サンパウロ大学 留学体験記 

1998/1999


日系人の友人と

その日は、何がおこるかわからないから、はやめに帰ったほうがいいよ、といわれていた。サンパウロ大学(USP)の授業は、午前中できりあげられ、私もそそくさと下宿先に戻った。

午前中に会った友達によると、どの銀行も閉まるらしい。その他商店も同様。その上、バス、地下鉄も大方とまるかも・・・ということであった。

四年に一度のビッグイベント、サッカーワールドカップ、ブラジル戦、その日である。


家に帰ると、さっそくみんなが集まっており、ブラジルのユニフォームを着て、ポップコーンとコーラ、そして応援グッズを片手に、テレビの前ですでにスタンバイOKであった。


試合開始。
路上には人影もなく、バスが止まってしまって、帰りそびれた人をのぞいては、みんな家に帰ってテレビの前である。どこかでひっきりなしに打ち上げ花火の音がひびき、どの家々からも、歓声やら、ラッパの音やらが聞こえてくる。さらに、ブラジルがゴールを決めたときなどは、それはそれはすごい。街中からわきあがる地ひびきがするほどの歓声。街中が、いや、ブラジル中が、その一瞬に反応していた。


結局、惜しくもブラジルは、その年の優勝は逃し、その翌日からは、もう平常通りの日々が戻ってきた。
・・・それにしても、これで優勝していたら、一週間は、ブラジル全土の活動は停止してたと思うね、と、友人は、ちょっとほっとしたようにいった。


こうして、私は、ブラジルのパワーや、明るさにふれるたびに、どんどんその魅力にとりつかれていった。
そして、日本では考えられなかったような、多くのことが自分になかで”普通”になっていった。
それどころか、日本の常識こそがおかしいのではないか、という気さえしてきたものだった。
それほど、ブラジルを流れる空気は、自由で、明るく、あたたかかったのである。
一年という短い間ではあったが、目を閉じるとその様々なことを思い出す。
広大なサンパウロ大学のキャンパス、友達たち、いろいろとお世話になった方々・・・
サンパウロ大学文学部


サンパウロ市内、東洋人街

日本とブラジルで、これほど離れていても、メール等のやりとりで、昔よりは、距離が近くなっていることは、私にとって何より救いである。このうえ、今現在、飛行機で、24時間以上かかっている、日本・ブラジル間が、1時間程になってくれれば申し分ないのに、と思う今日この頃である。

村松英理子

(’98-’99USP留学)

1999.6月記


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