2022/05/22 10:40:00 2007年度卒業生 上野明菜さん(UNICEF ラオス事務所)
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- 英米語学科
英米語学科ブログの「卒業生紹介」では、社会で活躍されている英米語学科の卒業生を紹介します。「卒業生紹介」第5号は、UNICEFラオス事務所で勤務されている上野明菜さんです。
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上野明菜さん(2007年度卒業生)は、大学卒業後、国内の英語教員、英国への大学院留学、数カ国での国際協力機関勤務を経て、現在は外務省JPO派遣制度にて、UNICEFラオス事務所の教育担当官として勤務されています。本学ではホームページのKUFS PEOPLEにも登場し、2020年には英米語学科主催の講演会で貴重なお話をしてくださいました。今回の「卒業生紹介」は、英米語学科3年の寒川紫月(そうがわしづき)さんが上野明菜さんにオンラインでインタビューし、記事を書いてくれました。
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―京都外国語大学ではどのような大学生活を送られていましたか。
大学内で、先生や他学科の人ともばったり会うことが多かったので、人脈を築きやすい環境にありました。授業では、Debateのクラスなど学年を超えて受講できる科目が印象に残っています。週末のバイトで貯めたお金で友達と一緒に何度か海外旅行に行きました。また、留学生との交流を多くするように心がけていたり、所属していた京都外大Habitatで募金活動などの活動をしたりしていました。このほか、在学中に二年間休学し、在外公館派遣員としてシンガポールで働きました。そこで、社会人としての常識が身についたと感じています。
―大学卒業後、上野さんが築いてこられたキャリアを教えてください。
卒業後は、4年間私立高校で英語教員として勤務しました。この時、教育に関しては日本の子ども達は恵まれすぎていると思いました。以前、シンガポールで働いている時、出張でパプアニューギニアを訪れました。現地でストリートチルドレンを目の前にし、教育は贅沢品だと感じました。そこで、教育から遠い子ども達の支援をしたいと思い、キャリアの方向転換を決めました。一年間の勉強の末、イギリスの大学院に留学し開発教育学を学びました。
大学院卒業後、大阪市教育委員会で働いた後、カンボジアの日本大使館で教育プロジェクトのコーディネーターをしました。その後、世界銀行カンボジア事務所でコンサルタントとして勤務しました。現在は、外務省のJPO(Junior Professional Officer)派遣制度に2度目の応募で合格し、UNICEFのラオス事務所で教育担当官として働いています。
―なぜイギリスの大学院に進学しようと思ったのですか。
経済的な理由もありますが、イギリスではMBAや医療のコース以外なら一年で修士号を取れるからです。そして、サセックス大学には開発学で有名なIDS(Institute of Development Studies)という研究機関があったり、色々な人が講義に来たりするので選びました。
―国際協力や教育の分野で様々な経験やお仕事をされていますが、それぞれのお仕事に惹かれた理由を教えてください。
日本で育っていると、自分から探そうとしない限り、貧困の人を目にすることが少ないと思います。だからこそ、パプアニューギニアのストリートチルドレンを見た時は衝撃で、これが大きなきっかけになっています。「なぜ学校に通えないのか」という貧困のサイクルには多くの角度から問題点があります。例えば、教育だけ支援しても、その子が健康でなければ学校に通えません。実際に問題が起きている現場にいて、このような問題の繋がりを知ることにやりがいを感じます。また、多様な国籍の人々と働ける環境も魅力です。
★インタビュー全文はこちらをクリック
*参考サイト
KUFS People
2020年講演の動画
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上野明菜さん(2007年度卒業生)は、大学卒業後、国内の英語教員、英国への大学院留学、数カ国での国際協力機関勤務を経て、現在は外務省JPO派遣制度にて、UNICEFラオス事務所の教育担当官として勤務されています。本学ではホームページのKUFS PEOPLEにも登場し、2020年には英米語学科主催の講演会で貴重なお話をしてくださいました。今回の「卒業生紹介」は、英米語学科3年の寒川紫月(そうがわしづき)さんが上野明菜さんにオンラインでインタビューし、記事を書いてくれました。
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―京都外国語大学ではどのような大学生活を送られていましたか。
大学内で、先生や他学科の人ともばったり会うことが多かったので、人脈を築きやすい環境にありました。授業では、Debateのクラスなど学年を超えて受講できる科目が印象に残っています。週末のバイトで貯めたお金で友達と一緒に何度か海外旅行に行きました。また、留学生との交流を多くするように心がけていたり、所属していた京都外大Habitatで募金活動などの活動をしたりしていました。このほか、在学中に二年間休学し、在外公館派遣員としてシンガポールで働きました。そこで、社会人としての常識が身についたと感じています。
―大学卒業後、上野さんが築いてこられたキャリアを教えてください。
卒業後は、4年間私立高校で英語教員として勤務しました。この時、教育に関しては日本の子ども達は恵まれすぎていると思いました。以前、シンガポールで働いている時、出張でパプアニューギニアを訪れました。現地でストリートチルドレンを目の前にし、教育は贅沢品だと感じました。そこで、教育から遠い子ども達の支援をしたいと思い、キャリアの方向転換を決めました。一年間の勉強の末、イギリスの大学院に留学し開発教育学を学びました。
大学院卒業後、大阪市教育委員会で働いた後、カンボジアの日本大使館で教育プロジェクトのコーディネーターをしました。その後、世界銀行カンボジア事務所でコンサルタントとして勤務しました。現在は、外務省のJPO(Junior Professional Officer)派遣制度に2度目の応募で合格し、UNICEFのラオス事務所で教育担当官として働いています。
―なぜイギリスの大学院に進学しようと思ったのですか。
経済的な理由もありますが、イギリスではMBAや医療のコース以外なら一年で修士号を取れるからです。そして、サセックス大学には開発学で有名なIDS(Institute of Development Studies)という研究機関があったり、色々な人が講義に来たりするので選びました。
―国際協力や教育の分野で様々な経験やお仕事をされていますが、それぞれのお仕事に惹かれた理由を教えてください。
日本で育っていると、自分から探そうとしない限り、貧困の人を目にすることが少ないと思います。だからこそ、パプアニューギニアのストリートチルドレンを見た時は衝撃で、これが大きなきっかけになっています。「なぜ学校に通えないのか」という貧困のサイクルには多くの角度から問題点があります。例えば、教育だけ支援しても、その子が健康でなければ学校に通えません。実際に問題が起きている現場にいて、このような問題の繋がりを知ることにやりがいを感じます。また、多様な国籍の人々と働ける環境も魅力です。
★インタビュー全文はこちらをクリック
*参考サイト
KUFS People
2020年講演の動画