卒業生紹介
2022/05/22 10:40:00 2007年度卒業生 上野明菜さん(UNICEF ラオス事務所)
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- 英米語学科
英米語学科ブログの「卒業生紹介」では、社会で活躍されている英米語学科の卒業生を紹介します。「卒業生紹介」第5号は、UNICEFラオス事務所で勤務されている上野明菜さんです。
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上野明菜さん(2007年度卒業生)は、大学卒業後、国内の英語教員、英国への大学院留学、数カ国での国際協力機関勤務を経て、現在は外務省JPO派遣制度にて、UNICEFラオス事務所の教育担当官として勤務されています。本学ではホームページのKUFS PEOPLEにも登場し、2020年には英米語学科主催の講演会で貴重なお話をしてくださいました。今回の「卒業生紹介」は、英米語学科3年の寒川紫月(そうがわしづき)さんが上野明菜さんにオンラインでインタビューし、記事を書いてくれました。
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―京都外国語大学ではどのような大学生活を送られていましたか。
大学内で、先生や他学科の人ともばったり会うことが多かったので、人脈を築きやすい環境にありました。授業では、Debateのクラスなど学年を超えて受講できる科目が印象に残っています。週末のバイトで貯めたお金で友達と一緒に何度か海外旅行に行きました。また、留学生との交流を多くするように心がけていたり、所属していた京都外大Habitatで募金活動などの活動をしたりしていました。このほか、在学中に二年間休学し、在外公館派遣員としてシンガポールで働きました。そこで、社会人としての常識が身についたと感じています。
―大学卒業後、上野さんが築いてこられたキャリアを教えてください。
卒業後は、4年間私立高校で英語教員として勤務しました。この時、教育に関しては日本の子ども達は恵まれすぎていると思いました。以前、シンガポールで働いている時、出張でパプアニューギニアを訪れました。現地でストリートチルドレンを目の前にし、教育は贅沢品だと感じました。そこで、教育から遠い子ども達の支援をしたいと思い、キャリアの方向転換を決めました。一年間の勉強の末、イギリスの大学院に留学し開発教育学を学びました。
大学院卒業後、大阪市教育委員会で働いた後、カンボジアの日本大使館で教育プロジェクトのコーディネーターをしました。その後、世界銀行カンボジア事務所でコンサルタントとして勤務しました。現在は、外務省のJPO(Junior Professional Officer)派遣制度に2度目の応募で合格し、UNICEFのラオス事務所で教育担当官として働いています。
―なぜイギリスの大学院に進学しようと思ったのですか。
経済的な理由もありますが、イギリスではMBAや医療のコース以外なら一年で修士号を取れるからです。そして、サセックス大学には開発学で有名なIDS(Institute of Development Studies)という研究機関があったり、色々な人が講義に来たりするので選びました。
―国際協力や教育の分野で様々な経験やお仕事をされていますが、それぞれのお仕事に惹かれた理由を教えてください。
日本で育っていると、自分から探そうとしない限り、貧困の人を目にすることが少ないと思います。だからこそ、パプアニューギニアのストリートチルドレンを見た時は衝撃で、これが大きなきっかけになっています。「なぜ学校に通えないのか」という貧困のサイクルには多くの角度から問題点があります。例えば、教育だけ支援しても、その子が健康でなければ学校に通えません。実際に問題が起きている現場にいて、このような問題の繋がりを知ることにやりがいを感じます。また、多様な国籍の人々と働ける環境も魅力です。
★インタビュー全文はこちらをクリック
*参考サイト
KUFS People
2020年講演の動画
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上野明菜さん(2007年度卒業生)は、大学卒業後、国内の英語教員、英国への大学院留学、数カ国での国際協力機関勤務を経て、現在は外務省JPO派遣制度にて、UNICEFラオス事務所の教育担当官として勤務されています。本学ではホームページのKUFS PEOPLEにも登場し、2020年には英米語学科主催の講演会で貴重なお話をしてくださいました。今回の「卒業生紹介」は、英米語学科3年の寒川紫月(そうがわしづき)さんが上野明菜さんにオンラインでインタビューし、記事を書いてくれました。
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―京都外国語大学ではどのような大学生活を送られていましたか。
大学内で、先生や他学科の人ともばったり会うことが多かったので、人脈を築きやすい環境にありました。授業では、Debateのクラスなど学年を超えて受講できる科目が印象に残っています。週末のバイトで貯めたお金で友達と一緒に何度か海外旅行に行きました。また、留学生との交流を多くするように心がけていたり、所属していた京都外大Habitatで募金活動などの活動をしたりしていました。このほか、在学中に二年間休学し、在外公館派遣員としてシンガポールで働きました。そこで、社会人としての常識が身についたと感じています。
―大学卒業後、上野さんが築いてこられたキャリアを教えてください。
卒業後は、4年間私立高校で英語教員として勤務しました。この時、教育に関しては日本の子ども達は恵まれすぎていると思いました。以前、シンガポールで働いている時、出張でパプアニューギニアを訪れました。現地でストリートチルドレンを目の前にし、教育は贅沢品だと感じました。そこで、教育から遠い子ども達の支援をしたいと思い、キャリアの方向転換を決めました。一年間の勉強の末、イギリスの大学院に留学し開発教育学を学びました。
大学院卒業後、大阪市教育委員会で働いた後、カンボジアの日本大使館で教育プロジェクトのコーディネーターをしました。その後、世界銀行カンボジア事務所でコンサルタントとして勤務しました。現在は、外務省のJPO(Junior Professional Officer)派遣制度に2度目の応募で合格し、UNICEFのラオス事務所で教育担当官として働いています。
―なぜイギリスの大学院に進学しようと思ったのですか。
経済的な理由もありますが、イギリスではMBAや医療のコース以外なら一年で修士号を取れるからです。そして、サセックス大学には開発学で有名なIDS(Institute of Development Studies)という研究機関があったり、色々な人が講義に来たりするので選びました。
―国際協力や教育の分野で様々な経験やお仕事をされていますが、それぞれのお仕事に惹かれた理由を教えてください。
日本で育っていると、自分から探そうとしない限り、貧困の人を目にすることが少ないと思います。だからこそ、パプアニューギニアのストリートチルドレンを見た時は衝撃で、これが大きなきっかけになっています。「なぜ学校に通えないのか」という貧困のサイクルには多くの角度から問題点があります。例えば、教育だけ支援しても、その子が健康でなければ学校に通えません。実際に問題が起きている現場にいて、このような問題の繋がりを知ることにやりがいを感じます。また、多様な国籍の人々と働ける環境も魅力です。
★インタビュー全文はこちらをクリック
*参考サイト
KUFS People
2020年講演の動画
2021/10/26 10:00:00 2017年度卒業生 阿武美希さん(株式会社 アクセンチュア)
- 卒業生紹介
- 英米語学科
英米語学科ブログの「卒業生紹介」では、社会で活躍されている英米語学科の卒業生を紹介します。「卒業生紹介」第4号は、アクセンチュア株式会社で勤務されている 阿武美希(あんの みき)さんです。
阿武美希さん(2017年卒業生)は、大学卒業後、英オックスフォード大学院に進学し社会学を専攻。卒業後、外資系企業アクセンチュア株式会社でコンサルタントとして勤務されています。本学ではホームページのKUFS PEOPLEなどに登場し、昨年は英米語学科主催の講演会で後輩たちに貴重なお話をしてくださいました。今回の「卒業生紹介」は、英米語学科4年生の楳田愛依さんが阿武美希さんにインタビューし、記事を書いてくれました。
― 世界一とされるオックスフォード大学の大学院進学は外大の歴史において大きな快挙ですが、このことについてどう感じておられますか?
阿武:合格通知を受け取った時は夢のように思いました。外大からでもオックスフォード大学に進学できることを証明できたこと、そして後輩たちにいい影響を与えられたとしたらとても嬉しいです。
― 合格通知を受け取った時のことを覚えておられますか?
阿武:今でもはっきりと覚えています。3月のある日、いつもより早く朝5時に目が覚めたんです。なんとなく予感がしてメールを開くと、オックスフォード大学から合格の知らせが来ていました。母親を起こして何度もそのPDFを確認しましたね。信じられなかったです。
― 京都外国語大学ではどんな学生生活を送っていましたか?
阿武:高校までは普通の英語の授業だったので、英語はあまり話せませんでした。大学では1年からアドバンスクラスでしたが、帰国子女や競争心の高いクラスメイトが多くお互いに刺激し合っていたと思います。「英語を話せるようになる」ために、授業をフル活用し、お昼休みも英語で会話をしていました。テニス部に所属しアルバイトもしていたため、通学時間が貴重な勉強時間でした。
― 留学先にイギリスを選ばれたのはなぜですか?
阿武:先輩に「IELTSを受検してみたら?」と助言を受けたことがきっかけです。1年生の夏に初めて受けてスコア6.0を獲得しました。それが英キール大学への派遣留学のスコアだったんです。基準の高い大学に行けることがわかり、ここに行こうと思いました。
―キール大学への派遣留学が決定してから留学までの間、どのように過ごしましたか?
阿武:TOEFL IBTで90点を取った後、英語以外のこともやっておこうと思い、簿記2級や第2言語(フランス語)の勉強を頑張りました。また、キール大学でマーケティングを学びたかったので、1か月だけ貿易の勉強もしました。
― では、キール大学での留学生活について教えてください。
阿武:海外は初めてだったので、カルチャーギャップがすごかったです。日本の学校と違い、発言して授業に貢献するのが当たり前という環境でした。日常会話はできましたが、ネイティブのスピードに慣れるまでに3か月ほどかかりました。イギリスの食事の味に慣れるのも大変でした。大学の周りには日本食を売っているお店がなくて。イギリスらしく、クリケットを体験できたのは楽しかったです。また、友達とロンドンやドイツ、スペインに旅行に行ったのもいい思い出です。
― キール大学での留学は大学院進学のきっかけになったのでしょうか?
阿武:現地で、キール大学の大学院に通う日本人学生に会う機会があり、「まだ勉強がしたい。またイギリスに来たい。大学院に進学しよう。」と思いました。キール大学で受けた授業がきっかけで、ジェンダー、社会学、国際学をもっと学びたいと思うようになりました。
―帰国後、大学院進学のためにどのようなことをしましたか?
阿武:帰国してから半年間はIELTSの勉強を集中的にやりました。最低でも毎日2時間。英語力は、この半年間が一番大きく伸びたと思います。3年生の夏にオックスフォード大学への進学を意識し始め、3年生最後にスコア8.0を獲得することができました。
― IELTS対策は具体的にどのようなことをされていましたか?
阿武:大学のNINJAを頻繁に利用し、苦手なライティングの強化を行いました。また、BBCで教育関係の記事を読みあさり単語力をつけました。リスニング強化にはBBCのラジオを聞いていました。2年生の時に、TOEFLが満点に近い先輩からリーディングの勉強法を聞いていたので、それを実践すると劇的に力がアップしました。運がよかったことと、いろんな方に助けていただいたおかげだと感じています。
― 大学院進学が決まるまでに苦労したことはありますか?
阿武:「イギリスの大学院まで行って将来何がしたいのか」ということを両親に納得してもらうのに苦労しました。イギリスの大学院に進学した人が周りにはあまりいなくて、ネットでも情報を得るのが難しかったのが大変でした。私がブログを始めたのは、後輩たちに私の情報を参考にしてほしいと思ったのがきっかけです。
― ブログでの情報発信を通して、どんな発見や楽しみがありましたか?
阿武:書くことが好きなので、ブログ発信は趣味の一つとなりました。また、大学院進学か就職するかで悩んでいるとの相談を受け、同じ境遇の人がたくさんいることに気が付きました。
― 大学院のお話に戻りますが、オックスフォード大学での毎日で気づいたことはありますか?
阿武:多言語をビジネスレベルで話せる学生がたくさんいたり、IELTSやTOFELのスコアが満点近い学生がいたりして、圧倒されました。オックスフォード大学に進学したおかげで様々な人々に出会うことができ、新しい経験ばかりでした。大学卒業後すぐに日本で就職していたら、出会えない人たちや経験だったと思います。「こんな人たちが世の中にいるのか」と驚きの毎日でした。
―オックスフォード大学では、ディスカッションがたくさんあったとのことですが、意識していたことや気づいたことはありましたか?
阿武:先ほど述べたように、すごい学生がたくさんいたので、勝てないことは始めから分かっていました。そのため、自分自身が一番言いやすい、日本に関するバックグラウンドを活かした意見を主張するようにしていました。自分で考えることを意識したり、海外の視点から見た日本の記事を読んだりしているうちに、何ごとにも疑問を持つようになりました。この考える力は、考えながら話す機会が多い今の仕事に活きています。
― 現在働いておられるコンサルティング会社でのお仕事について聞かせてください。
阿武:入社して3年目になりますが、主に金融機関のクライアントのプロジェクトで、経営コンサルタントとして色々な経験をさせていただいています。コンサルティング会社には、専門コンサルティング会社と総合コンサルティング会社がありますが、私の会社は後者です。
― コンサルティング会社で働くことを決めたきっかけはありますか?
阿武:大学生と大学院生の時に、総合コンサルティング会社で働いておられる社員の方と出会う機会がありました。プロジェクトごとに様々な新しいことにチャレンジできるということを知り、面白そうだなと思ったことがきっかけです。
― 就職について意識されたのはいつごろですか?
阿武:大学4回生の時に、就職はしなくても自己分析はしておこうと思いました。その時に、コンサルティング会社により興味を持ちました。
―早めの準備を意識されていたのですね。就職活動はどのようにされましたか?
阿武:ロンドンキャリアフォーラムに参加しました。4月上旬から30分のスカイプ面接を受けたり、各社のロンドンにあるオフィスで面接を受けたりして、2週間ほどで内定をいただきました。中には、1日で結果を出す会社もあるようです。
― 現在の目標や頑張っていることはありますか?
阿武:MBA留学のために、GMATと費用の準備をしています。GMATは、ネイティブスピーカーも受ける数学や英語の試験です。実は必要なスコアは既に取得しました。海外MBAは、ヨーロッパだと一年で1,500万円以上の留学費用が必要です。そのため、費用面でも準備を進めています。
― 最後に、外大生にメッセージをお願いします。
阿武:学生の間にぜひ色々な経験をしてください!その経験を通して、自分の本当に好きなこと、将来やりたいこと等が見えてきたり、卒業後の進路や、どんな人生を歩んでいきたいのかを考えたりすることも役に立つと思います。留学、インターン、ボランティア、スポーツ、音楽、何でもいいと思います。学部の4年間はあっという間に終わってしまうので、ぜひ充実な時間を過ごしてください!
* 参考サイト
KUFS People
去年の講演の動画
美希さんのブログ
(株)アクセンチュア
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阿武美希さん(2017年卒業生)は、大学卒業後、英オックスフォード大学院に進学し社会学を専攻。卒業後、外資系企業アクセンチュア株式会社でコンサルタントとして勤務されています。本学ではホームページのKUFS PEOPLEなどに登場し、昨年は英米語学科主催の講演会で後輩たちに貴重なお話をしてくださいました。今回の「卒業生紹介」は、英米語学科4年生の楳田愛依さんが阿武美希さんにインタビューし、記事を書いてくれました。
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― 世界一とされるオックスフォード大学の大学院進学は外大の歴史において大きな快挙ですが、このことについてどう感じておられますか?
阿武:合格通知を受け取った時は夢のように思いました。外大からでもオックスフォード大学に進学できることを証明できたこと、そして後輩たちにいい影響を与えられたとしたらとても嬉しいです。
― 合格通知を受け取った時のことを覚えておられますか?
阿武:今でもはっきりと覚えています。3月のある日、いつもより早く朝5時に目が覚めたんです。なんとなく予感がしてメールを開くと、オックスフォード大学から合格の知らせが来ていました。母親を起こして何度もそのPDFを確認しましたね。信じられなかったです。
― 京都外国語大学ではどんな学生生活を送っていましたか?
阿武:高校までは普通の英語の授業だったので、英語はあまり話せませんでした。大学では1年からアドバンスクラスでしたが、帰国子女や競争心の高いクラスメイトが多くお互いに刺激し合っていたと思います。「英語を話せるようになる」ために、授業をフル活用し、お昼休みも英語で会話をしていました。テニス部に所属しアルバイトもしていたため、通学時間が貴重な勉強時間でした。
― 留学先にイギリスを選ばれたのはなぜですか?
阿武:先輩に「IELTSを受検してみたら?」と助言を受けたことがきっかけです。1年生の夏に初めて受けてスコア6.0を獲得しました。それが英キール大学への派遣留学のスコアだったんです。基準の高い大学に行けることがわかり、ここに行こうと思いました。
―キール大学への派遣留学が決定してから留学までの間、どのように過ごしましたか?
阿武:TOEFL IBTで90点を取った後、英語以外のこともやっておこうと思い、簿記2級や第2言語(フランス語)の勉強を頑張りました。また、キール大学でマーケティングを学びたかったので、1か月だけ貿易の勉強もしました。
― では、キール大学での留学生活について教えてください。
阿武:海外は初めてだったので、カルチャーギャップがすごかったです。日本の学校と違い、発言して授業に貢献するのが当たり前という環境でした。日常会話はできましたが、ネイティブのスピードに慣れるまでに3か月ほどかかりました。イギリスの食事の味に慣れるのも大変でした。大学の周りには日本食を売っているお店がなくて。イギリスらしく、クリケットを体験できたのは楽しかったです。また、友達とロンドンやドイツ、スペインに旅行に行ったのもいい思い出です。
― キール大学での留学は大学院進学のきっかけになったのでしょうか?
阿武:現地で、キール大学の大学院に通う日本人学生に会う機会があり、「まだ勉強がしたい。またイギリスに来たい。大学院に進学しよう。」と思いました。キール大学で受けた授業がきっかけで、ジェンダー、社会学、国際学をもっと学びたいと思うようになりました。
―帰国後、大学院進学のためにどのようなことをしましたか?
阿武:帰国してから半年間はIELTSの勉強を集中的にやりました。最低でも毎日2時間。英語力は、この半年間が一番大きく伸びたと思います。3年生の夏にオックスフォード大学への進学を意識し始め、3年生最後にスコア8.0を獲得することができました。
― IELTS対策は具体的にどのようなことをされていましたか?
阿武:大学のNINJAを頻繁に利用し、苦手なライティングの強化を行いました。また、BBCで教育関係の記事を読みあさり単語力をつけました。リスニング強化にはBBCのラジオを聞いていました。2年生の時に、TOEFLが満点に近い先輩からリーディングの勉強法を聞いていたので、それを実践すると劇的に力がアップしました。運がよかったことと、いろんな方に助けていただいたおかげだと感じています。
― 大学院進学が決まるまでに苦労したことはありますか?
阿武:「イギリスの大学院まで行って将来何がしたいのか」ということを両親に納得してもらうのに苦労しました。イギリスの大学院に進学した人が周りにはあまりいなくて、ネットでも情報を得るのが難しかったのが大変でした。私がブログを始めたのは、後輩たちに私の情報を参考にしてほしいと思ったのがきっかけです。
― ブログでの情報発信を通して、どんな発見や楽しみがありましたか?
阿武:書くことが好きなので、ブログ発信は趣味の一つとなりました。また、大学院進学か就職するかで悩んでいるとの相談を受け、同じ境遇の人がたくさんいることに気が付きました。
― 大学院のお話に戻りますが、オックスフォード大学での毎日で気づいたことはありますか?
阿武:多言語をビジネスレベルで話せる学生がたくさんいたり、IELTSやTOFELのスコアが満点近い学生がいたりして、圧倒されました。オックスフォード大学に進学したおかげで様々な人々に出会うことができ、新しい経験ばかりでした。大学卒業後すぐに日本で就職していたら、出会えない人たちや経験だったと思います。「こんな人たちが世の中にいるのか」と驚きの毎日でした。
―オックスフォード大学では、ディスカッションがたくさんあったとのことですが、意識していたことや気づいたことはありましたか?
阿武:先ほど述べたように、すごい学生がたくさんいたので、勝てないことは始めから分かっていました。そのため、自分自身が一番言いやすい、日本に関するバックグラウンドを活かした意見を主張するようにしていました。自分で考えることを意識したり、海外の視点から見た日本の記事を読んだりしているうちに、何ごとにも疑問を持つようになりました。この考える力は、考えながら話す機会が多い今の仕事に活きています。
― 現在働いておられるコンサルティング会社でのお仕事について聞かせてください。
阿武:入社して3年目になりますが、主に金融機関のクライアントのプロジェクトで、経営コンサルタントとして色々な経験をさせていただいています。コンサルティング会社には、専門コンサルティング会社と総合コンサルティング会社がありますが、私の会社は後者です。
― コンサルティング会社で働くことを決めたきっかけはありますか?
阿武:大学生と大学院生の時に、総合コンサルティング会社で働いておられる社員の方と出会う機会がありました。プロジェクトごとに様々な新しいことにチャレンジできるということを知り、面白そうだなと思ったことがきっかけです。
― 就職について意識されたのはいつごろですか?
阿武:大学4回生の時に、就職はしなくても自己分析はしておこうと思いました。その時に、コンサルティング会社により興味を持ちました。
―早めの準備を意識されていたのですね。就職活動はどのようにされましたか?
阿武:ロンドンキャリアフォーラムに参加しました。4月上旬から30分のスカイプ面接を受けたり、各社のロンドンにあるオフィスで面接を受けたりして、2週間ほどで内定をいただきました。中には、1日で結果を出す会社もあるようです。
― 現在の目標や頑張っていることはありますか?
阿武:MBA留学のために、GMATと費用の準備をしています。GMATは、ネイティブスピーカーも受ける数学や英語の試験です。実は必要なスコアは既に取得しました。海外MBAは、ヨーロッパだと一年で1,500万円以上の留学費用が必要です。そのため、費用面でも準備を進めています。
― 最後に、外大生にメッセージをお願いします。
阿武:学生の間にぜひ色々な経験をしてください!その経験を通して、自分の本当に好きなこと、将来やりたいこと等が見えてきたり、卒業後の進路や、どんな人生を歩んでいきたいのかを考えたりすることも役に立つと思います。留学、インターン、ボランティア、スポーツ、音楽、何でもいいと思います。学部の4年間はあっという間に終わってしまうので、ぜひ充実な時間を過ごしてください!
* 参考サイト
KUFS People
去年の講演の動画
美希さんのブログ
(株)アクセンチュア
2021/08/17 19:10:00 2016年度卒業生 福田 隆也さん(株式会社 関東マツダ)
- 卒業生紹介
- 英米語学科
英米語学科ブログの「卒業生紹介」では、社会で活躍されている英米語学科の卒業生を紹介します。「卒業生紹介」第3号は、株式会社 関東マツダで勤務されている 福田隆也さんです。
私は現在、マツダ株式会社の子会社で、関東1都3県にマツダの販売店を展開する、株式会社関東マツダで営業スタッフとして働いています。周りのスタッフと違い、新卒採用ではなく、中途採用で入社しました。これまで色々と苦労もありましたが、結果として夢が叶いました。誇れる経験や経歴ではないですが、私が思う大切なことを3点、大学生活、挫折や失敗をした時のこと、諦めないことをお伝えします。
私は「英語が好き、おもしろい」という気持ちを持ち英米語学科に入学しました。家庭の事情で海外留学する選択肢はなかったですが、大学ではそれ以上に価値のある学びができると思い、勉強に励みました。周りの留学経験のある学生に負けないよう、定期的に英語の資格試験を受け、大学生活は、人生で最も勉強をした期間でした。また、言語学(生成文法)に興味を持ち、大学院の授業に特別に参加させていただくなど自らたくさんのことを学ぶように努力しました。私の経験上、企業の採用面接で大学での学習や活動を聞かれなかったことは一度もありません。大学での学習経験と努力が、私の人生を何度も救ってくれました。私にとっては宝だと思っています。後輩の皆さんもぜひ将来の自分を救ってくれるような経験を、大学でたくさんしてほしいと思います。
冒頭で現在夢が叶ったと書きましたが、今に至るまでにたくさんの苦労がありました。新卒採用の時は、志望していたマツダ株式会社、地元のマツダの販売会社を落ちてしまいました。大変落胆して、別業界、別の場所で働こうと東京にある飲食業の会社に入社しました。その後、ホテル、学習塾と転職を2度しました。自分のやりたいことが分からず、ありたい自分を見失っている、とても辛い時期でした。過去にはたくさん後悔もしましたが、今になって思うのは、挫折や失敗をした時は無理しすぎずに逃げても良いということです。私もこれまで挫折や失敗ばかりでしたが、現在は自分に満足して、充実した毎日を過ごしています。それもある意味過去の挫折のおかげです。
最後にお伝えしたいのは、諦めないことの大切さです。先ほどの経歴を見ると、なぜ飲食、ホテル、塾で働いた後にマツダの販売会社に入れるのかと、不思議に思われると思います。私が今の会社に入れたのは、やりたいこと、夢をあきらめずに行動したからです。一般的に自動車メーカーの正規販売店を運営する企業は、採用後の定着率も高く、新卒採用が主になります。そんな中、関東マツダが中途採用の求人を出しているのを見つけて、即応募しました。面接では、大学での学び、これまでの職務経験をどのように仕事に生かせるのか、そしてマツダで働くのを諦められないという強い気持ちを伝えました。また、大学生の時と大きく変わらない点数を英語の資格試験で取得していたことにも驚かれました。しかし、最後は気持ちだと思います。諦めないこと、その気持ちの強さが自分の未来を切り拓きます。新卒採用の時、私に足りなかったものです。
英語はもちろん今も好きなので、今後も勉強を続けていきます。現在は営業スタッフとして、マツダファンを増やすべく日々奮闘していますが、将来的には管理部門など、より多くの人に影響を与えられるような仕事をしたいと考えています。マツダとともに「飽くなき挑戦」を続けていこうと思います。
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株式会社 関東マツダ
福田隆也
福田隆也
私は現在、マツダ株式会社の子会社で、関東1都3県にマツダの販売店を展開する、株式会社関東マツダで営業スタッフとして働いています。周りのスタッフと違い、新卒採用ではなく、中途採用で入社しました。これまで色々と苦労もありましたが、結果として夢が叶いました。誇れる経験や経歴ではないですが、私が思う大切なことを3点、大学生活、挫折や失敗をした時のこと、諦めないことをお伝えします。
私は「英語が好き、おもしろい」という気持ちを持ち英米語学科に入学しました。家庭の事情で海外留学する選択肢はなかったですが、大学ではそれ以上に価値のある学びができると思い、勉強に励みました。周りの留学経験のある学生に負けないよう、定期的に英語の資格試験を受け、大学生活は、人生で最も勉強をした期間でした。また、言語学(生成文法)に興味を持ち、大学院の授業に特別に参加させていただくなど自らたくさんのことを学ぶように努力しました。私の経験上、企業の採用面接で大学での学習や活動を聞かれなかったことは一度もありません。大学での学習経験と努力が、私の人生を何度も救ってくれました。私にとっては宝だと思っています。後輩の皆さんもぜひ将来の自分を救ってくれるような経験を、大学でたくさんしてほしいと思います。
冒頭で現在夢が叶ったと書きましたが、今に至るまでにたくさんの苦労がありました。新卒採用の時は、志望していたマツダ株式会社、地元のマツダの販売会社を落ちてしまいました。大変落胆して、別業界、別の場所で働こうと東京にある飲食業の会社に入社しました。その後、ホテル、学習塾と転職を2度しました。自分のやりたいことが分からず、ありたい自分を見失っている、とても辛い時期でした。過去にはたくさん後悔もしましたが、今になって思うのは、挫折や失敗をした時は無理しすぎずに逃げても良いということです。私もこれまで挫折や失敗ばかりでしたが、現在は自分に満足して、充実した毎日を過ごしています。それもある意味過去の挫折のおかげです。
最後にお伝えしたいのは、諦めないことの大切さです。先ほどの経歴を見ると、なぜ飲食、ホテル、塾で働いた後にマツダの販売会社に入れるのかと、不思議に思われると思います。私が今の会社に入れたのは、やりたいこと、夢をあきらめずに行動したからです。一般的に自動車メーカーの正規販売店を運営する企業は、採用後の定着率も高く、新卒採用が主になります。そんな中、関東マツダが中途採用の求人を出しているのを見つけて、即応募しました。面接では、大学での学び、これまでの職務経験をどのように仕事に生かせるのか、そしてマツダで働くのを諦められないという強い気持ちを伝えました。また、大学生の時と大きく変わらない点数を英語の資格試験で取得していたことにも驚かれました。しかし、最後は気持ちだと思います。諦めないこと、その気持ちの強さが自分の未来を切り拓きます。新卒採用の時、私に足りなかったものです。
英語はもちろん今も好きなので、今後も勉強を続けていきます。現在は営業スタッフとして、マツダファンを増やすべく日々奮闘していますが、将来的には管理部門など、より多くの人に影響を与えられるような仕事をしたいと考えています。マツダとともに「飽くなき挑戦」を続けていこうと思います。
2021/08/16 18:40:00 2018年度卒業生 重松由樹さん(本学入試センター勤務)
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英米語学科ブログの「卒業生紹介」では、社会で活躍されている英米語学科の卒業生を紹介します。「卒業生紹介」第2号は、本学入試センターで勤務されている重松由樹さんです。
「自分の信じた道を進め!」
みなさん、こんにちは!2018年度英米語学科卒業生の重松由樹です。私は卒業後、ここ母校で働いています。入職後、入試センターという部署に配属され、この4年間、募集広報から入学試験の実施まで様々な業務に携わってきました。体力的にもハードで、デリケートな内容を取り扱うことも多く大変なこともありますが、その分、成長を実感することができます。
母校で働く、というのは面白いもので、色々な発見もあります。私も学生時代はというと、留学生と一緒に授業を受け、キャンパス内で多数の言語が飛び交っているような環境をごく当たり前なことだと思って過ごしていました。しかし、自身が大学職員として教育機関の関係者らと対談する中で、本学のこの環境は学内にとどまらず本当に多くの方の創意工夫や熱意によって支えられているのだと気付かされます。
せっかくなので、少し入試センターらしいお話をさせていただきます。「教育制度」、私自身が大学という組織で仕事をするようになり、一番関心のあるトピックです。私たちは大学へ進学を考える場合、日本では、一般的には、小学校・中学校・高等学校の6・3・3年制、つまり12年の教育を受けますよね。これって当たり前のことなのでしょうか?
実は、世界を見渡すと国によっては、小中高の通算年数が10年、11年、さらには12年よりも多い13年の教育を行っている場合もあります。国や地域によって異なる教育制度が提供される中、「教育」の中で重視される項目も異なります。そのような中で、公平な入試選抜を実施するというのは実はとても難しいことなのです。入試制度の多様化や入試制度の改廃等が検討されることになります。
このように、受験生目線では「出願資格」を確認していただければ良いのですが、日本国内だけでなく海外の教育を受けた方を受け入れるには、大学入学資格に関する項目、学校教育法などの法令、諸外国の教育制度に至るまで様々な専門知識が必要になります。知識のアップデートもさることながら、場合によっては、海外の教育機関に問い合わせる事もあり、正確に物事を伝える語学能力や交渉力も試されます。現在ではオンラインツールの利用も活発になり、海外の学生ともZOOMでやり取りをし、直接ヒアリングを行うことで彼らに求められているニーズにも素早く対応できるように工夫する機会を積極的に作ることも重要な仕事の一つだと考えています。
私は、主にグローバルアドミッション(外国人留学生や帰国生を対象にした入学試験制度)を担当していますが、広報活動だけでなく、本学の入試制度について英語で正確に伝達しなければならないというプレッシャーと常に対峙しています。その一方で、本学に魅力を感じ世界中から志願する学生の期待に応える為にも、そして本学が真にグローバルな大学としてより広く認知される為にも重要な役割を与えられていると思うと、より一層のやり甲斐を感じます。
最後に、なぜ私が京都外大に入学したのかお話しします。一番の理由は自宅から近かったからです。冗談のように聞こえるかもしれませんが、一分一秒でも勉強時間に多く充てられるというのはメリットが大きいです。ではなぜ「外国語」を真剣に勉強しようと思ったのかというと、たまたま観ていたテレビがきっかけでした。
2013年のある日、2020年東京オリンピックの開催が決定し、「これからもはますます英語が話せるグローバル人材が必要になる」これが私にとってのキーワードでした。入試センターから送られてきた「合否結果通知書」は今でも私の宝物です。私には、「夢に向かって頑張れ!」と書かれているように感じたのです。
いざ入学してみると、全く想像していたキラキラのキャンパスライフではありませんでした。とにかく一番に教室に行き、閉室ギリギリまで勉強して帰宅する日々。文字通り英語漬けの毎日で、喉が枯れるまで音読をし、分からない所、覚えにくい箇所は何か理由があるのだと思い、先生を追いかけては質問をしていました。
派遣留学、弁論大会、プレゼンテーションコンテストなど、少しでも経験値を増やす為に必死に駆け抜けた4年間でした。なぜこんなことができたかというと、私には特に秀でた能力も才能もないと分かっていたからです。ただ、勉強に打ち込める、保証された4年間はそのようなことは言い訳にせずとにかく走り抜けようと思っていました。毎日コツコツ努力することしかできませんでした。要領も悪く、周りから見たら空回りもあったかもしれませんが、それでも学問に対する姿勢や努力を次第に評価されるようになりました。そのような学生生活を過ごすうちに、卒業後も私が学生生活を支えてもらったように母校に関わりながら自分なりの恩返しをしたいと強く思うようになったのです。
現在、みなさんは、これまで以上に制約が多く不安な日々をお過ごしかと思います。特に学生のみなさんにこの場をお借りしてお伝えしたいのは「判断に困った時こそ、自分の信じた道を進め」ということです。答えは常に自分の心の中にあり、それを信じて最善を尽くし続けることこそがいつか大きな夢を達成する事に繋がると思います。ずっと走り続けるというのは大変なことです。夢や目標が大きければなおさらです。時には自分が設定した夢の大きさに押しつぶされそうになることもあるでしょう。それでも、みなさんが今、試行錯誤しながら取り組んでいるどんな事も、きっと将来役に立つことでしょう。他人から見ると成功や失敗といった無機質な評価がつけられることもあるでしょうが、あなたにとってはすべてが経験値になるはずです。私も頑張ります、みなさんも自分を信じて頑張ってください。応援しています。
今回の記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。また、特にこれまで私を大学職員として育ててくださった教職員の皆様、そして、今回ブログ執筆の機会をくださった学科の先生方に心より感謝申し上げます。
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「自分の信じた道を進め!」
京都外国語大学 入試センター
グローバルアドミッションオフィサー
重松由樹
グローバルアドミッションオフィサー
重松由樹
みなさん、こんにちは!2018年度英米語学科卒業生の重松由樹です。私は卒業後、ここ母校で働いています。入職後、入試センターという部署に配属され、この4年間、募集広報から入学試験の実施まで様々な業務に携わってきました。体力的にもハードで、デリケートな内容を取り扱うことも多く大変なこともありますが、その分、成長を実感することができます。
母校で働く、というのは面白いもので、色々な発見もあります。私も学生時代はというと、留学生と一緒に授業を受け、キャンパス内で多数の言語が飛び交っているような環境をごく当たり前なことだと思って過ごしていました。しかし、自身が大学職員として教育機関の関係者らと対談する中で、本学のこの環境は学内にとどまらず本当に多くの方の創意工夫や熱意によって支えられているのだと気付かされます。
せっかくなので、少し入試センターらしいお話をさせていただきます。「教育制度」、私自身が大学という組織で仕事をするようになり、一番関心のあるトピックです。私たちは大学へ進学を考える場合、日本では、一般的には、小学校・中学校・高等学校の6・3・3年制、つまり12年の教育を受けますよね。これって当たり前のことなのでしょうか?
実は、世界を見渡すと国によっては、小中高の通算年数が10年、11年、さらには12年よりも多い13年の教育を行っている場合もあります。国や地域によって異なる教育制度が提供される中、「教育」の中で重視される項目も異なります。そのような中で、公平な入試選抜を実施するというのは実はとても難しいことなのです。入試制度の多様化や入試制度の改廃等が検討されることになります。
このように、受験生目線では「出願資格」を確認していただければ良いのですが、日本国内だけでなく海外の教育を受けた方を受け入れるには、大学入学資格に関する項目、学校教育法などの法令、諸外国の教育制度に至るまで様々な専門知識が必要になります。知識のアップデートもさることながら、場合によっては、海外の教育機関に問い合わせる事もあり、正確に物事を伝える語学能力や交渉力も試されます。現在ではオンラインツールの利用も活発になり、海外の学生ともZOOMでやり取りをし、直接ヒアリングを行うことで彼らに求められているニーズにも素早く対応できるように工夫する機会を積極的に作ることも重要な仕事の一つだと考えています。
私は、主にグローバルアドミッション(外国人留学生や帰国生を対象にした入学試験制度)を担当していますが、広報活動だけでなく、本学の入試制度について英語で正確に伝達しなければならないというプレッシャーと常に対峙しています。その一方で、本学に魅力を感じ世界中から志願する学生の期待に応える為にも、そして本学が真にグローバルな大学としてより広く認知される為にも重要な役割を与えられていると思うと、より一層のやり甲斐を感じます。
最後に、なぜ私が京都外大に入学したのかお話しします。一番の理由は自宅から近かったからです。冗談のように聞こえるかもしれませんが、一分一秒でも勉強時間に多く充てられるというのはメリットが大きいです。ではなぜ「外国語」を真剣に勉強しようと思ったのかというと、たまたま観ていたテレビがきっかけでした。
2013年のある日、2020年東京オリンピックの開催が決定し、「これからもはますます英語が話せるグローバル人材が必要になる」これが私にとってのキーワードでした。入試センターから送られてきた「合否結果通知書」は今でも私の宝物です。私には、「夢に向かって頑張れ!」と書かれているように感じたのです。
いざ入学してみると、全く想像していたキラキラのキャンパスライフではありませんでした。とにかく一番に教室に行き、閉室ギリギリまで勉強して帰宅する日々。文字通り英語漬けの毎日で、喉が枯れるまで音読をし、分からない所、覚えにくい箇所は何か理由があるのだと思い、先生を追いかけては質問をしていました。
派遣留学、弁論大会、プレゼンテーションコンテストなど、少しでも経験値を増やす為に必死に駆け抜けた4年間でした。なぜこんなことができたかというと、私には特に秀でた能力も才能もないと分かっていたからです。ただ、勉強に打ち込める、保証された4年間はそのようなことは言い訳にせずとにかく走り抜けようと思っていました。毎日コツコツ努力することしかできませんでした。要領も悪く、周りから見たら空回りもあったかもしれませんが、それでも学問に対する姿勢や努力を次第に評価されるようになりました。そのような学生生活を過ごすうちに、卒業後も私が学生生活を支えてもらったように母校に関わりながら自分なりの恩返しをしたいと強く思うようになったのです。
現在、みなさんは、これまで以上に制約が多く不安な日々をお過ごしかと思います。特に学生のみなさんにこの場をお借りしてお伝えしたいのは「判断に困った時こそ、自分の信じた道を進め」ということです。答えは常に自分の心の中にあり、それを信じて最善を尽くし続けることこそがいつか大きな夢を達成する事に繋がると思います。ずっと走り続けるというのは大変なことです。夢や目標が大きければなおさらです。時には自分が設定した夢の大きさに押しつぶされそうになることもあるでしょう。それでも、みなさんが今、試行錯誤しながら取り組んでいるどんな事も、きっと将来役に立つことでしょう。他人から見ると成功や失敗といった無機質な評価がつけられることもあるでしょうが、あなたにとってはすべてが経験値になるはずです。私も頑張ります、みなさんも自分を信じて頑張ってください。応援しています。
今回の記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。また、特にこれまで私を大学職員として育ててくださった教職員の皆様、そして、今回ブログ執筆の機会をくださった学科の先生方に心より感謝申し上げます。
2021/07/21 09:00:00 2016年度卒業生 吉井靖宗さん(明徳義塾中学・高等学校教員)
- 卒業生紹介
- 英米語学科
英米語学科ブログの「卒業生紹介」では、社会で活躍されている英米語学科の卒業生を紹介します。「卒業生紹介」第1号は、高知県の明徳義塾中学・高等学校で英語教員をされている吉井靖宗さんです。同僚の村上由真さんも本学卒業生(2018年度)です。
毎日が“留学”!
真の国際人をジョン万の街土佐から
私が京都外国語大学外国語学部英米語学科を卒業し、高知の明徳義塾中学・高等学校で教員となって、今年で5年目を迎えました。中学生の頃から教員を目指し、当初大学では英語教育を学んでいましたが、3回生の時に藤本幸治先生の生成文法の授業を受けて言語を学ぶ面白さに気づき、それがきっかけで言語学を専攻し、今も勉強を続けています。
明徳義塾竜キャンパスには4つのコースがあり、私は1年間姉妹校に留学するプログラムがある英語コースの担任をしています。全校生徒の約3割が留学生で、教室では日本人と留学生が一緒に授業を受けています。後輩で卒業生の村上由真先生も同キャンパス勤務・同じ英語コースの担任をしており、その持前の明るさとパワフルさで英語コースを盛り立ててくれています。明徳義塾は「師弟同業」の寮生活を通じて「徳・体・知」の三位一体の教育を目指しており、教員も生徒と同じ敷地に住み、住宅も寮に隣接しているので、いつでも生徒の明るい声やクラブ活動での掛け声が聞こえてきます。親元を離れた寮生にとって我々は親同然であり、進路指導などでは我々の一言が生徒の人生を決めてしまうかもしれないという責任感を持って指導に当たっています。嬉しいことや悲しいことで一喜一憂し、生徒が成長して輝く姿を間近で見ることができ、やり甲斐と嬉しさを日々感じています。
今回7月10日・11日・12日の3日間で京都外国語大学教授の藤本幸治先生をお招きして「夏期英語特別補習」を行いました。留学直前の高校2年生には資格試験の勉強だけではなく学問としての英語を、これから留学を目指す高校1年生には英語の面白さを、受験を控える高校3年生には大学受験・実際大学で教えられている専門的な内容(生成文法理論)を勉強して言語を学ぶ面白さを実感してもらいたいと思い、この補習を企画しました。普段では受けられない講義に生徒たちも大きく刺激を受けていて、みっちり英語漬けの3日目は、さすがにクタクタな様子でした。特に私が担任をしている高校3年生は、1年間の留学を経験し英語に自信をつけていましたが、藤本先生の“何故人間は言葉を話すのか”、言語の謎を追求する生成文法の授業を受け、「今までとは違った英語の見方をすることができた」「大学でも英語を勉強したい」と講義が終わってからも質問に行くなど目を輝かせていました。多くの生徒から「普段聞けない英語の話を聞けて英語への興味が深まった」という意見が寄せられました。一方「英語を専門として学ぶことは難しい」という意見もあり、今後はプログラム内容を検討してより良いものを企画していきたいと思います。
ジョン万次郎発祥の地である土佐から、大学から受け継いだ「言語を通して世界に平和を」の精神で、明徳での学習を通じて世界で輝く国際人を育てられたらなと思います。
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毎日が“留学”!
真の国際人をジョン万の街土佐から
明徳義塾中学・高等学校
英語科 吉井靖宗
英語科 吉井靖宗
私が京都外国語大学外国語学部英米語学科を卒業し、高知の明徳義塾中学・高等学校で教員となって、今年で5年目を迎えました。中学生の頃から教員を目指し、当初大学では英語教育を学んでいましたが、3回生の時に藤本幸治先生の生成文法の授業を受けて言語を学ぶ面白さに気づき、それがきっかけで言語学を専攻し、今も勉強を続けています。
明徳義塾竜キャンパスには4つのコースがあり、私は1年間姉妹校に留学するプログラムがある英語コースの担任をしています。全校生徒の約3割が留学生で、教室では日本人と留学生が一緒に授業を受けています。後輩で卒業生の村上由真先生も同キャンパス勤務・同じ英語コースの担任をしており、その持前の明るさとパワフルさで英語コースを盛り立ててくれています。明徳義塾は「師弟同業」の寮生活を通じて「徳・体・知」の三位一体の教育を目指しており、教員も生徒と同じ敷地に住み、住宅も寮に隣接しているので、いつでも生徒の明るい声やクラブ活動での掛け声が聞こえてきます。親元を離れた寮生にとって我々は親同然であり、進路指導などでは我々の一言が生徒の人生を決めてしまうかもしれないという責任感を持って指導に当たっています。嬉しいことや悲しいことで一喜一憂し、生徒が成長して輝く姿を間近で見ることができ、やり甲斐と嬉しさを日々感じています。
今回7月10日・11日・12日の3日間で京都外国語大学教授の藤本幸治先生をお招きして「夏期英語特別補習」を行いました。留学直前の高校2年生には資格試験の勉強だけではなく学問としての英語を、これから留学を目指す高校1年生には英語の面白さを、受験を控える高校3年生には大学受験・実際大学で教えられている専門的な内容(生成文法理論)を勉強して言語を学ぶ面白さを実感してもらいたいと思い、この補習を企画しました。普段では受けられない講義に生徒たちも大きく刺激を受けていて、みっちり英語漬けの3日目は、さすがにクタクタな様子でした。特に私が担任をしている高校3年生は、1年間の留学を経験し英語に自信をつけていましたが、藤本先生の“何故人間は言葉を話すのか”、言語の謎を追求する生成文法の授業を受け、「今までとは違った英語の見方をすることができた」「大学でも英語を勉強したい」と講義が終わってからも質問に行くなど目を輝かせていました。多くの生徒から「普段聞けない英語の話を聞けて英語への興味が深まった」という意見が寄せられました。一方「英語を専門として学ぶことは難しい」という意見もあり、今後はプログラム内容を検討してより良いものを企画していきたいと思います。
ジョン万次郎発祥の地である土佐から、大学から受け継いだ「言語を通して世界に平和を」の精神で、明徳での学習を通じて世界で輝く国際人を育てられたらなと思います。