いていて、その人たちだけがいるわけではないし、街の中にエリアとしてはあるけど、区切られてるわけでもない、そういうエリアがあるっていうことを知りました。
榎本:それまで日本でLGBTについて検索してみたり、調べたりしましたか?
松本:ほとんどしてなかったですね。
榎本:環境が変わったから、わあっと扉が開いたんですね。すごいきっかけですね。
松本:そういうのがきっかけで、日本の大学の友達に電話で、実は友達がゲイで、そういうエリアに最近よく行ってると話せるようになって。その子が、今、『ラスト・フレンズ』というドラマが日本で放送されていて、上野樹里が演じているの役の子があなたと同じような感じだよ、見てみたら?と言われて、ネットで調べたらトランスジェンダーと出てきたんです。そういう会話から自分からいろいろ言えるきっかけを作れました。
榎本:NYで気持ちが柔らかくなって、それで日本の友人にも電話でそういう話ができたんですね。そこから、LGBTの中のカテゴリーについてもちょっと調べだしたんですね。
松本:そうです。僕も無知で、そのあたりからこれは違うかな、これかなとか。ある日ルームメイトにパーティーに誘われて。パーティードレスみたいなのをいろいろみんなが選んでいて。で、僕はそういうの着たくない。そしたら、ルームメイトが「あ、OK」と言って、部屋で、パンツスタイルの服を出してきてくれて。どれが似合うかなと選んでくれて。僕、そのときに「嫌」って言えたから、友人が自然に一緒に考えてくれたんです。
榎本:感動しますね。
松本:嫌って言えるんだ、それを言ってもじゃあ次これは?って、選択肢を出してくれたことに安心しました。パーティー行けるなと思ったんです。行ってもいいんだと。こういうの似合うかもとか、これ素敵だねとか、そういう事を言える関係ができて、そういう素直な気持ちを言えたり一緒に考えてくれるっていうのがすごい心地よくて、それからはルームメイトにもナチュラルにいろんな話ができるようになりました。
榎本:ルームメイトの存在は大きかったですね。
松本:大きかったです。言語は壁じゃないと思ったし、コミュニケーションでそうやって日本では言えなかったことを導いてくれたような気もしています。
榎本:では、LGBTについてある程度調べ始めて、自分がその中のどのカテゴリーに属するのか知った経緯をお伺いできればと思うのですが。
松本:知った経緯は、帰国して実際にそのドラマを見たりして、でも自分の性自認というより、性的嗜好、同性が好きというのは、もう多分絶対そうだって。
榎本:そこはわかりやすかったんですね。
松本:そこはわかりやすかったです。ずっと中学生ぐらいから、それを隠してきたし、今でも思うということはそうなんだと、それを大学の友達にオープンにしました。
榎本:大学の友達にはちゃんとカミングアウトできてたんですね。
松本:向こうでの環境とかを話してたので、実は同性が好きかもと思ったと。それで家族に話すか悩んでたときに、マイノリティの研究をしている先生のゼミを取っていて、LGBTのことではなく、文化の中のマイノリティとか言語の中のマイノリティとか、何かそういうマイノリティに関することを教えられていて、LGBTはマイノリティだという認識はあったので、先生に一度相談してみようかなと。この人だったら話せるかもって、初めて身近な大人で相談できそうだと思いました。ある程度の距離もあったし、家族や友達ほど近くない。
榎本:ちょうどいい距離感だったんですね。
松本:ちょっと相談乗ってほしいとお願いし、2人で話す時間を作ってくれました。
実は留学中に女の人が好きだとわかり、友人には話せたけれど、次、親にどう話せばいいか、どう思いますかと。先生は「同性を好きなことは全然変じゃない、そもそも好きになるという感情があることがうらやましい」と言ってくれました。先生が断言してくれたので、そう言ってくれる大人がいるんだと安心しました。
そこから自分のLGBTカテゴリーを調べ始めて。LGBTのLのほうから、僕、レズビアンなのか?みたいなところで一度立ち止まって調べて、そのコミュニティのオフ会行ったのですが、すごく居心地が悪くって、僕は。
榎本:レズビアンではないと。
松本:そう。それを肌で感じたというか、僕の居場所じゃないと。レズビアンじゃなかったら何なんだろうと、自分は女として女が好きなわけじゃないってなって、いろいろ調べて、ドラマも参考にして、トランスジェンダーにたどり着きました。
榎本:自分で一から調べて、トランスジェンダーということがわかったってことですね。
松本:はい。ほぼ、ネットですね。インターネットで調べたりして、体験談とかを見て。全く一緒ってわけじゃないけど、ここ似てるなとか。
榎本:そのカテゴリーとわかったあとのアクションはどうされましたか。
松本:まず体が嫌だったので、トランスジェンダーの人が着けている下着っていうのがあって、胸をきゅっと締める、それを身につけるようになり、それで楽になりました。それがあるだけで本当に楽で、好きな服が着れました。でもお風呂に入ると、何か自分じゃない姿にまずなるみたいな感覚で自分が嫌になる。これは何とならないのかとも思っていました。
榎本:最初は下着で問題ないと思っておられたんですね?その後、性別適合手術を行われたということですけれども、その繰り返しでそうなったのか、それ以外に何かきっかけがあったのか。
松本:つき合っていたパートナーが、「トランスジェンダーで手術までしてる人が知り合いにいるよ」と教えてくれて、じゃあ、ぜひ会わせてほしいとなり。
榎本:その方に具体的な手術の過程を聞けたんですね。
松本:しっかり聞いて、まず安心しました。そういう人生があるということに。何か、仲間を見つけた。これは自分が目指す姿かもと、希望が持てて、その人と会えて凄く嬉しかったのを覚えています。
榎本:二つ目の大きな扉ですね。
松本:そうですね。この人だけじゃなくて、きっと他に近くにいるんだと、トランスジェンダーの集まりに行きました。実際に手術された方、ホルモンの注射を打っている方いっぱいいて、本当にノート持ってインタビューじゃないけど、今の生活で困ってることないですか、周りの関係どうですか、仕事できてますか、不安はありませんかとか。本当に事細かく日常生活の困り事から、あらゆる事をちゃんと調べようと思いました。でもトランスジェンダーと言っても本当にばらばらで、手術を望んでる人もいれば、ホルモンの注射だけでいいという人もいるし、下着だけで十分楽っていう人もいて、そういう感覚まで違うんだとわかりました。絶対こうだから手術しないといけないとか、性別を変えないといけないというわけではないんだと思い、自分はどういうふうに生きたいのかを考えるようになりました。
まずはカウンセリングに行って、医師に相談したいと思うようになり、親にも言えてなかったので、それをきっかけに、実はこういうことで悩んでいて、女性が好きで、カウンセリングに行ってみたいと初めて言いました。
榎本:カウンセリング行く前にご両親にカミングアウトをされたんですね。
松本:はい。まず相談しようと思って。親の反応は「わからへんから病院で診てもらえるなら行っておいで」と、「私たちは悩み事に応えてあげれない」と言われて。でもその中でも親に言えたってことにすごいほっとしました。
榎本:そうですね。
松本:親は凄く泣くのかなとか、何か言われるかなと想像していたのですが、親はわからないって(笑)。「否定も肯定もできない。わからないから、答えを出してあげられないから、病院の先生に聞いてみたらいい」と。じゃあ病院に行こうとカウンセリングに通い始めました。
榎本:このあとに手術をされて、その後ご結婚されたとお伺いしていますが、手術は結婚と結びつかれたものがあるのでしょうか。
松本:結婚したいから戸籍を変えるというイメージではなくて、結婚という未来もあるけど、まず僕は自分のことを知って、自分の人生がわかる状態まで持ってきたので、それから結婚の話でした。相手は結婚をしたいと思ってくれていて、僕がどういう状況になるかわからないけれど、それを支えると言ってくれて。カウンセリングからホルモン注射、手術、戸籍変更まで、時間はかかりました。
榎本:そうですよね。かなり大きな決断ですからね。
松本:そうですね。相手が待ってくれていたので、ちゃんと向き合って結婚できるように僕自身も自分がどうしたいかっていうのを考えました。やっぱり体が嫌だというのはあったので、とにかく上は取りますと自分の中では決め、プラス、戸籍変更をする要件に、子宮摘出が入っていたので、自然に受け入れられました。
榎本:そのほうが自分の中では自然という感覚だったのでしょうか?
松本:そうです。ないほうがいい。だから、じゃあ取ろうっていう(笑)取ってもらえるのであれば取ってもらいたいなと、手術はもう自然でした。戸籍も変わるし、じゃあ結婚できるんだと。
榎本:ご自身の望みで。パートナーの思いとかいうわけでは決してなくて。
松本:そうです。僕は僕の意思でそうしたほうが気持ちが楽で、生きやすい。
榎本:どうですか?今、本当に生きやすくなりました?
松本:すごく生きやすいというか、自然っていうのが一番しっくりくるかなって。
榎本:これでやっと自然な自分になった感じ。
松本:そうです。
榎本:すごい、何かすてきな話聞けたなと思って、私じーんとしてるんですけど。
松本:(笑)
榎本:学生時代に留学に行かれたと聞いてるのですが、留学先の国を選んだ理由、留学中のエピソードというのも、お聞かせください。
松本:もともとは旅行で、NYで仕事をしている知り合いがいて、「英語勉強してるんだったら遊びにおいでよ」って声かけてもらって2週間ぐらい遊びに行きました。印象としては、いろんな人種の人がいて、文化も入り混じっていて、たった2週間いただけでも、キラキラしていて楽しそうで、友達作りしながら、英語を勉強したいなと、座って勉強というより、コミュニケーション取って、もっとしゃべれるようになりたいという思いが芽生えました。
榎本:旅行中に留学を決めたんですね。
松本:家帰ったら、親に話をして、外大は1年休学校して、NYの語学学校に行きました。自分で手続きして、学校や家や何か見て、学生ビザを取得して。1年2カ月とか、ぎりぎりまで行ってました。
榎本:その留学中にいろいろあったと思いますが、お話を聞かせてください。
松本:現地の人とルームシェアみたいなかたちで、暮らすようになって。そこでルームメイトや、周りの友達を家に呼んで、みんなで遊んだりしていて、その中にたまたまゲイの方がいました。最初全然知らなくて、ある日「パートナーを連れてくるけどいい?」と、ルームメイトに聞いていて。本当に自然な会話で、その後、カップルで遊びに来て、みんな普通にごく自然にいるんです。別にそこがLGBTのコミュニティってわけではなく、自然に遊んで、話をして、何の特別もない。
榎本:普通に一緒にいたんですね。何の違和感もなく。
松本:そうです。そこから、LGBTのことを調べたり、同性カップル、同性愛、LGBT、というワードをたくさん検索して、NYにもそういう人が集まる場所、施設とかあるかなと、いろいろ調べていたら、友達が「一度一緒にコミュニティへ行く?」と、カフェへ連れて行ってくれて。ここはそういうエリアだから、ほかのカフェにも友達探してるんだったら沢山いるよと教えてくれて、それから僕1人でどんな雰囲気だろうって興味を持って、行くようになりました。歩いてると自然に同性同士のカップルだったり、そういう人がいっぱい歩いていて、その人たちだけがいるわけではないし、街の中にエリアとしてはあるけど、区切られてるわけでもない、そういうエリアがあるっていうことを知りました。
榎本:それまで日本でLGBTについて検索してみたり、調べたりしましたか?
松本:ほとんどしてなかったですね。
榎本:環境が変わったから、わあっと扉が開いたんですね。すごいきっかけですね。
松本:そういうのがきっかけで、日本の大学の友達に電話で、実は友達がゲイで、そういうエリアに最近よく行ってると話せるようになって。その子が、今、『ラスト・フレンズ』というドラマが日本で放送されていて、上野樹里が演じているの役の子があなたと同じような感じだよ、見てみたら?と言われて、ネットで調べたらトランスジェンダーと出てきたんです。そういう会話から自分からいろいろ言えるきっかけを作れました。
榎本:NYで気持ちが柔らかくなって、それで日本の友人にも電話でそういう話ができたんですね。そこから、LGBTの中のカテゴリーについてもちょっと調べだしたんですね。
松本:そうです。僕も無知で、そのあたりからこれは違うかな、これかなとか。ある日ルームメイトにパーティーに誘われて。パーティードレスみたいなのをいろいろみんなが選んでいて。で、僕はそういうの着たくない。そしたら、ルームメイトが「あ、OK」と言って、部屋で、パンツスタイルの服を出してきてくれて。どれが似合うかなと選んでくれて。僕、そのときに「嫌」って言えたから、友人が自然に一緒に考えてくれたんです。
榎本:感動しますね。
松本:嫌って言えるんだ、それを言ってもじゃあ次これは?って、選択肢を出してくれたことに安心しました。パーティー行けるなと思ったんです。行ってもいいんだと。こういうの似合うかもとか、これ素敵だねとか、そういう事を言える関係ができて、そういう素直な気持ちを言えたり一緒に考えてくれるっていうのがすごい心地よくて、それからはルームメイトにもナチュラルにいろんな話ができるようになりました。
榎本:ルームメイトの存在は大きかったですね。
松本:大きかったです。言語は壁じゃないと思ったし、コミュニケーションでそうやって日本では言えなかったことを導いてくれたような気もしています。
榎本:では、LGBTについてある程度調べ始めて、自分がその中のどのカテゴリーに属するのか知った経緯をお伺いできればと思うのですが。
松本:知った経緯は、帰国して実際にそのドラマを見たりして、でも自分の性自認というより、性的嗜好、同性が好きというのは、もう多分絶対そうだって。
榎本:そこはわかりやすかったんですね。
松本:そこはわかりやすかったです。ずっと中学生ぐらいから、それを隠してきたし、今でも思うということはそうなんだと、それを大学の友達にオープンにしました。
榎本:大学の友達にはちゃんとカミングアウトできてたんですね。
松本:向こうでの環境とかを話してたので、実は同性が好きかもと思ったと。それで家族に話すか悩んでたときに、マイノリティの研究をしている先生のゼミを取っていて、LGBTのことではなく、文化の中のマイノリティとか言語の中のマイノリティとか、何かそういうマイノリティに関することを教えられていて、LGBTはマイノリティだという認識はあったので、先生に一度相談してみようかなと。この人だったら話せるかもって、初めて身近な大人で相談できそうだと思いました。ある程度の距離もあったし、家族や友達ほど近くない。
榎本:ちょうどいい距離感だったんですね。
松本:ちょっと相談乗ってほしいとお願いし、2人で話す時間を作ってくれました。
実は留学中に女の人が好きだとわかり、友人には話せたけれど、次、親にどう話せばいいか、どう思いますかと。先生は「同性を好きなことは全然変じゃない、そもそも好きになるという感情があることがうらやましい」と言ってくれました。先生が断言してくれたので、そう言ってくれる大人がいるんだと安心しました。
そこから自分のLGBTカテゴリーを調べ始めて。LGBTのLのほうから、僕、レズビアンなのか?みたいなところで一度立ち止まって調べて、そのコミュニティのオフ会行ったのですが、すごく居心地が悪くって、僕は。
榎本:レズビアンではないと。
松本:そう。それを肌で感じたというか、僕の居場所じゃないと。レズビアンじゃなかったら何なんだろうと、自分は女として女が好きなわけじゃないってなって、いろいろ調べて、ドラマも参考にして、トランスジェンダーにたどり着きました。
榎本:自分で一から調べて、トランスジェンダーということがわかったってことですね。
松本:はい。ほぼ、ネットですね。インターネットで調べたりして、体験談とかを見て。全く一緒ってわけじゃないけど、ここ似てるなとか。
榎本:そのカテゴリーとわかったあとのアクションはどうされましたか。
松本:まず体が嫌だったので、トランスジェンダーの人が着けている下着っていうのがあって、胸をきゅっと締める、それを身につけるようになり、それで楽になりました。それがあるだけで本当に楽で、好きな服が着れました。でもお風呂に入ると、何か自分じゃない姿にまずなるみたいな感覚で自分が嫌になる。これは何とならないのかとも思っていました。
榎本:最初は下着で問題ないと思っておられたんですね?その後、性別適合手術を行われたということですけれども、その繰り返しでそうなったのか、それ以外に何かきっかけがあったのか。
松本:つき合っていたパートナーが、「トランスジェンダーで手術までしてる人が知り合いにいるよ」と教えてくれて、じゃあ、ぜひ会わせてほしいとなり。
榎本:その方に具体的な手術の過程を聞けたんですね。
松本:しっかり聞いて、まず安心しました。そういう人生があるということに。何か、仲間を見つけた。これは自分が目指す姿かもと、希望が持てて、その人と会えて凄く嬉しかったのを覚えています。
榎本:二つ目の大きな扉ですね。
松本:そうですね。この人だけじゃなくて、きっと他に近くにいるんだと、トランスジェンダーの集まりに行きました。実際に手術された方、ホルモンの注射を打っている方いっぱいいて、本当にノート持ってインタビューじゃないけど、今の生活で困ってることないですか、周りの関係どうですか、仕事できてますか、不安はありませんかとか。本当に事細かく日常生活の困り事から、あらゆる事をちゃんと調べようと思いました。でもトランスジェンダーと言っても本当にばらばらで、手術を望んでる人もいれば、ホルモンの注射だけでいいという人もいるし、下着だけで十分楽っていう人もいて、そういう感覚まで違うんだとわかりました。絶対こうだから手術しないといけないとか、性別を変えないといけないというわけではないんだと思い、自分はどういうふうに生きたいのかを考えるようになりました。
まずはカウンセリングに行って、医師に相談したいと思うようになり、親にも言えてなかったので、それをきっかけに、実はこういうことで悩んでいて、女性が好きで、カウンセリングに行ってみたいと初めて言いました。
榎本:カウンセリング行く前にご両親にカミングアウトをされたんですね。
松本:はい。まず相談しようと思って。親の反応は「わからへんから病院で診てもらえるなら行っておいで」と、「私たちは悩み事に応えてあげれない」と言われて。でもその中でも親に言えたってことにすごいほっとしました。
榎本:そうですね。
松本:親は凄く泣くのかなとか、何か言われるかなと想像していたのですが、親はわからないって(笑)。「否定も肯定もできない。わからないから、答えを出してあげられないから、病院の先生に聞いてみたらいい」と。じゃあ病院に行こうとカウンセリングに通い始めました。
榎本:このあとに手術をされて、その後ご結婚されたとお伺いしていますが、手術は結婚と結びつかれたものがあるのでしょうか。
松本:結婚したいから戸籍を変えるというイメージではなくて、結婚という未来もあるけど、まず僕は自分のことを知って、自分の人生がわかる状態まで持ってきたので、それから結婚の話でした。相手は結婚をしたいと思ってくれていて、僕がどういう状況になるかわからないけれど、それを支えると言ってくれて。カウンセリングからホルモン注射、手術、戸籍変更まで、時間はかかりました。
榎本:そうですよね。かなり大きな決断ですからね。
松本:そうですね。相手が待ってくれていたので、ちゃんと向き合って結婚できるように僕自身も自分がどうしたいかっていうのを考えました。やっぱり体が嫌だというのはあったので、とにかく上は取りますと自分の中では決め、プラス、戸籍変更をする要件に、子宮摘出が入っていたので、自然に受け入れられました。
榎本:そのほうが自分の中では自然という感覚だったのでしょうか?
松本:そうです。ないほうがいい。だから、じゃあ取ろうっていう(笑)取ってもらえるのであれば取ってもらいたいなと、手術はもう自然でした。戸籍も変わるし、じゃあ結婚できるんだと。
榎本:ご自身の望みで。パートナーの思いとかいうわけでは決してなくて。
松本:そうです。僕は僕の意思でそうしたほうが気持ちが楽で、生きやすい。
榎本:どうですか?今、本当に生きやすくなりました?
松本:すごく生きやすいというか、自然っていうのが一番しっくりくるかなって。
榎本:これでやっと自然な自分になった感じ。
松本:そうです。
榎本:すごい、何かすてきな話聞けたなと思って、私じーんとしてるんですけど。
松本:(笑)
2023/09/27 09:50:00 トランスジェンダーとして生きるとは【全文】vol.1
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2023年9月に発行したGAIDAI BIBLIOTHECA(館報)で、「特集:ジェンダーを考える」に掲載された、本学の卒業生である松本友生さんへのインタビューの全文です。インタビューは90分に渡り、館報では全ての内容を掲載できなかったため、こちらの図書館ブログに数回に分けて紹介いたします。
松本友生さんは幼い頃に性の違和感を持ち、大学生時代に留学先のNYでLGBTQ+の人たちが自由に生きる姿を見て、自身がトランスジェンダーということを知る。両親などにカミングアウトを行い、性別適合手術を終え、現在は戸籍を変更し男性として活動している。
(聞き手:図書館職員 榎本恭子)
榎本:本日はよろしくお願いします。最後には、本学の学生におすすめの本などあれば、教えていただければなと思います。
松本:よろしくお願いします。
榎本:まず、幼い頃のことを教えていただきたいのですが、小学校、中学校、高校において集団生活の中で苦労されたこと、辛かったこと、困ったことなどありましたか?
松本:やはり親や友達に話せない、相談のきっかけも見つけられなかったことは辛かったです。自分がどういう人か、何にカテゴライズされてるかということにも気づかなかったし、そもそもこういうことで悩んでるのは自分だけかなあという事が大きな悩みでした。どこへ行っても男女という区別をされている、そういう環境が自然で、性別を基準にした大人の発言には敏感で、ずっと違和感があって、男や女だからとか何でそういうところに基準を置いて大人は自分のことを見ていのるんだろう、そこに違和感や疑問がずっとありました。
日常生活の中では女の子らしい「ピンクのほうがいいよ?」とか、車を欲しがると、「それでいいの?」って、断固やめなさいとは言われないけど、「女の子やし、こっちのほうがいいんちゃう?」とか、毎回毎回、自然な会話の中で入ってくる。兄は何も言われてないのに、やっぱり僕だけ、プラモデル欲しいとかミニ四駆欲しいとか言うと、「お兄ちゃんが欲しいやつを取らない」と言われたりして、自然と欲しいと言えなくなっていきました。それが小学生ぐらいです。
榎本:色など些細なところでつまずいていたんですね。
松本:そうですね。それを親に言えないから、誰に言えばいいんだろうと思っていました。親が言っていることは正しと僕は思っていたし、親のためにという思いが、自分の中にずっとあって、親がこうやったら喜ぶとか、こうしたら困るんだとか反応を見ていました。なので、本当に自分が欲しいものは諦めていく。そして、この先もきっと諦めないといけないという気持ちが、小学生ぐらいのときにはもう既にありました。そういう不満は、僕は性格的に言えなくて、自分を抑えるほうが楽だと感じるようになっていきました。中学校になると、周りの子との自分の違いに、どんどん気づくようになっていきました。友達同士で恋愛の話や、成長期に体が変わっていく段階で、そろそろ下着つけなきゃと言われて、友達が親に「この子のも買ってあげて」と言ったんです。僕はつけたくないけど、それも言えなくて。その後、親と下着売り場に行くと、もう本当にしんどくなるぐらい、そこにいるのが自分のことじゃないみたいでした。
榎本:その頃には、もうある程度はっきりわかっていたのでしょうか。
松本:体が、変わっていくことが怖くて不安で。女性の体に変わっていくのが自覚できなかった。本当にどんどん変わるんだという感覚。
下着は親に選んでもらって、あんまり目立たないものなら何でもいいみたいな感じで。親は親で、きっと恥ずかしいのかなとか、というふうに多分見ていたのかなと思うんです。でも僕は、ただ本当に嫌。「嫌」ということを伝えられなかったのが中学校の大きな悩み事でした。
榎本:なるほど。両親は、全然わかっていなかったんですね。
松本:全然です。僕自身も発信できてなかったと思う。何で嫌なのかとか自分もわからなかった。
榎本:高校生になると、また意識が変わってくるかなと思うのですが、いかがでしょうか。
松本:中学校のときに、もう既にセーラー服を着ていたので、下着と同じ、嫌だけど、こうなっていくんだってあきらめていました。 周りの友人からは好きな人いるの?とか、誰とつき合いたい?とか、恋愛になる。芸能人で男の人を、こういう感じの人かなあみたいに言ってたけど、本心は違い、同性を好きだなっていう感覚はあって。でも、周りがつき合ったりするようになり始めて、僕もすごく仲がよかった男の子と「つき合おうよ」みたいな感じで、つき合うことになったんですけど、でもやっぱり手をつなぐとか嫌で、触られることが嫌だった。
触られても、ばって拒否してしまい「え、何で?」って言われても、嫌で。
「好きやったらええやん」とも言われたんですけど、やっぱりそういう好きじゃないと気づいて、僕はつき合えない、ごめんなさいって言いました。
榎本:はっきり伝えたんですね。
松本:彼には何でも話せる間柄だったので、この人なら言ってみてもいいのかなって、その流れで「実は女の子に興味がある、誰にも言ってないけど」みたいな感じで言いました。
榎本:本当に最初のカミングアウトですね。
松本:そうですね。そしたら、反応としては、拒絶され、気持ち悪いと言われて。
榎本:ああ。その一言ですね。
松本:そう言われるかなと思ったけど、いろいろ話せる人だったし、こういうきっかけで言えるタイミングだった。
榎本:今だって感じですね。
松本:そう。それ以外は、やっぱり同性の友達には言えないし、それこそ気持ち悪いって思われるかなと思っていたから、逆に言いやすかったのがその人で、言ったけど、感覚的には同性に言うのと一緒で「気持ち悪い、ちょっと嫌や、もう聞きたくない」と言われて。
そもそも、つき合ってたのに別れようって言ったのは僕だし、そのうえ、女性が好きとか言われたら、もし自分が相手の立場だったら確かにやめてほしいって思いますよね(笑)
榎本:そうですね。向こうは本当にショックを受けてるときに、突然カミングアウトですからね。
松本:そんな話、聞きたくないって言われました。「気持ちが悪い」とか、「おまえ、やめとけそれは」っていうふうに言われて、そっか、そう思うのはおかしのかなっていう気持ちが残ったまま、マイナスな答えが返ってくることを確認したんです。同性が好きというのは、思い描いてるだけで、妄想の世界、空想の世界で思い描いて、それで終わる。本当の自分がどう思ってたとしても、そこは嘘をつくというか、隠す。男性とそのうち恋愛をして、結婚してっていう未来があるんだという事もどこかで思い描きながら、今の自分には嘘をついてるほうが楽だという気持ちで高校時代は過ごしてました。
榎本:さらにクローゼットになってしまったという感じですね。
松本:そうですね。友達に嘘つくよりも、自分に嘘ついてるほうが楽と思ったから、自分を変えていけばいいと、思うようになっていく。意見もどんどん発せなくなったり、自分自身に興味も持たなくなっていくようになりました。正直な自分のままだったら、きっと発言もできたし、自分に興味があるものも気づけたけど、人に合わせていくうちに自分が何を考えてるかもわからなくなる状況がずっと無意識にありました。人の話は恋愛の話も聞くけど、自分の話はできなかったというのが高校時代です。
榎本:周りからそうさせられていたというか、誰も小さなサインに気づいていないというところも、本当に悲しいですね。
松本:環境は確かにそうでした。高校に進学するときに、もう一度、制服が嫌と言ってみようかとか、何かアプローチはできたのにな、とかも思うけど、嘘をつくほうが楽だとか、傷つきたくないから、そういうふうに自然になっていったという記憶があります。
榎本:高校のときに進学を考えられたと思うのですが、友生さんは本学の英米語学科に進学されたと聞いています、京都外国語大学を、その中でも英米語学科を選ばれた理由を、お伺いできますか?
松本:高校時代から英語が好きで、洋楽を聞いたり、洋画を見たりとか、洋画を見て英語を話せるようになりたいなと思い、オープンキャンパスに来て、実際に学生さんや先生と話をして、英語を自然に話している姿を見て、凄いなと思って、日本でもこんなふうになれるんだと、それで決めました。
榎本:じゃあ、オープンキャンパスが決め手だったんですね。
松本:大きかったですね。実際に見て、授業の雰囲気というよりも先生と学生の距離感みたいなのが魅力的で楽しそうで。先生と距離が近そうだと思いました。
榎本:大学時代と高校時代との大きな違いなどはありましたか?
松本:大学生で一人暮らしを始めたんですけど、それが僕にとってすごい転機で、ジェンダーにかかわることなんですけど、家族で住んでいたら、妹の前では姉という姿であらなければいけないとか、兄の前では妹、女の子をしないといけないみたいな環境があって、そこから開放されて、自分だけの空間の中で、「姉・妹・娘」をしなくていいという環境が僕にとってすごく楽で、あ、自分だって。
榎本:女性じゃなくてもよくなったったということですね。
松本:そう。暮らしてる社会もそうですが、家族の中でも僕はすごい苦痛で、短髪で結構ボーイッシュな感だけど、姉です、妹ですみたいな感じで、親の前でも娘としていないといけないというのがどこかにあって、それが物理的に離れたことで、すごく自然でいられた。制服もなくなったので、自分の好きな服を着れる、好きな髪型でいれる。身に着けるものも、親にいちいち見られない。そういう環境で、僕はちょっとずつ自分に興味を持ち始めた。自分はこういうものが好きなんだとか、英語が好きというのも、もっと自分で生かせるように勉強したいと思いました。
榎本:例えば、そのときに友人にカミングアウトするようなことは、なかったのでしょうか?
松本:そのタイミングではなかったです。きっかけはなかったです。
松本友生さんは幼い頃に性の違和感を持ち、大学生時代に留学先のNYでLGBTQ+の人たちが自由に生きる姿を見て、自身がトランスジェンダーということを知る。両親などにカミングアウトを行い、性別適合手術を終え、現在は戸籍を変更し男性として活動している。
(聞き手:図書館職員 榎本恭子)
榎本:本日はよろしくお願いします。最後には、本学の学生におすすめの本などあれば、教えていただければなと思います。
松本:よろしくお願いします。
榎本:まず、幼い頃のことを教えていただきたいのですが、小学校、中学校、高校において集団生活の中で苦労されたこと、辛かったこと、困ったことなどありましたか?
松本:やはり親や友達に話せない、相談のきっかけも見つけられなかったことは辛かったです。自分がどういう人か、何にカテゴライズされてるかということにも気づかなかったし、そもそもこういうことで悩んでるのは自分だけかなあという事が大きな悩みでした。どこへ行っても男女という区別をされている、そういう環境が自然で、性別を基準にした大人の発言には敏感で、ずっと違和感があって、男や女だからとか何でそういうところに基準を置いて大人は自分のことを見ていのるんだろう、そこに違和感や疑問がずっとありました。
日常生活の中では女の子らしい「ピンクのほうがいいよ?」とか、車を欲しがると、「それでいいの?」って、断固やめなさいとは言われないけど、「女の子やし、こっちのほうがいいんちゃう?」とか、毎回毎回、自然な会話の中で入ってくる。兄は何も言われてないのに、やっぱり僕だけ、プラモデル欲しいとかミニ四駆欲しいとか言うと、「お兄ちゃんが欲しいやつを取らない」と言われたりして、自然と欲しいと言えなくなっていきました。それが小学生ぐらいです。
榎本:色など些細なところでつまずいていたんですね。
松本:そうですね。それを親に言えないから、誰に言えばいいんだろうと思っていました。親が言っていることは正しと僕は思っていたし、親のためにという思いが、自分の中にずっとあって、親がこうやったら喜ぶとか、こうしたら困るんだとか反応を見ていました。なので、本当に自分が欲しいものは諦めていく。そして、この先もきっと諦めないといけないという気持ちが、小学生ぐらいのときにはもう既にありました。そういう不満は、僕は性格的に言えなくて、自分を抑えるほうが楽だと感じるようになっていきました。中学校になると、周りの子との自分の違いに、どんどん気づくようになっていきました。友達同士で恋愛の話や、成長期に体が変わっていく段階で、そろそろ下着つけなきゃと言われて、友達が親に「この子のも買ってあげて」と言ったんです。僕はつけたくないけど、それも言えなくて。その後、親と下着売り場に行くと、もう本当にしんどくなるぐらい、そこにいるのが自分のことじゃないみたいでした。
榎本:その頃には、もうある程度はっきりわかっていたのでしょうか。
松本:体が、変わっていくことが怖くて不安で。女性の体に変わっていくのが自覚できなかった。本当にどんどん変わるんだという感覚。
下着は親に選んでもらって、あんまり目立たないものなら何でもいいみたいな感じで。親は親で、きっと恥ずかしいのかなとか、というふうに多分見ていたのかなと思うんです。でも僕は、ただ本当に嫌。「嫌」ということを伝えられなかったのが中学校の大きな悩み事でした。
榎本:なるほど。両親は、全然わかっていなかったんですね。
松本:全然です。僕自身も発信できてなかったと思う。何で嫌なのかとか自分もわからなかった。
榎本:高校生になると、また意識が変わってくるかなと思うのですが、いかがでしょうか。
松本:中学校のときに、もう既にセーラー服を着ていたので、下着と同じ、嫌だけど、こうなっていくんだってあきらめていました。 周りの友人からは好きな人いるの?とか、誰とつき合いたい?とか、恋愛になる。芸能人で男の人を、こういう感じの人かなあみたいに言ってたけど、本心は違い、同性を好きだなっていう感覚はあって。でも、周りがつき合ったりするようになり始めて、僕もすごく仲がよかった男の子と「つき合おうよ」みたいな感じで、つき合うことになったんですけど、でもやっぱり手をつなぐとか嫌で、触られることが嫌だった。
触られても、ばって拒否してしまい「え、何で?」って言われても、嫌で。
「好きやったらええやん」とも言われたんですけど、やっぱりそういう好きじゃないと気づいて、僕はつき合えない、ごめんなさいって言いました。
榎本:はっきり伝えたんですね。
松本:彼には何でも話せる間柄だったので、この人なら言ってみてもいいのかなって、その流れで「実は女の子に興味がある、誰にも言ってないけど」みたいな感じで言いました。
榎本:本当に最初のカミングアウトですね。
松本:そうですね。そしたら、反応としては、拒絶され、気持ち悪いと言われて。
榎本:ああ。その一言ですね。
松本:そう言われるかなと思ったけど、いろいろ話せる人だったし、こういうきっかけで言えるタイミングだった。
榎本:今だって感じですね。
松本:そう。それ以外は、やっぱり同性の友達には言えないし、それこそ気持ち悪いって思われるかなと思っていたから、逆に言いやすかったのがその人で、言ったけど、感覚的には同性に言うのと一緒で「気持ち悪い、ちょっと嫌や、もう聞きたくない」と言われて。
そもそも、つき合ってたのに別れようって言ったのは僕だし、そのうえ、女性が好きとか言われたら、もし自分が相手の立場だったら確かにやめてほしいって思いますよね(笑)
榎本:そうですね。向こうは本当にショックを受けてるときに、突然カミングアウトですからね。
松本:そんな話、聞きたくないって言われました。「気持ちが悪い」とか、「おまえ、やめとけそれは」っていうふうに言われて、そっか、そう思うのはおかしのかなっていう気持ちが残ったまま、マイナスな答えが返ってくることを確認したんです。同性が好きというのは、思い描いてるだけで、妄想の世界、空想の世界で思い描いて、それで終わる。本当の自分がどう思ってたとしても、そこは嘘をつくというか、隠す。男性とそのうち恋愛をして、結婚してっていう未来があるんだという事もどこかで思い描きながら、今の自分には嘘をついてるほうが楽だという気持ちで高校時代は過ごしてました。
榎本:さらにクローゼットになってしまったという感じですね。
松本:そうですね。友達に嘘つくよりも、自分に嘘ついてるほうが楽と思ったから、自分を変えていけばいいと、思うようになっていく。意見もどんどん発せなくなったり、自分自身に興味も持たなくなっていくようになりました。正直な自分のままだったら、きっと発言もできたし、自分に興味があるものも気づけたけど、人に合わせていくうちに自分が何を考えてるかもわからなくなる状況がずっと無意識にありました。人の話は恋愛の話も聞くけど、自分の話はできなかったというのが高校時代です。
榎本:周りからそうさせられていたというか、誰も小さなサインに気づいていないというところも、本当に悲しいですね。
松本:環境は確かにそうでした。高校に進学するときに、もう一度、制服が嫌と言ってみようかとか、何かアプローチはできたのにな、とかも思うけど、嘘をつくほうが楽だとか、傷つきたくないから、そういうふうに自然になっていったという記憶があります。
榎本:高校のときに進学を考えられたと思うのですが、友生さんは本学の英米語学科に進学されたと聞いています、京都外国語大学を、その中でも英米語学科を選ばれた理由を、お伺いできますか?
松本:高校時代から英語が好きで、洋楽を聞いたり、洋画を見たりとか、洋画を見て英語を話せるようになりたいなと思い、オープンキャンパスに来て、実際に学生さんや先生と話をして、英語を自然に話している姿を見て、凄いなと思って、日本でもこんなふうになれるんだと、それで決めました。
榎本:じゃあ、オープンキャンパスが決め手だったんですね。
松本:大きかったですね。実際に見て、授業の雰囲気というよりも先生と学生の距離感みたいなのが魅力的で楽しそうで。先生と距離が近そうだと思いました。
榎本:大学時代と高校時代との大きな違いなどはありましたか?
松本:大学生で一人暮らしを始めたんですけど、それが僕にとってすごい転機で、ジェンダーにかかわることなんですけど、家族で住んでいたら、妹の前では姉という姿であらなければいけないとか、兄の前では妹、女の子をしないといけないみたいな環境があって、そこから開放されて、自分だけの空間の中で、「姉・妹・娘」をしなくていいという環境が僕にとってすごく楽で、あ、自分だって。
榎本:女性じゃなくてもよくなったったということですね。
松本:そう。暮らしてる社会もそうですが、家族の中でも僕はすごい苦痛で、短髪で結構ボーイッシュな感だけど、姉です、妹ですみたいな感じで、親の前でも娘としていないといけないというのがどこかにあって、それが物理的に離れたことで、すごく自然でいられた。制服もなくなったので、自分の好きな服を着れる、好きな髪型でいれる。身に着けるものも、親にいちいち見られない。そういう環境で、僕はちょっとずつ自分に興味を持ち始めた。自分はこういうものが好きなんだとか、英語が好きというのも、もっと自分で生かせるように勉強したいと思いました。
榎本:例えば、そのときに友人にカミングアウトするようなことは、なかったのでしょうか?
松本:そのタイミングではなかったです。きっかけはなかったです。