留学で得たもの
留学することを目標に京都外国語大学に入学したのですが、1回生のときも2回生になってからも、成績は特に良いほうではありませんでした。しかし、入学時の目標を達成しようと奮起し、試験に向けて努力しました。そして希望どおり、派遣留学生としてブラジリア大学に1年間留学できたのです。
留学が始まるとき、前期はコミュニケーション、後期は勉強や研究に集中するという計画で授業に臨んだのですが、実際に大学が始まると、教室での先生とのコミュニケーションも成り立たず、落ち込むことが多くなりました。授業の内容はもちろん、つぎの週までの宿題や教室変更のお知らせさえもわからない有様でした。辞書の入った重い鞄を抱えたままうろうろしていると、心から情けなくなりました。「これはホンマに早く友達を作って情報を回してもらわんと」と、真剣に友達を増やす努力を始めました。この焦りが良かったのか、ブラジル人が親切だったのか、とにかく、早い時期からたくさんの友達を作ることができました。
![]() |
友人によると、ブラジル人は「外」からの人に対する憧れや興味が強く、外国人だけではなく、例えば小さな町では外から来た人と知り合いになりたがるそうです。とくに、自分の知らない事を知っているだろう人を賞賛する傾向が強いとのことです。誰もが気軽に海外に旅行にいけるお国柄ではないというのも理由かもしれません。私の印象では、ブラジル人は日本人にはかなり好意的で、よくブラジル人から聞いた「ブラジル人は皆日本人が好きです」という言葉どおり、「日本から来たのね。あんな遠いところからよく来たね。」と快く迎えていただいた1年間だったように思います。 |
|
お別れパーティーに友人と
|
勉強の話をしましょう。
ブラジリア大学では「外国人のためのポルトガル語」という教科以外はブラジル人学生と全く同じ条件でした。試験も研究発表も、論文も、ブラジル人と同じように課される教科もありました。資料を読み終えるだけでもかなりの時間が必要で、それでも理解できない時は友達に頼るしかありませんでした。私は幸運にも、私が理解するまで丁寧に何度も説明してくれる、多くの友達に恵まれました。外国人向けのポルトガル語教師になりたい語っていた友人は本当に親身に助けてくれ、厳しいくらい鍛えてくれました。
どの教科も75%の出席を下回ると落第します。そのかわり、ひとつの授業で7回までの欠席(全体の25%以下の欠席)は生徒の「権利」とも考えられているため、1回だけ休んだ人も、7回休んだ人も、評価の扱いは同じでした。7回の範囲内なら例え試験日でも「旅行に行くので、試験は、後日受けさせてください」と言えば、試験を受けることができました。
初めの3・4か月、私たち留学生をイライラさせたのは、ブラジル人がけっこう平然とマイナスなことを相手にそのまま伝えたり、よく知らないうちから相手の性格などを評価することでした。例えば、「友だちにくれべてあなたはポルトガル語が下手」とか「太ったね」、「誰々はこうだけど、あなたはちがう」とかです。さらに、日本では相手の外見をあだ名にすることはないと思いますが、ブラジルでは、「あの太い子」とか「背の低い人」または「日本人」など、外見を使ったあだ名が多いのです。これは、日本人の感覚では一見失礼で無神経であると思いました。
| なんといっても、留学の魅力は、普段日本ではできないことができることにあります。とくに、ブラジル特有の文化が学べることでした。私はカポエイラというブラジルの格闘技を学びました。カポエイラは日本でも数か所に教える場所があり、音楽や唄、踊り、格闘技、さらには、独自の文化や伝統が融合した競技といえます。カポエイラの先生が練習の合間に教えてくれたカポエイラの心構えは、ブラジルの文化、歴史を色濃く反映していておもしろかったです。半年、カポエイラを習い、柔道の帯のようなものもいただけました。 |
|
|
カポエイラ
|
振り返ってみますと、留学中に情緒不安定になったりもしましたが、今では「たった1年の滞在とは思えないほどポルトガル語が上手い」とブラジル人に驚いてもらえたり、ボランティアで行っている通 訳の時、日系ブラジル人に間違えられたりもします。帰国後に実施されたポルトガル語能力試験でも、先生方に「よくできている」と、誉めていただけました。
以前、「留学で得たものは帰国したからといって、すぐには見えてこない」といった方がいます。実際私にはまだ、変わった自分、そのままの自分、留学の影響、得たものなど全部は見えてきませんが、将来の夢、今したい事などは、徐々に見えてきました。留学のお陰です。先生方、友人、支えてくれた方々、そして両親・姉に感謝したいと思います。
奥田 若菜(2000〜2001年)