ミーニョ大学(Universidade do Minho)
- いつからいつまで?
1995年10月9日〜1996年5月31日です。
- 授業料はいくらでしたか?
入学金 1万エスクード
前期 4万エスクード
後期 4万エスクード
- 学生生活はどうでしたか?
授業---初級と中級の2クラス。コースの初日にテストをして分けた。中級の授業内容は、現代ポルトガル(の歴史)、ポルトガル文化、文法、ポルトガル文学の4科目。中級クラスは会話に不自由のない人達ばかりなので、先生方もしゃべりまくっていた。
cantina(学生食堂)---大学に大きいのが一つあり、メニューは選べない。パン、スープ、ドリンク(ジュース)、その日のメインディッシュ(肉or魚、フライドポテト、ライス、サラダ)とデザート(フルーツ、プリン、アイスクリームなど)、以上で250エスクード。他に二つあるが、少し割高。学外にもcaf氏iカフェテリア)があり、たまに利用していた。だいたい一人500エスクード。やはりcantinaよりおいしい。ポルトガルの食事は量が多く、油っこいせいか、気をつけないと太る。実際、私は8kg太り、にきびも絶えず出ていた。
私にとって授業のプラス面とマイナス面
プラス面→日本人がクラスで一人だったので、先生方が絶えず注意を払ってくださった。わからないながらもヒアリング力ついた。
マイナス面→議論好きの先生がいて、授業そっちのけで議論をふっかけてきて、授業にならなかった。他の生徒から不平・不満もでていた。
- 友達はたくさんできましたか?ポルトガル人との交流はどうでしたか?
やはり、外国人どうしがすぐに仲良くなる。学外では近所の美容院のお姉さん。同じアパートに住んでいるポルトガル人の友達は、ほとんどが年上でした。ポルトガルからフランスなどに移民した人達の子供で、母国へ戻り仕事を探している人もいた。そういった意味で、とても幅広い交流ができたと思う。ポルトガル人とはなかなか親しくなる機会がなかったので、自分から積極的にいいなあと思う人には、アプローチをしていった。待っているだけではどうしようもない。
- どうやって住居を探しましたか?
日本にいる時に、ミーニョ大学に頼んで紹介してもらった。その他、大学の至る所に、部屋を貸しますという紙が貼ってある。
- なぜミーニョ大学を留学先として選びましたか?
日本人が少ない所に行きたかったから。これが一番の理由です。
- どうやって大学の情報を得ましたか?
ポルトガル大使館で聞きました。
- ミーニョの町はどうでしたか?
田舎です。日本の田舎の村社会が存在していて、噂話がすごかった。また、東洋人が少なく、すごくジロジロ見られた。私の人生の中で、これほど注目されることは今後ないでしょう。
- VISA(査証)の取得について教えてください。
はっきり覚えていませんが、時間がかかるので、余裕をもって取り組んだ方がいいと思う。
- 面倒だったと思う書類について
1.ポルトガルの大学の入学許可書
まず自分の思っているような書類は一回ででき上がらないので、必要な条件を箇条書きにしてFAXで送り、書類を作ってもらった。
2.健康診断書
指定の病院で作成してもらう。血液検査もあった。これは、ポルトガル語訳をしてもらわないといけないので、旅行会社に頼んだ。
3.無犯罪証明書
自分の住民票のある県の警察に行き、作成してもらう。指紋を取られる。また、訪ねるのに予約が必要で、その日のうちに出来上がらないので(多分二週間くらいかかる)、一番最初に取り組んだ方がいいと思うう。
- 北部のポルトガル語はどうでしたか?
リスボンに比べるとはっきりと発音するので、わかりやすかった。しかし、日本人の私にとっては、ブラジル人の発音の方がはるかに最初はわかりやすかった。
- 最後に、思い出に残ったことを何か。
ポルトガル人の友人と車で、ポルトガル南部のアルガルベやアレンテージョ地方を旅行したのが、最高によかった。
片木 有香(かたぎ ゆか、学部4回生)