ブラジルへの視点 その2


 ブラジルの音楽


作られた国民文化

 一九三〇年から四五年ま でのヴァル ガスの独裁体制期に、カーニバルの サンバは国民音楽として手厚く保護され、ブラジルの国民文化の代表と見なされ ることになった。これによって、リオのポピュラー音楽のサンバは、ブラジルにおける地位を確かなものにした。リオでは、 オペラやクラシックのコンサートを楽しむ同じ人たちが、激しい打楽器のサンバを理解し、さらに ボサ・ノヴァを生ん だのである。

 他方で、その他の豊かな民族音楽が、ブラジルを代表するのではない、単なる一地方の音楽と見な されるようになったのである。


リオ とサンバ

 二〇〇二年二月一〇日の日曜日の夜 九時、真夏のリオのマルケス・デ・サプカイ通り会場で華やかな カーニバル のパレードが始まった。七つのエスコーラ・デ・サンバがそれぞれ一時間あまりかけて、歌と踊り、仮装、山車のみごとさを 競い、約九時間後、朝の光の中で、初日最後のエスコーラがパレードを終えた。二日目の月曜日も夜九時に別の七つのエスコ ーラが、太陽の昇るまで、歌い、そして踊り続けた。最後のグループは、一九二三年創立の歴史を誇るエスコーラ、ポルテー ラであった。二〇〇二年優勝の栄冠は、 マンゲイラの頭上に輝いた。マンゲイラのサンバは こちらへ。二〇〇四年リオのカーニバル情報は こちら

 世界の各地から観光客を集め、テレビでも世界中に生中継されるリオのカーニバル。その主役は褐色の肌の男女の踊り であり、耳をつんざくような打楽器が刻む激しいサンバのリズムである。では、このサンバは、いつ、どこで生まれたのであろうか。  それは一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、リオの中心街で生まれ、やがて貧しい人が住む丘の上のファベーラや郊外へと広が った。少しここで、リオのことを見てみよう。

  一九世紀のはじめ、ナポレオン軍に追われたポルトガル王ら約一万五〇〇〇人が到着し、 独立の前からリオは、王国の都として博物館や劇場が築かれ、文化の中心地の基盤を作った。帝国として独立したブラジルの首都 リオは、一九世紀の中頃、つまりペドロ二世の時代になると、音楽がリオ市民を一つにする役目を担った。それは、黒人から伝わ った踊り ルンドゥから生まれたブ ラジルのロマンティックな歌曲の モディーニャによってであった。これは、上流階級の舘ではピアノで歌われ、同時に、 貧しい黒人の小屋の前ではギターの調べにあわせて星空の下で演奏された。二〇世紀になると、ブラジル人を一つにまとめる役を、 カーニバルのサンバがつとめることになる。

 一八七二年のブラジル総人口九九三万のうち奴隷は一五一万人と国民の 一五%を占めていた。奴隷を使ってコーヒー栽培を行っていたリオやミナス・ジェライスにブラジル全体の約半数が集中しており、 首都リオにも四万人を超える奴隷が住んでいた。一八八八年に全奴隷が解放され、リオにさらに黒人たちが移り住むようになった。

 黒人の血をひく作曲家の シキーニャ・ゴンザーガが、マルシャと呼ばれる最初のカーニバルの行進曲「オー・アブレ・アーラス (さぁ、隊列をあけろ)」を作ったのが一八九九年であった。


正統サンバの誕生

 正統と見なされるサンバは二〇世紀のはじめに、リオの中心街で生まれ た。いまだリオの街が、金持ちの舘の地区と貧しい黒人の住居を区別していなかったころのことであった。プラッサ・オ ンゼ(第一一広場)の近くにある北東部地方のバイーアから移ってきた黒人女性たちの店に、黒人の作曲家の ピシンギーニャ (一八九七〜一九七三年)、ドンガ(一八九〇〜一九七四年)、ジョアン・ダ・バイアーナ(一八八七〜一九七四年)らが集まり、楽器を演奏したり、曲を作ったりしていた。そのとき生まれた「ペロ・テレフォーネ(電話で)」が最初の正統サンバだと言われている。

 リオが生んだ著名な作曲家ヴィラ=ロボス(一八八七〜一九五九)もまた、ブラジル各地の豊かな民族音楽を愛し、そこから多くの材料を採取した。


主要参考文献

 @Hermano Vianna, O Miste'rio do Samba. Jorge Zahar Editor-Editora UFRJ, 1995..
 テレビ番組の制作を実際に行っている著者による、人類学の分野の博士論文を出版したものであるが、分かりやすい表現で、丁寧に書かれている。これは、いわば国民音楽たるサンバをめぐるトランスカルチャー論である。

  Aエルマノ・ヴィアナ(武者小路実昭訳、水野一監修)『ミステリー・オブ・サンバ』ブルース・インターアクションズ、2000年。
 @の英語版からの和訳である。

 B クリス・マガワン、ヒカルド・リカルド・ペサーヤ(武者小路実昭訳、南海弘美訳)『ブラジリアン・サウンド―サンバ、ボサノヴァ、МPB ブラジル音楽のすべて―』、シンコー・ミュージック、2000年。
 ブラジルのポピュラー音楽の歴史などが、わかりやすく書かれている。

コラム 住田育法「ブラジルの音楽」『ブラジル学を学ぶ人のために』2002年8月20日より

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